2026年2月2日月曜日

降誕節第6主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第6主日礼拝を献げることができました。寒さのなかにも日差しの柔らかな一日となりました。
 
この日の『聖書』のテキストは『マルコによる福音書』の「種を蒔く人の譬え」。蒔かれた種はいろいろな場所に落ちていきます。ある種は道端に落ち鳥に食べられます。ある種は石だらけの場に落ち日に焼けて枯れてしまいます。ある種は茨の中に落ち十分に育たず実を結びませんでした。よい土地に落ちた種籾は豊かに育ち百倍もの実を結んだとのお話です。

「ことば」を種に重ねるならば この「よい土地」とはわたしたちの日々のあり方。ことばとこころの距離が近いほど わたしたちのことばには出会いとしての力が宿ります。「神のことば」であればなおのことわたしたちの生き方に大きな方向転換をもたらします。

反対にことばとこころの距離が遠くなれば どのような美辞麗句であっても空疎に聞こえます。祈りの力とはまさにこの距離の近さによって立ちもし倒れもするのではないでしょうか。

もし日々の忙しさの中で祈りのことばの吟味に困るようならば その時こそ聖日礼拝にお越しになる機会です。神のことばが人となったとの出来事 イエス・キリストとの出会いをともにいたしましょう。

全国の雪国の教会・附帯施設に勤務する方々 牧会に励む牧師の方々を覚えて「執り成しの祈り」を献げました。礼拝後には定例役員会を行いました。なお礼拝中継につき映像が出ませんでしたことこころよりお詫びいたします。

2026年2月8日(日) 礼拝 予定

 ―降誕節第7主日礼拝―


時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
 
説教=「あなたの罪は赦された」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』2 章1~12 節
(新共同訳63頁)

讃美=  
21-57.21-540(403).21-26.

当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

2026年1月26日月曜日

降誕節第5主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第5主日礼拝を献げることができました。寒いなかでしたが礼拝堂には老若を問わない出席者が神様に招かれました。
 

メッセージのテキストは『マルコによる福音書』1章に描かれた 本福音書で初めて人の子イエスが癒しのわざを行なうところです。古代ユダヤ教の会堂で「悪霊にとりつかれた」とされる男性がおり「ナザレのイエス かまわないでくれ。われわれを滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と叫ぶ箇所でした。同じ福音書の5章では「墓場を住む悪霊つきの男性」の話が描かれます。墓場は明らかに一般の人々の暮らしから疎外されていると気づきますが会堂をわたしたちの礼拝堂におきかえて考えますと 人々の暮らしに開かれた場でもあるといえます。そのような場にも疎外され心病む人がいたと考えますとまことに心痛む状況です。
 

経済不況と物価高に悩むわたしたちは高度経済成長期やバブル期をして「あのころはよかった」と回想しがちです。貧困は海外の開発途上国のみにあると思い込み 支援もしてまいりました。しかし国内にも森永ヒ素ミルク事件 カネミ油事件始め今日考えれば背筋の凍るような事件がありましたが 概してわたしたちの記憶からは忘れ去られています。しかし当事者の方々は今なお苦しみ社会から疎外されているのです。「悪霊にとりつかれた」とは当時の医療では治療しがたい難病罹患者をも指していると言われています。種々の事件も原因が解明されるまで「奇病」として扱われました。
 



このような当事者の方々を前にしてわたしたちは「祈り ささえること」ばかりを考えます。しかし「祈られ ささえられる」方々の痛みにどれほど思いを寄せていることでしょうか。今 食事に困っている人々に千羽鶴を送るような勘違いをしてはいないでしょうか。イエス・キリストは自ら疎外され十字架への苦難の道をあゆみました。その意味ではイエス・キリストの癒しのわざは「双方向」でした。

わたしたちは悪意のみならず善意の空回りから解放されるためにも聖日礼拝と関わり祈りを献げます。すべての束縛から解放されてのびやかに新しい一週間をあゆみたいと願います。
 

2026年も最初の月を全うしようとしています。礼拝後には「たけしろみんなの食堂」がにぎやかに行われました。みなさまの新たな一週間に主なる神の祝福がますます臨みますよう祈ります。

2026年1月25日日曜日

2026年2月1日(日) 礼拝 予定

 ―降誕節第6主日礼拝―


時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
 
 
説教=「種まきの条件」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』4章1~9節
(新約66頁)

讃美=  21-18(Ⅱ1).21-461(294).21-26.


当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

 

2026年1月18日日曜日

2026年1月25日(日) 礼拝 予定

   ―降誕節第5主日礼拝―


時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
 
 
説教=「神の救いの兆し」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』1 章21~28 節
(新約62頁)

讃美=  21-530(316).21-463(494).21-24.


当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

 

降誕節第4主日礼拝を献げることができました

おかげさまで 本日は降誕節第4主日礼拝を献げることができました。『聖書』の箇所は『マルコによる福音書』1章14〜20節。人の子イエスがガリラヤ湖のほとりで最初の弟子を招いたところを軸としてお話ししました。
 

人の子イエスが初めて弟子としたのは漁師を生業とする者でした。厳しい自然を前にして生き抜くほかない漁師は徹頭徹尾「生活者」以外の生き方を知りません。けれどもこの漁師たちが弟子となることで教会が本来なら歴史の波に忘れ去られていく人々にイエスがキリストであると伝え その交わりを広げてまいりました。

もちろんその歩みは順風満帆というわけではありません。罪を犯し 主なる神の愛に幾たびも叩かれての今日があります。名もない生活者の群を礎とすることで 神の愛をもっとも必要とする人が集う場となりました。

本日は阪神・淡路大震災から31年を迎えての礼拝としても献げられました。31年という歳月にあっても決して癒されない悲しみがあります。その涙を忘れずに主なる神の深い癒しと慰めを祈ります。

高校生には大学受験で精一杯の方々もおられることでしょうし、大学受験に限らず日々自らの進路を問うておられる方々も多いことでしょう。

ただ そのような思い煩いに呑まれてしまうのも考えもの。「明日のことを思い煩うな。明日は明日自らが思い煩う」とイエス・キリストは朗らかに語っておられます。その温かさをともにしつつ新しい一週間を歩みたく存じます。

2026年1月11日日曜日

2026年1月18日(日) 礼拝 予定

  ―降誕節第4主日礼拝―


時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
 
 
説教=「湖のほとりで」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』1 章14~20節
(新約61頁)

讃美=  21-504(285).21-518(361).21-24.


当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。