2026年3月8日日曜日

受難節第3主日礼拝を献げることができました

みなさまのお祈りのおかげで 受難節第3主日礼拝を献げることができました。ろうそくのともしびも消され いよいよイエス・キリストの苦難と深く関わりながらも 青空に復活の希望を見出す朝となりました。
 

本日の聖書箇所である『マルコによる福音書』では「あの男は気が変になっている」との噂からその身柄を拘束しにきた身内のものにかぎらず「あなたはメシアです」と表向きは信仰を言い表したかのように映るペトロを始めとした弟子もまた イエス・キリストを誤解していた様子を看て取れます。なぜなら人の子イエスが苦難の道の果てに十字架で殺害されたその後の三日目に復活するとの話を受け入れられなかったからです。弟子には帰依し心酔する人の子イエスの姿だけが目に入るばかりで救い主の何たるかは隠されたままでした。「気が変になっている」との噂だけでなく「誤ったメシア像」との思い込みの狭間で すでにイエス・キリストは誤解の板挟みとなり孤独に陥っている様子が分かります。わたしたちであればこう叫ぶに違いありません。「ちがう。そうじゃない!」。
 

今 わたしたちの身近なところ でまた世界の至るところで流される涙と血潮のなか いったいどれほどの「ちがう。そうじゃない!」との叫びがこだましていることでしょう。誤った情報に知らない間に操られて「分かった気に」させられているわたしたち。今こそ世に流布する虚像や誤った物語から解き放たれて本来向き合わなければならない課題や人々に相対しなければなりません。先入観のうちに安らうのではなく 耳を傾けるべき声を違わず 手を結んで神の平和のために働く時代となりました。
 

各々の日常性を尊びつつ 誤解のなかに立ちつくす人々と痛みをともにし 孤独を通してイエス・キリストと連帯しましょう。わたしたちは煽られ捏造された敵対関係ではなくフェイクを圧倒する神の平和と真理を追い求めます。
 

礼拝後には各部総会が開かれ今年度のあゆみの振り返りが行われました。またリモート中継を維持・発展させるための話し合いもありました。ご奉仕くださった方々に衷心から感謝いたします。平和と和解の主イエス・キリストのますますの祝福がみなさまとともにありますように祈ります。
 

2026年3月1日日曜日

2026年3月8日(日) 礼拝 予定

 ―受難節第3主日礼拝―


時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
 
 
説教=「人々の誤解のなかに立ち続けて」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』8 章27~33節
(新約77頁)

讃美= 
21-300(262).21-443(124).21-29.

当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

 

受難節第2主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第2主日礼拝を献げることができました。荊の燭台のろうそくも二本目が消されるなかでの礼拝でした。『争いの土俵に乗らない知恵』と題して『マルコによる福音書』3章20〜27節を味わいました。匿名の中傷の風に立ちながらイエス・キリストは自らの癒しのわざが悪霊の頭による権力闘争ではなく神の愛によるものだと証しされます。
 

家族間の争い事のみならず国際間の紛争もまた暴力という名の争いに溢れています。暴力の土俵に乗らずに課題を分かちあわなければわたしたち人類はいずれ滅びるでしょう。
 

強さだけを分かち合うのではなく弱さを受け入れあうところの主にある信義こそわたしたちに求められています。イエス・キリストは神の信義に基づく知恵により自らを暴力の歯止めとして苦難の道を歩みました。

ロシア・ウクライナ戦争、ベネズエラやメキシコの紛争、そしてアメリカ合衆国とイスラエルによるイランへの攻撃。これ以上、地球に燎原の火のごとく争いが広まらないためにも祈り神の愛の証しを立てる世を迎えました。時代の灯台としての役割が教会には求められています。
 

聖日礼拝後には3月度の「教会の活動を考える会」をもちました。実に濃密な話し合いといくつかの結論を導き出せた幸いに感謝します。2025年度最後の定例の話し合いを全うできました。こころより感謝申しあげます。

2026年2月23日月曜日

2026年3月1日(日) 礼拝 予定

―受難節第2主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
 
 
説教=「争いの土俵に乗らない知恵」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』3 章20~27 節
(新約66 頁)

讃美= 
21-306(Ⅱ177).21-471(Ⅱ164).

当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

 

2026年2月22日日曜日

受難節第1主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第1主日礼拝を献げることができました。日差しは少しずつ春めいてきましたがやはり三寒四温の感は否めません。
 

説教壇のバナーも受難節の色となりました。キリストのご受難を思い出し なによりもわたしたちとともに苦しみの軛をともにするだけでなく 十字架による処刑という人には恐るべき場へとあゆまれたその道を想い起こす季節を教会は迎えたのです。

神の愛とは互いに慈しむわざに留まるだけでなく たがいの苦しみを分かちあうわざであるとも言われます。この絆をともにして教会共同体はその交わりを堅くしてまいりました。

泉北ニュータウン教会では荊の燭台に灯されたろうそくを週ごとに消しイエス・キリストの受難のあゆみをたどります。世にある苦しみを他人事ではなく当事者として分かちあえますようにと祈ります。聖日礼拝の後には有志により「たけしろみんなの食堂」が行われました。新しい一週間に主なる神の祝福が豊かにありますよう祈ります。

2026年2月15日日曜日

2026年2月22日(日) 礼拝 予定

 ―受難節第1主日礼拝―


時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
 
 
説教=「わたしたちを誘惑からお救いください」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』1 章12~15 節
(新約68頁)

讃美= 
21-287(272).21-514(449).21-26.

当日の礼拝の詳細については、
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

 

降誕節第8主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第8主日礼拝を献げることができました。寒の戻りを繰り返しながら紅白の梅は咲きこぼれ日毎に春の訪れを感じます。
 

しかしながら山間部や海上では天候が大いに荒れる時期でもあり「春一番」との風ももともとは安政年間の海難事故に由来するとのことです。

本日の聖書箇所は『マルコによる福音書』4章35〜41節にある 夕刻以降の時間に波で荒れ狂うガリラヤ湖の湖面で「先生、わたしたちがおぼれても構わないのですか」という弟子の絶叫に艫に枕をして眠っていた人の子イエスが立ちあがり「黙れ、静まれ!」と叫ぶ場面。「なぜ怖がるのか。なぜ信じないのか」との言葉とともに凪いだ湖面を前にして慄く弟子の姿が浮かびます。

思えば『創世記』族長物語では兄の代わりに長子権を授かったヤコブがかつていのちを狙われた兄エサウのもとに戻ろうとした折 ヨルダン川のヤボクの渡しで神の天使と一晩中格闘して生きながらえたとの物語が記されます。天使との格闘によりヤコブはエサウへの恐れを一掃され「イスラエル」との名を受けました。

神の備える恐れとは人の世の恐れを一掃し 新しい展望を開きます。まさに「光あれ」。到着すべき向こう岸が目の前に広がってまいります。

あらゆるステージが変わろうとするこの時期 どうかみなさまには主なる神のますますの祝福と平安を祈ります。