おかげさまで晴れやかな青空のもと復活節第5主日礼拝をお献げできました。本日の説教のテキストは『ヨハネによる福音書』14章1〜9節に基づき「悩みごとをうけとめるためには」との至極日常的なタイトルのもと、14章10節の「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか」との箇所に至るまでのイエスと弟子の問答を扱いました。それは人の子イエスの愛が苦難をともにし担うものであれば、わたしたちはイエスを通して神に自らの苦難や辛さを「棚あげ」してもよいのではないのかとメッセージを聴きとったからです。
この着想は牧師自らの思いにもよりますが言葉にできた契機は日本基督教団王子北教会の沼田和也牧師の著書『弱音を吐く練習』に依るところが少なくありませんでした。
ライフステージが大きく変わるとき 時にわたしたちはこころを病むこともありますが 本来ならイエス・キリストが癒したはずのこの病に対して概して教会は一線を引きがちです。教会員の方々もその事実を隠して礼拝に出席するか礼拝から遠ざかるかという対応をしなくてはなりません。福音書に記された物語の筋書きとは正反対の方向を教会が向いてしまう場合も十分にあり得ます。
しかし今朝の礼拝では 教義学でいう「相互内在」の解釈として わたしたちは各々の苦しみをキリストに委ね 主なる神に棚あげすることによりその悩みから少しずつ解放されるとのメッセージを授かりました。神さまに献げるのは清らかな魂だけでなく どす黒く腐敗臭のする思い悩みも赦されるとのことばに 説教者自らも砕かれ癒されました。
ゴールデンウィーク明けて疲労が溜まる時 過労がこうじて判断に支障をきたす場合もあります。けれどもそのような疲れも失敗も主なる神はすべてご存じです。心病む時にこそ主イエスは癒しの時を備えてくださります。主のなる神の平安のもと新しい一週間を始めましょう。みなさまにキリストの平安を祈ります。