おかげさまで受難節第1主日礼拝を献げることができました。日差しは少しずつ春めいてきましたがやはり三寒四温の感は否めません。
説教壇のバナーも受難節の色となりました。キリストのご受難を思い出し なによりもわたしたちとともに苦しみの軛をともにするだけでなく 十字架による処刑という人には恐るべき場へとあゆまれたその道を想い起こす季節を教会は迎えたのです。
神の愛とは互いに慈しむわざに留まるだけでなく たがいの苦しみを分かちあうわざであるとも言われます。この絆をともにして教会共同体はその交わりを堅くしてまいりました。
泉北ニュータウン教会では荊の燭台に灯されたろうそくを週ごとに消しイエス・キリストの受難のあゆみをたどります。世にある苦しみを他人事ではなく当事者として分かちあえますようにと祈ります。聖日礼拝の後には有志により「たけしろみんなの食堂」が行われました。新しい一週間に主なる神の祝福が豊かにありますよう祈ります。
2026年2月22日日曜日
2026年2月15日日曜日
2026年2月22日(日) 礼拝 予定
―受難節第1主日礼拝―
時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
説教=「わたしたちを誘惑からお救いください」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』1 章12~15 節
(新約68頁)
讃美= 21-287(272).21-514(449).21-26.
当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
讃美= 21-287(272).21-514(449).21-26.
当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
降誕節第8主日礼拝を献げることができました
おかげさまで降誕節第8主日礼拝を献げることができました。寒の戻りを繰り返しながら紅白の梅は咲きこぼれ日毎に春の訪れを感じます。
しかしながら山間部や海上では天候が大いに荒れる時期でもあり「春一番」との風ももともとは安政年間の海難事故に由来するとのことです。
本日の聖書箇所は『マルコによる福音書』4章35〜41節にある 夕刻以降の時間に波で荒れ狂うガリラヤ湖の湖面で「先生、わたしたちがおぼれても構わないのですか」という弟子の絶叫に艫に枕をして眠っていた人の子イエスが立ちあがり「黙れ、静まれ!」と叫ぶ場面。「なぜ怖がるのか。なぜ信じないのか」との言葉とともに凪いだ湖面を前にして慄く弟子の姿が浮かびます。
思えば『創世記』族長物語では兄の代わりに長子権を授かったヤコブがかつていのちを狙われた兄エサウのもとに戻ろうとした折 ヨルダン川のヤボクの渡しで神の天使と一晩中格闘して生きながらえたとの物語が記されます。天使との格闘によりヤコブはエサウへの恐れを一掃され「イスラエル」との名を受けました。
神の備える恐れとは人の世の恐れを一掃し 新しい展望を開きます。まさに「光あれ」。到着すべき向こう岸が目の前に広がってまいります。
あらゆるステージが変わろうとするこの時期 どうかみなさまには主なる神のますますの祝福と平安を祈ります。
しかしながら山間部や海上では天候が大いに荒れる時期でもあり「春一番」との風ももともとは安政年間の海難事故に由来するとのことです。
本日の聖書箇所は『マルコによる福音書』4章35〜41節にある 夕刻以降の時間に波で荒れ狂うガリラヤ湖の湖面で「先生、わたしたちがおぼれても構わないのですか」という弟子の絶叫に艫に枕をして眠っていた人の子イエスが立ちあがり「黙れ、静まれ!」と叫ぶ場面。「なぜ怖がるのか。なぜ信じないのか」との言葉とともに凪いだ湖面を前にして慄く弟子の姿が浮かびます。
思えば『創世記』族長物語では兄の代わりに長子権を授かったヤコブがかつていのちを狙われた兄エサウのもとに戻ろうとした折 ヨルダン川のヤボクの渡しで神の天使と一晩中格闘して生きながらえたとの物語が記されます。天使との格闘によりヤコブはエサウへの恐れを一掃され「イスラエル」との名を受けました。
神の備える恐れとは人の世の恐れを一掃し 新しい展望を開きます。まさに「光あれ」。到着すべき向こう岸が目の前に広がってまいります。
あらゆるステージが変わろうとするこの時期 どうかみなさまには主なる神のますますの祝福と平安を祈ります。
2026年2月8日日曜日
2026年2月15日(日) 礼拝 予定
―降誕節第8主日礼拝―
時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
説教=「あり得ないことが起きるとき」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』4 章35~41 節
(新約68頁)
讃美= 21-502(326).21-404(217).21-26.
当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
讃美= 21-502(326).21-404(217).21-26.
