本日は世界聖餐日・世界宣教の日記念礼拝を献げました。
中秋の名月を過ぎて、昼夜の温度差も激しくなってまいりました。老若問わず、みなさまのお身体の具合を案じつつ、祈りをともにいたしました。
巷では政党政治の歪みの問題が話題になっておりますが、わたしたちはさらに揺れ動く世に投げ出されているかのように思い込んでしまいます。
けれども、その中で投げ出された場所が、神さまの手のひらであったならと思います。
新型コロナウイルス感染症の抑止政策の基準が単なる経済性にのみ留まるのであれば、人々の心や文化は荒廃したものばかりになってしまうでしょう。病いに社会が毒される、とはそのような具合で進行していくのではないでしょうか。
聖書は、そして教会は、そのような短絡的な視点でのみ物事を考えはいたしません。神さまが備えた時間軸の中で、可能な限り多角的にいのちを考え、愛そうといたします。
イエスが救い主であると見抜いた人々は、決して多くはありませんでした。むしろその無力さに失望した人も多かったことでしょう。
しかし、本当の力は無力さの中に宿り、わたしたちの無力さや弱さをともにしてくださるものです。
一見するとまことに無力な花々が雨風に耐えて咲き続ける姿に、いのちの逞しさを感じます。
この1週間、神さまのあふれる祝福と平安がみなさまに臨みますよう祈ります。