2026年3月16日月曜日

2026年3月22日(日) 礼拝 予定

 ―受難節第5主日礼拝―

――牧師訣別礼拝――


時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
 
 
説教=「人の子イエスのグレート・リセット」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』10 章35~45 節
(新約82 頁)

讃美=
267,495.21-29.

当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

 

2026年3月15日日曜日

受難節第4主日礼拝を献げられました

おかげさまで受難節第4主日礼拝を献げられました。昨日は泉北ニュータウン教会と建物をともにする「 こひつじこども園」の卒園式が執行され29名の園児さんが新たな門出を迎えました。その笑顔と瞳に背筋が伸びるとともに一抹の寂しさも残りました。
 

とはいえ過ぐる週には東日本大震災から数えて15年目の3月11日を迎えました。写真にはあの日の変わらないままの小学一年生の肖像があり イランでは米軍のミサイル攻撃により大勢の小学生や教職員が殺害されています。「神さまどういうことだ」という声が涙ながらの「アッラー・アクバル」には響きます。ランドセルを手にした母親が三陸沖に向けて名を呼ぶ姿も浮かんでまいります。
 

わたしたちは今が「受難節」であることを忘れてはいけません。そのなかで味わった『マルコによる福音書』9章では人の子イエスが山へ登ったところ真っ白な服をまとい輝く姿で『旧約聖書』の物語に登場するモーセやエリヤと語らう場面が描かれます。弟子はうろたえるばかりですが、モーセもエリヤも決して自己充足した平和に安らわずイスラエルの民の過ちにより働かざるを得なかった人々でした。モーセやエリヤの生涯は傍目には幸せだとは決して言えませんがアブラハムの神により絶対的に肯定されていました。

人の子イエスはさらにその肯定を超えて神のあふれるばかりの愛に満ちた生涯を十字架の上で全うしました。その苦しみが何よりもわたしたちとキリストとを結ぶ「軛(くびき)」となり イエス・キリストとともに生きる道を拓きます。さらに山の上で見せたその輝きは 復活したキリストの姿を先取りしています。

心ならずも望まずして天に召されたこどもたち。わたしたちには涙に暮れるばかりですが イエス・キリストはこの子たちを抱擁し祝福してやみません。さらにわたしたちにはこの愚かな争いや不十分な補償のなか苦しむ方々との連帯責任を求めます。ホルムズ海峡へ掃海艇を送ろうとする政府に甘んじるのではなく 彼の地の傷つき悲しむこどもたちに想いを馳せてこそのキリスト者です。主の平和を乞い願いつつ それぞれの日常に則して世の平和を追い求めましょう。
 

聖日礼拝後には臨時教会総会が開かれ次年度の役員担当者が選出されました。主の平和を願いこどもたちが笑顔となる環境を整えるべく祈りましょう。「これはわたしの愛する子 これに聞け」との本日のテキストのことばは今もわたしたちの心に響いています。

2026年3月13日金曜日

2026年3月15日(日) 礼拝 予定

 ―受難節第4主日礼拝―


時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
 
 
説教=「キリストを通して注がれる神の愛」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』9 章2~8 節
(新約77頁)

讃美=
Ⅱ 80,21-462(292).21-29.

当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

 

2026年3月8日日曜日

受難節第3主日礼拝を献げることができました

みなさまのお祈りのおかげで 受難節第3主日礼拝を献げることができました。ろうそくのともしびも消され いよいよイエス・キリストの苦難と深く関わりながらも 青空に復活の希望を見出す朝となりました。
 

本日の聖書箇所である『マルコによる福音書』では「あの男は気が変になっている」との噂からその身柄を拘束しにきた身内のものにかぎらず「あなたはメシアです」と表向きは信仰を言い表したかのように映るペトロを始めとした弟子もまた イエス・キリストを誤解していた様子を看て取れます。なぜなら人の子イエスが苦難の道の果てに十字架で殺害されたその後の三日目に復活するとの話を受け入れられなかったからです。弟子には帰依し心酔する人の子イエスの姿だけが目に入るばかりで救い主の何たるかは隠されたままでした。「気が変になっている」との噂だけでなく「誤ったメシア像」との思い込みの狭間で すでにイエス・キリストは誤解の板挟みとなり孤独に陥っている様子が分かります。わたしたちであればこう叫ぶに違いありません。「ちがう。そうじゃない!」。
 

今 わたしたちの身近なところ でまた世界の至るところで流される涙と血潮のなか いったいどれほどの「ちがう。そうじゃない!」との叫びがこだましていることでしょう。誤った情報に知らない間に操られて「分かった気に」させられているわたしたち。今こそ世に流布する虚像や誤った物語から解き放たれて本来向き合わなければならない課題や人々に相対しなければなりません。先入観のうちに安らうのではなく 耳を傾けるべき声を違わず 手を結んで神の平和のために働く時代となりました。
 

各々の日常性を尊びつつ 誤解のなかに立ちつくす人々と痛みをともにし 孤独を通してイエス・キリストと連帯しましょう。わたしたちは煽られ捏造された敵対関係ではなくフェイクを圧倒する神の平和と真理を追い求めます。
 

礼拝後には各部総会が開かれ今年度のあゆみの振り返りが行われました。またリモート中継を維持・発展させるための話し合いもありました。ご奉仕くださった方々に衷心から感謝いたします。平和と和解の主イエス・キリストのますますの祝福がみなさまとともにありますように祈ります。
 

2026年3月1日日曜日

2026年3月8日(日) 礼拝 予定

 ―受難節第3主日礼拝―


時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
 
 
説教=「人々の誤解のなかに立ち続けて」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』8 章27~33節
(新約77頁)

讃美= 
21-300(262).21-443(124).21-29.

当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

 

受難節第2主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第2主日礼拝を献げることができました。荊の燭台のろうそくも二本目が消されるなかでの礼拝でした。『争いの土俵に乗らない知恵』と題して『マルコによる福音書』3章20〜27節を味わいました。匿名の中傷の風に立ちながらイエス・キリストは自らの癒しのわざが悪霊の頭による権力闘争ではなく神の愛によるものだと証しされます。
 

家族間の争い事のみならず国際間の紛争もまた暴力という名の争いに溢れています。暴力の土俵に乗らずに課題を分かちあわなければわたしたち人類はいずれ滅びるでしょう。
 

強さだけを分かち合うのではなく弱さを受け入れあうところの主にある信義こそわたしたちに求められています。イエス・キリストは神の信義に基づく知恵により自らを暴力の歯止めとして苦難の道を歩みました。

ロシア・ウクライナ戦争、ベネズエラやメキシコの紛争、そしてアメリカ合衆国とイスラエルによるイランへの攻撃。これ以上、地球に燎原の火のごとく争いが広まらないためにも祈り神の愛の証しを立てる世を迎えました。時代の灯台としての役割が教会には求められています。
 

聖日礼拝後には3月度の「教会の活動を考える会」をもちました。実に濃密な話し合いといくつかの結論を導き出せた幸いに感謝します。2025年度最後の定例の話し合いを全うできました。こころより感謝申しあげます。

2026年2月23日月曜日

2026年3月1日(日) 礼拝 予定

―受難節第2主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
 
 
説教=「争いの土俵に乗らない知恵」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』3 章20~27 節
(新約66 頁)

讃美= 
21-306(Ⅱ177).21-471(Ⅱ164).

当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。