2024年5月12日日曜日

父母の日礼拝を執り行いました

本日は五月の風薫るなか父母の日礼拝を執り行いました。礼拝メッセージのご担当は大阪昭和教会からお招きした伊倉睦美さんにお願いいたしました。メッセージは「みんなでしゅわ(手話)っと讃美しよう!」と題し、手話を用いた讃美歌を分かりやすくお伝えくださりました。礼拝堂には「こひつじこども園」や「放課後等デイサービス こひつじ」のこどもたちや保護者の方々がお越しくださり、みな礼拝を「よろこび、たのしむ」時間をともにしました。メッセンジャーの伊倉さんには心より感謝申しあげます。
 

来週の聖日礼拝はペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝。教会の誕生日でもありイエス・キリストを通して明らかにされた神の愛が世に広がっていくわざをお祝いする礼拝を迎えます。人の目からすれば時には争いの種にもなり得る文化の異なりが祝福されて乗り越えられ、世界中にキリスト・イエスの教えと生きざま、苦難と十字架、そして復活の喜びが広がってまいります。

戦争や紛争の絶えない現代におきましても、このペンテコステ礼拝は絶えずわたしたちのあり方を問いかけ、神の愛の道へと導いてくれます。みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますように祈ります。

2024年5月19日(日) 礼拝 予定

聖霊降臨節第1主日礼拝

ーペンテコステ礼拝ー

時間:10時30分~



説教=「世をかけめぐるイエスの愛」
稲山聖修牧師

聖書=『使徒言行録』10 章 9~16 節
(新約聖書  232  頁).

讃美=  21-475,502,讃美ファイル3(1.2),21-27.

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年5月5日日曜日

2024年5月12日(日) 父母の日礼拝 予定

――父母の日礼拝――

時間:10時30分~



メッセージ=「みんなでしゅわっと讃美しよう!」
伊倉睦美姉(大阪昭和教会)

聖書=『コロサイの信徒への手紙』3 章16~17 節
(新約聖書  371  頁).

讃美=※こどもさんびかは「改訂」を使用.
こどもさんびか58,「このままのすがたで」,
こどもさんびか132,こどもさんびか25.

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

おかげさまで復活節第6主日礼拝を献げることができました

おかげさまで復活節第6主日礼拝を献げることができました。ありがとうございました。
 

本日の『ヨハネによる福音書』の箇所では「あなたがたには世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」との言葉にまとまる箇所です。この一連の箇所ではキリストの苦難に弟子は寄り添えずばらばらになりキリスト自らをひとりきりにするとあります。福音書の書き手集団は弟子たちの弱さを殊更に強調しているように思います。しかし同時にわたしたちは福音書そのものが生き残った弟子の口伝承が基にあると知っています。つまり弟子の深い負い目が福音書に先行して深く渦巻いでおり、キリストに対する眼差しと自己への省察が混在しています。わたしたちはこのテキストから本日何を読みとるべきでしょうか。
 

思うにキリストの苦難に寄り添えきれなかった弟子の弱さだけではなく、その弱さをすべて見通した上でイエスが弟子を逃れさせたとの視点です。ペトロやユダの裏切りをすべて見抜き、その上で弟子をすべて「逃れさせた」キリストの愛です。

そう考えますと「よい羊飼いは羊のためにいのちを捨てる」や「一粒の麦は死ねば豊かな実りを得る」といったよく知られた『聖書』の言葉が、俄然より強く迫ることとなります。
 

とくにコロナ禍以降、わたしたちは社会における人と人との交わりが希薄になっているのを感じます。「リモートワーク」による仕事だけでなく「リモート呑み会」なるものも現れました。しかしモニターのスイッチをオフにした時に残る虚しさを矛先をわたしたちは何に向ければよいのでしょうか。

むしろ青葉いよいよ鮮やかとなり、鳥が囀り、風爽やかな今日のような一日、リモートの接続を遮断して青空を仰ぐなかで祈りを献げ、側からはそれがひとりごとのように思われても恐れずに神に心をひらく時間ではないかと思うのです。

笑顔も悲しみも不安も喜びも、主なる神はすべて祈りに変えてくださいます。ひとりきりになったと思う時にこそ、主なる神はわたしたちのそばにいてくださります。

その平安を忘れずに新しい一週間を過ごしたいと願います。みなさまの日々にイエス・キリストがともにおられますように祈ります。

2024年4月28日日曜日

2024年5月5日(日) 礼拝 予定

         ー復活節第6主日礼拝ー

時間:10時30分~



説教=「たとえひとりきりになっても」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』 16 章25~33 節
(新約聖書  201  頁).