当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
降誕節第7主日礼拝を献げられました
おかげさまで降誕節第7主日礼拝を献げられました。窓の外には雪の舞う朝。豪雪地帯にある諸教会の教会員や牧師の労を想い起こしながらの礼拝となりました。
『聖書』の箇所は『マルコによる福音書』2章1〜12節にある、人の子イエスのもとに四人の男性が中風により寝たきりの人を連れてきたというお話。あまりの人垣に出会いを阻まれた四人のサポーターは家の屋根をはがして中風の人を屋外から吊りさげて人の子イエスに病を癒やしてもらうという荒わざに打ってでます。不思議なのは家主が全く妨げもせずおそらくは群衆のなかでこのわざを見ていたというところ。イエス・キリストは身動きのできない中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」との宣言から具体的な対話が始まります。イエス・キリストは「起きあがり、床を担いで家に帰りなさい」とついには語りますが、これは不穏なこころの動きを見せる律法学者への配慮あってのことば。癒されるべき当事者へのあれやこれやの命令を当初人の子イエスはいたしません。
むしろイエス・キリストが目を見張ったのは四人のサポーターが決して中風の人を見捨てないどころか、屋根をはがすという前例のない工夫のもと屋内に病人を吊りおろしたところにあったのではないでしょうか。
今日のような制度としての医療や福祉に乏しい時代にあってこの中風の人は「あなたの罪は赦される」との宣言により自分を蔑むわざから解放されます。人に迷惑をかけないように、との自助理論や自己責任論が声高に叫ばれるわたしたちの世界の壁をもこの宣言は突き破ります。
現代では尊厳死や安楽死をめぐる言論も活発です。しかしわたしたちが見落としているのはそのような言論の根拠がしばしばインターネットによる情報であるところにあります。身体性を欠いた身勝手な主張に乗せられて 自分のいのちの可能性に絶望する方々がいます。けれどもイエス・キリストはいのちに過酷な世にあって「あなたのいのちはすばらしい」と語りかけ そばにいてくださるのです。四人の男性もまた ただその人を愛し 逆に支えられていたがゆえに イエスを訪ねてきたのではないでしょうか。
礼拝後はお茶のご奉仕を受け 身体を温め交わりが育まれました。教会学校では凧揚げが予定されていましたが天候によりプログラムを変更 こどもたちのにぎやかな声が響きました。
寒いなか教会へお越しになった方々も 中継礼拝をご視聴くださった方々にも 新しい一週間 主なる神の祝福が豊かにありたすように また病の床にある人 施設におられる方々に イエス・キリストの深い癒やしが臨みますよう祈ります。
『聖書』の箇所は『マルコによる福音書』2章1〜12節にある、人の子イエスのもとに四人の男性が中風により寝たきりの人を連れてきたというお話。あまりの人垣に出会いを阻まれた四人のサポーターは家の屋根をはがして中風の人を屋外から吊りさげて人の子イエスに病を癒やしてもらうという荒わざに打ってでます。不思議なのは家主が全く妨げもせずおそらくは群衆のなかでこのわざを見ていたというところ。イエス・キリストは身動きのできない中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」との宣言から具体的な対話が始まります。イエス・キリストは「起きあがり、床を担いで家に帰りなさい」とついには語りますが、これは不穏なこころの動きを見せる律法学者への配慮あってのことば。癒されるべき当事者へのあれやこれやの命令を当初人の子イエスはいたしません。
むしろイエス・キリストが目を見張ったのは四人のサポーターが決して中風の人を見捨てないどころか、屋根をはがすという前例のない工夫のもと屋内に病人を吊りおろしたところにあったのではないでしょうか。
今日のような制度としての医療や福祉に乏しい時代にあってこの中風の人は「あなたの罪は赦される」との宣言により自分を蔑むわざから解放されます。人に迷惑をかけないように、との自助理論や自己責任論が声高に叫ばれるわたしたちの世界の壁をもこの宣言は突き破ります。
現代では尊厳死や安楽死をめぐる言論も活発です。しかしわたしたちが見落としているのはそのような言論の根拠がしばしばインターネットによる情報であるところにあります。身体性を欠いた身勝手な主張に乗せられて 自分のいのちの可能性に絶望する方々がいます。けれどもイエス・キリストはいのちに過酷な世にあって「あなたのいのちはすばらしい」と語りかけ そばにいてくださるのです。四人の男性もまた ただその人を愛し 逆に支えられていたがゆえに イエスを訪ねてきたのではないでしょうか。
礼拝後はお茶のご奉仕を受け 身体を温め交わりが育まれました。教会学校では凧揚げが予定されていましたが天候によりプログラムを変更 こどもたちのにぎやかな声が響きました。
寒いなか教会へお越しになった方々も 中継礼拝をご視聴くださった方々にも 新しい一週間 主なる神の祝福が豊かにありたすように また病の床にある人 施設におられる方々に イエス・キリストの深い癒やしが臨みますよう祈ります。
2026年2月2日月曜日
降誕節第6主日礼拝を献げることができました
おかげさまで降誕節第6主日礼拝を献げることができました。寒さのなかにも日差しの柔らかな一日となりました。
この日の『聖書』のテキストは『マルコによる福音書』の「種を蒔く人の譬え」。蒔かれた種はいろいろな場所に落ちていきます。ある種は道端に落ち鳥に食べられます。ある種は石だらけの場に落ち日に焼けて枯れてしまいます。ある種は茨の中に落ち十分に育たず実を結びませんでした。よい土地に落ちた種籾は豊かに育ち百倍もの実を結んだとのお話です。
「ことば」を種に重ねるならば この「よい土地」とはわたしたちの日々のあり方。ことばとこころの距離が近いほど わたしたちのことばには出会いとしての力が宿ります。「神のことば」であればなおのことわたしたちの生き方に大きな方向転換をもたらします。
反対にことばとこころの距離が遠くなれば どのような美辞麗句であっても空疎に聞こえます。祈りの力とはまさにこの距離の近さによって立ちもし倒れもするのではないでしょうか。
もし日々の忙しさの中で祈りのことばの吟味に困るようならば その時こそ聖日礼拝にお越しになる機会です。神のことばが人となったとの出来事 イエス・キリストとの出会いをともにいたしましょう。
全国の雪国の教会・附帯施設に勤務する方々 牧会に励む牧師の方々を覚えて「執り成しの祈り」を献げました。礼拝後には定例役員会を行いました。なお礼拝中継につき映像が出ませんでしたことこころよりお詫びいたします。
2026年2月8日(日) 礼拝 予定
―降誕節第7主日礼拝―
時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
説教=「あなたの罪は赦された」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』2 章1~12 節
(新共同訳63頁)
讃美= 21-57.21-540(403).21-26.
当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
讃美= 21-57.21-540(403).21-26.
当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
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