2025年10月19日日曜日

2025年10月26日(日) 礼拝 予定

   ―降誕前第9主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「出会いは神こそがなせるわざ」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』10 章2~12 節
(新約81頁)

讃美= -187.Ⅱ-167.21-27.


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
 

聖霊降臨節第20主日礼拝を献げることができました

おかげさまで本日は聖霊降臨節第20主日礼拝を献げることができました。本日は特別伝道礼拝として二年前に天に召された故・渡辺敏雄牧師のご学友である高木総平牧師をお招きして主なる神を讃美しました。
 

高木総平牧師のお話ではASEANから除かれたフィリピンの貧困層のこどもたちよりも精神的に行き詰っているのは東アジアの日韓であり その隙をついて様々なカルトが幅を利かせてきたとのことでした。

少なくない臨床心理士が指摘するには「わが家には仏壇も神棚もない。そもそも見えない事柄が大切だとの話を聴かなかった」との話を自死寸前にいたるまでの状況にいたった青少年から聞いたとのことでした。
 

高木総平牧師からのお話にあらためて襟を正すとともに 教会の伝道目的とは単に教勢を強めるという浅薄なものではなく 人と較べなくては生きられないと主張する社会に いのちの固有性としての豊かさを示すところにあると再確認いたしました。

聖日礼拝後には高木総平牧師を囲む懇親の時を授かり バイタリティ溢れる高木牧師のお働きと 渡辺敏雄牧師との友情を窺い知ることができました。この機会を備えてくださった主なる神に感謝の念あふれる一日でした。

このような交わりの拠点として泉北ニュータウン教会が用いられるならばこれほど嬉しいことはありません。

新しい一週間 主なる神がみなさまとともにおられると確信し ますますの祝福を祈ります。

2025年10月12日日曜日

2025年10月19日(日) 礼拝 予定

 ―聖霊降臨節第20主日礼拝―

――特別伝道礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「死からいのちへ」
高木総平牧師

聖書=
『マルコによる福音書』4 章35 節
(新約68 頁)
『ヨハネの手紙Ⅰ』3 章14 節
(新約444 頁)

讃美= 21-57.21-575.21-27.

当日のライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

聖霊降臨節第19主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第19主日礼拝を献げることができました。昨日は「 こひつじこども園」の「あそBOフェスタ」が行われ、雨天と晴天がめぐる天候でも園児さんや保護者の方々が楽しめました。礼拝では職員の方々の癒しを覚えて祈りました。
 

本日の『聖書』のテキストは『マタイによる福音書』20章1〜16節。「ぶどう園🍇の労働者の譬え」と呼ばれる箇所でした。この箇所で描かれるのは、夜明け、午前9時頃、お昼頃、午後3時頃、そして午後5時にスカウトされた日雇い労働者の人々と手当を与えるブドウ園の主人とのやりとりです。一日の日当は1デナリオンですが それはどの時間帯から就労しても同額の手当が支払われます。

この物語にわたしたちは主人の金銭感覚はおかしい、またはこれこそベーシックインカムの走りだとの解釈をしがちですが 実のところは神の前には一日の就労の成果を問わず 名もない労働者の存在そのものに神は等しく祝福と恵みを備えているとは読めないでしょうか。
 

タイムパフォーマンス・コストパフォーマンスが叫ばれる中でイエス・キリストの譬えは今なお静かな力を放ちます。成果主義が幅を利かす世にあって 神が慈しんだのは孤児や寡婦 そして寄留者と呼ばれた難民でした。このような生活下におかれた人々の働きは限られ世からはしばしば蔑まれます。だからこそ「1デナリオン」の値打ちが誰にでも備えられるのです。この恵みを前にしてわたしたちは大いに励まされ 新しい一週間へと歩み始めるのです。

礼拝後には明日結婚式を控えた若いおふたりのための備えに赦された方々が奮励した一日となりました。いよいよ次世代の時代です。その前途を整える責任を痛切に感じた一日でした。

みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福を祈ります。

2025年10月5日日曜日

2025年10月12日(日) 礼拝 予定

  ―聖霊降臨節第19主日礼拝―

――神学校日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「汗水流して働く者はみな仲間」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』20 章1~16 節
(新約38頁) 

讃美= 21-521(344),504,21-27.


説教要旨・動画、ライブ中継については、
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聖霊降臨節第18主日礼拝を献げ 世界聖餐日礼拝として聖餐式を執り行ないました

秋雨の降るなかではありましたが おかげさまで聖霊降臨節第18主日礼拝を献げ 世界聖餐日礼拝として聖餐式を執り行ないました。
 

礼拝説教のテキストは『マタイによる福音書』19章13〜23節。『聖書 新共同訳』では37ページとなります。この箇所ではイエスに祝福していただくために連れられてきたこどもたちと人々の姿が描かれる一方で 豊かな暮らしのなかにいた青年が永遠のいのちのありようを問いながらも「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」との答えとともに人の子イエスからはその場では祝福されず悲しみながら立ち去る、という構成となっています。

それぞれの箇所を別個に扱うのも可能ですが イエス・キリストを軸に右手には祝福されるこどもたち、左手にはその場では祝福されなかった青年という構図で捉えますと 更なる解釈の可能性が見えてきます。つまり人の子イエスはその時代の経済的にはアッパークラスの青年に対して貧困層のこどもたちへ「ノブレス・オブリージュ」としての責任を示しているという理解です。

事態はそれにとどまらず『ヨブ記』で不条理な苦難に遭った義人ヨブが「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え 主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と呟く箇所に焦点が向けられます。青年がこの箇所をどのように受けとめているのか イエス・キリストは慈しみながらも厳しく問うているようにも思えます。
 

経済格差がますます拡大するなかで本日の箇所を繰り返し味わいますと 貧しくあるがゆえに暮らしに必要な知識すら十分に持てない人々に対する関わりをイエス・キリストは積極的に促しているように思えます。それは貧乏人であれ金持ちであれ「裸で生まれ、裸で帰る」ほかはない人の儚さと崇高さを同時に示しているようです。

不景気や物価高のなか外国人への不当な差別的言動や偏見が暮らしを侵食する一方で キリストの生きかたと教えに従うわざは 神の前に立つ人としての正気を保たせてくださります。

新しい一週間を始めるにあたり主なる神がともにいてくださるよう祈ります。キリストにある「正気」を確かめながらともにあゆみましょう。


2025年9月28日日曜日

2025年10月5日(日) 礼拝 予定

 ―聖霊降臨節第18主日礼拝―

――世界聖餐日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  


説教=「裸で生まれ、裸に還る」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』19 章13~23 節
(新約37頁) 

讃美= 74,21-155,讃美ファイル3,21-27.


説教要旨・動画、ライブ中継については、
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