2025年6月1日日曜日

復活節第7主日礼拝を迎えることができました

おかげさまで復活節第7主日礼拝を迎えることができました。西方教会の教会暦ではキリストの昇天日となります。
 

しばしば誤解を受けるのはわたしたちが生涯をまっとうした「召天」と復活後のキリスト自ら天に昇られた「昇天」です。召天と昇天との間には根本的に異なる質があります。

それはキリストが天に昇られる折に弟子を筆頭に世のすべてを祝福されたとの理由によります。本来ならば何ら祝福されるいわれのない弟子を含めてやぶれに満ちた世を祝福されたところに本日の聖書箇所、すなわち『ルカによる福音書』の真骨頂があります。
 

祝福に値する世であればキリストは祝福する必要はないでしょう。しかし世界を見渡せば混乱のなかで苦しみ悲しむこどもたちや病に罹患した人、貧困に苦しむ人は後を絶ちません。

その世界はキリストの祝福により前をむき神の希望を授かり、たがいに支えあう希望と交わりを育みます。いかなる姿であってもその祝福の実りは変わりません。その多様性にわたしたちは驚嘆せずにはおれません。
 

来週には「聖霊降臨節」を控えます。わたしたちの日常と世界を結ぶ神の愛のわざを確かめる聖日礼拝となります。この期間わたしたちは貧困に苦しむ人 不治の病に苦しむ人 こころの病に苛まれる人 ウクライナやパレスチナで苦しむこどもたち 南米やアフリカでレアメタル掘削のために奴隷のように扱われるこどもたちを覚えて祈りましょう。神の平和はまさしくその人たちのためにあるからです。

新しい月を迎えます。新しい週を迎えます。みなさまに主なる神の祝福がますます豊かに臨みますように祈ります。