―降誕前 第5主日礼拝―
――収穫感謝日礼拝――
時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 説教=「誰もが和解する実り」
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』 25章31~40 節
(新共同訳 新約 50頁)
讃美= 21-530,506,21-29(544).
説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
おかげさまで降誕前第6主日礼拝を献げることができました。泉北ニュータウン教会では本日コロナ禍以降初めて教会を場にしておにぎり🍙をともにしながらゲームを楽しみ、年齢を問わず楽しい教会バザーの交わりをともにしました。
礼拝前に牧師は教会学校で『ホセア書』を題材として神の愛の激しさと力強さをともに味わい、礼拝後には(福)地球の園の定例理事会を開催して各部の理事のまことに主体的なアイデアを耳にして励まされました。
そろそろ風も晩秋の雰囲気を湛え、待降節への備えをより堅固にしていく時期ではありますが、全てに先んじるのが「神のユーモア」であり、このユーモアあればこそ主イエス・キリストのご降誕をみなでお祝いできるというものです。
こひつじこども園も放課後等デイサービスこひつじもアドベント・クリスマスのハーモニーにつつまれるシーズンがもうすぐそこまでに迫っています。次回聖日は「収穫感謝記念日礼拝」を献げます。この礼拝は秋の実りを感謝するとともにキリストの身体性を確かめる礼拝に重なります。
キリストの誕生と復活に連なるものとして、世にあって「義に飢え渇きながら」天に召された兄弟姉妹を覚えて祈りましょう。みなさまの新しい一週間がますます主なる神に祝福されますように祈ります。みなさまぜひ一度わたくしどもの礼拝にお越しください。神の愛の力に励まされますよ。
おかげさまで降誕前第7主日礼拝を献げることができました。泉北ニュータウン教会ではこの日幼児祝福式が執り行われ、就学前の13名の乳幼児が親御さんともども神さまの祝福を授かりました。お子様方の表情も様々で、賑やかな礼拝となり嬉しく存じました。
礼拝前後にはマンスリーバザーを行い、次回聖日に行なう教会バザーへの期待と楽しみを募らせました。
多様化するこどもたちをめぐる環境は大人の目からは決して楽観視ばかりはできませんが、だからこそ将来へ向けた道備えが必要になります。礼拝に集う大人も背中で道を示すことができるようにと祈りました。
聖日礼拝後には教会学校で秋の遠足が行われました。毎年この季節には豊かな自然が広がる農園でミカン狩りを楽しんでいます。
ようやく本格的な秋の訪れを感じるようになりました。朝夕の冷え込みも日によっては厳しくなります。みなさまの体調に主なる神の支えがありますように祈ります。新しい一週間に主なる神の恵みが豊かにありますように。
―降誕前 第6主日礼拝―
――謝恩日礼拝――
時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 説教=「穏やかでない相手とともに暮らすには」
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』5 章 38~48 節
(新共同訳 新約 8頁)
讃美= 21-43-3,Ⅱ 41,21-29(544).
説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
―降誕前 第7主日礼拝―
――幼児祝福式礼拝――
時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
説教=「神の祝福につつまれるこどもたち」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』10 章 13 ~ 16 節
(新共同訳 新約 81頁)
讃美= 21-57,461,讃美ファイル 9,21-29(544).
説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
おかげさまで本日は降誕前第8主日礼拝、すなわち永眠者記念日礼拝を献げることができました。堺市では昨日までの豪雨がうって変わって雲ひとつない青空が広がりました。そのなかで午前には永眠者記念日礼拝、午後は「教会の活動を考える会・伝道委員会」を経て、堺公園墓地にある泉北ニュータウン教会墓地に集い、墓前礼拝と三名の教会員の納骨式を執行しました。
教会で執行される礼拝の終わりに献げる祝祷という祈りでは、泉北ニュータウンの場合、父なる神の愛、主イエス・キリストの恵み、聖霊の親しき交わりが「天に召された兄弟姉妹のもとに」との文言を加えています。キリストを通して天的存在となった信仰の先達とも、ともに礼拝を献げているとの願いから始めた祈りです。わたしたちは、天に召された家族や大切な人々、そして残念ながら世にあっては和解できなかった人々とも、ともに礼拝を献げております。 午後の教会墓地には西陽が差し込み眩しさのなかでの礼拝を献げましたが、あたかもそれは復活のイエスと出会った女性たちとともにいのちの光を分かちあうかのようでもありました。三名の教会員の納骨式にあたっても、いずれまた会えるとの充分な確信を授けられました。生の無常ではなく、死の終わりを喜び交わりを深めるのがわたしたちの弔いの究極の姿です。 いのちの凱旋門としての墓碑がそこには立っています。新しい一週間、いのちの神の祝福がみなさまとともにありますように祈ります。