おかげさまで前日の雨から一転した天候のもと聖霊降臨節第2主日礼拝を献げることができました。
聖書は『マタイによる福音書』11章25〜30節のテキストをもとに 生きづらさを見捨てないイエス・キリストのメッセージ「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」をともに味わいました。
近年 日本人の10〜30代の死因が脳疾患・心疾患・悪性新生物などによる疾病を超えて自死が一位となっています。「生きづらさ」とまとめるのは簡単ですが それにしてはあまりにも疲弊し人生に絶望する方々が多すぎます。
こころの病はその人の気質や生きる態度という個人に完結するものではなく関係性に障りをきたした場合 その危険水域をつらさや心痛が超えたときに生じると言われます。例えば過度の飲酒を止めたところで当事者を囲む社会のあり方を新たに構築し直さなくては問題の解決にはいたりません。
他の病気とは異なり 癌とこころの病は医学的にも「完治」とは表現しません。あくまでも症状が抑えられ 進行が止まっているとの意味で「寛解」と表現されます。この理解がないと当事者の生きづらさに共感し支援するわざは困難です。
イエス・キリストはその人のもつ重圧を魔法のように消し去るのではなく「わたしの軛(くびき)を担いなさい」と説きます。軛とはもともとは複数の牛や馬が離れていかないように首や肩をロックする枷を意味します。そのような枷によってわたしたちもキリストと繋がっているというのです。
この枷はわたしたちが重荷に耐えかねて崖から落ちてしまったり暴走したりする態度を押しとどめます。いわば「いのちの絆」としての交わりを育みます。
心労が溜まりやすい候となりました。どうか雨水を受けてますます鮮やかに咲く紫陽花のような落ち着きとみずみずしさに輝く一週間となりますように。みなさまに主なる神の励ましと聖霊によるますますの祝福を祈ります。そして争いに満ちた世界に一日も早く神の平和が訪れますように。