2025年6月29日日曜日

聖霊降臨節第4主日礼拝を献げることができました

おかげさまで6月最後の聖日礼拝である聖霊降臨節第4主日礼拝を献げることができました。近畿地方も梅雨明け宣言が出され夏空の広がる朝を迎えました。
 

本日の『聖書』は『マタイによる福音書』5章13〜16節の「あなたがたは地の塩・世の光」だとの人の子イエスの「山上の垂訓」と呼ばれる教え。『新約聖書』の生活文脈で呼ばれる「塩」とはわたしたちの用いる「食卓塩」というより岩場から掘り出した岩塩に近いもので、塩化ナトリウムのほかにたくさんのミネラルが含まれています。だからこそ「塩気のなくなった塩」という言葉をイエスは語ったのではないでしょうか。

現代のような精製方法のなかった時代には塩はまことに貴重。健康の維持にも欠かせませんでしたがその恩恵にあずかる人々は決して多くはなかったはずです。日本でも1997年までは専売制でした。良質な岩塩は鉱山奴隷の犠牲のもと多くはローマ帝国に奪われていったことでしょう。だからこそ「よき塩」は貴重でした。

また「世の光」に重ねられる「ともしび」もまた決して煌々と室内を照らすのではなく皿に入れた植物油に糸の芯を垂らし灯された実に小さな光でした。だからこそ燭台の上に置いてその小さな灯りを最大限に用いる工夫がなされました。隙間風が吹けばフッと消えてしまうような炎です。

『マタイによる福音書』6章22節でイエスは「からだのともしびは目である。目が澄んでいれば、あなたの全身は明るい」と語ります。神への讃美の喜びに溢れるとき 世にあって苦しみ悲しむ人々は喜び輝きます。キリストにつながる人とは暮らしのなかでさまざまな弱さや苦しみ、そして痛みを抱えている人々です。人の子イエスはそのような人々との交わりを積極的に育まれました。老若を問わずそのような交わりに触れて ともに苦しみを分かちあいたいと願います。2025年も残すところ半年となりました。みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福を祈ります。