おかげさまで受難節第4主日礼拝を献げられました。昨日は泉北ニュータウン教会と建物をともにする「 こひつじこども園」の卒園式が執行され29名の園児さんが新たな門出を迎えました。その笑顔と瞳に背筋が伸びるとともに一抹の寂しさも残りました。
とはいえ過ぐる週には東日本大震災から数えて15年目の3月11日を迎えました。写真にはあの日の変わらないままの小学一年生の肖像があり イランでは米軍のミサイル攻撃により大勢の小学生や教職員が殺害されています。「神さまどういうことだ」という声が涙ながらの「アッラー・アクバル」には響きます。ランドセルを手にした母親が三陸沖に向けて名を呼ぶ姿も浮かんでまいります。
わたしたちは今が「受難節」であることを忘れてはいけません。そのなかで味わった『マルコによる福音書』9章では人の子イエスが山へ登ったところ真っ白な服をまとい輝く姿で『旧約聖書』の物語に登場するモーセやエリヤと語らう場面が描かれます。弟子はうろたえるばかりですが、モーセもエリヤも決して自己充足した平和に安らわずイスラエルの民の過ちにより働かざるを得なかった人々でした。モーセやエリヤの生涯は傍目には幸せだとは決して言えませんがアブラハムの神により絶対的に肯定されていました。
人の子イエスはさらにその肯定を超えて神のあふれるばかりの愛に満ちた生涯を十字架の上で全うしました。その苦しみが何よりもわたしたちとキリストとを結ぶ「軛(くびき)」となり イエス・キリストとともに生きる道を拓きます。さらに山の上で見せたその輝きは 復活したキリストの姿を先取りしています。
心ならずも望まずして天に召されたこどもたち。わたしたちには涙に暮れるばかりですが イエス・キリストはこの子たちを抱擁し祝福してやみません。さらにわたしたちにはこの愚かな争いや不十分な補償のなか苦しむ方々との連帯責任を求めます。ホルムズ海峡へ掃海艇を送ろうとする政府に甘んじるのではなく 彼の地の傷つき悲しむこどもたちに想いを馳せてこそのキリスト者です。主の平和を乞い願いつつ それぞれの日常に則して世の平和を追い求めましょう。
聖日礼拝後には臨時教会総会が開かれ次年度の役員担当者が選出されました。主の平和を願いこどもたちが笑顔となる環境を整えるべく祈りましょう。「これはわたしの愛する子 これに聞け」との本日のテキストのことばは今もわたしたちの心に響いています。