讃美=  21-224,320,21-27.

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

復活節第5主日礼拝を献げることができました

おかげさまで復活節第5主日礼拝を献げることができました。ありがとうございました。
 

本日の『ヨハネによる福音書』の箇所では「世はあなたがたを憎むだろう」とのイエスの言葉が繰り返され、迫害の予告が行われます。パウロの宣教以前から教会の課題となったのは当初は古代ユダヤ教から迫害、そして紀元64年ごろのローマ帝国皇帝ネロによる迫害があります。本日の福音書が成立した段階で、すでにこの世の成功や幸せを求めてのキリスト教へのアプローチは困難なのは誰の目にも明らかでした。コロッセウムで飢えた猛獣の犠牲になるキリスト者を描いた絵画は今なお教会への問いかけとしてその力を保っています。

この迫害としばしば対比されるのが日本でのキリシタン迫害です。遠藤周作の『沈黙』やその映画化を試みた映画監督のベルトリッチは『ザ・サイレンス』を通して長崎奉行によるキリシタン迫害をリアルに描き、時には目を背けたくなるほどの描写をわたしたちに突きつけます。しかしそのような事実はあったにせよ、そればかりが禁制期のキリスト教と徳川幕府との関わりだったのでしょうか。
 

本日は以前もご紹介したジョバンニ・バッティスタ・シドッティ宣教師をご紹介します。徳川幕府中期に九州に上陸したシドッティ宣教師は役人に身柄を拘束されて江戸まで護送されます。シドッティ宣教師の尋問を担当したのが儒学者として知られる新井白石でした。シドッティが主張する復活の教えこそ共有しなかったものの、新井白石は宣教に対するシドッティ宣教師の真摯な姿勢に深く感銘し、最上策としては本国への強制送還、上策としては罪人とせず表向きは幽閉し武家としての位を与えて幕府に仕えさせる、中策としては幽閉、死罪はキリシタンを増やす恐れがあるため下策とし、将軍に上申しました。ただしシドッティ宣教師は武家屋敷に暮らしている折に二名の奉公人に洗礼を授けた事実が露見して地下牢で46歳で没しています。わたしたちが関心を抱くのは受洗した奉公人の行く末です。

神の言葉は国境を越え、生まれながらの身分を超えて拡がっていくというメッセージに震えた奉公人の魂はキリシタン禁制の命をものともしませんでした。

迫害とは現代では消費社会でもレジャーそのものでもなく、自己責任やコストパフォーマンス、タイムパフォーマンスとの言葉に表される効率優先主義に現れているのではないのでしょうか。そこでは「待つ」という姿勢が決定的に欠けています。待つ、とはまだ見ぬ実りを確信する、または待ち人が必ず訪れるとの信頼あって成り立ちます。こちらの期待どおりではなかったとして相手を排除するのは人には赦されてはいません。

ツバメが巣づくりに励む初夏を迎えました。4月29日には「たけしろみんなの食堂」も行われます。ゴールデンウィークにはさまざまな過ごし方がありますが、実りを確信し耕しに励むという道もあります。みなさまの新しい一週間に、主なる神がともにおられますよう祈ります。

2024年4月21日日曜日

2024年4月28日(日) 礼拝 予定

        ー復活節第5主日礼拝ー

時間:10時30分~



説教=「イエスはあなたを招いています」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』 15 章 18~26 節
(新約聖書  199  頁).

讃美=  301,512,21-29.

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。