2022年4月10日日曜日

久しぶりに通常の仕方で礼拝を献げることができました。

主なる神を褒め讃えます。

初夏の訪れを感じる朝、受難週を迎えました。わたしたちは久しぶりに通常の仕方で礼拝を献げることができました。キリストの御受難を覚えながらも、ともに喜びを分かちあいました。
新年度を迎えるにあたって、礼拝では中高生進級祝福式と教会学校教師任職式を執行しました。新しいライフステージを、時代のグレートチェンジの中で迎える中高生にますますの神様の祝福を祈りました。

未だ収束を見ない新型コロナ禍を上書きするかのように始まったウクライナ戦争も勃発からひと月あまり。丸腰のまま十字架を掲げて戦車の前に立ち射殺されたウクライナ正教の司祭がいます。

キリストの受難の道を今日の生活文脈の中でたどる人々は、たとえ動画撮影のカメラのフレームに収まらなくても無数におられることでしょう。

またそれはウクライナに限らずロシア、ミャンマーの人々にも言えることです。もちろん、わたしたちの身近なところにも、です。

この混迷の中であらためて「敵を愛しなさい」とのイエス・キリストの教えに耳を傾けます。そして20世紀の動乱の中で「わたしが愛するのは民族でも国家でもない。友人だ」との言葉を遺したハンナ・アーレントを思い起こします。

 

受難の道をたどったイエス・キリストに従い神の愛の証しを立てる道。それは人目を引くことでもメディアに注目されることでもありません。イエス・キリストが神の子として強さを振るったのではなく、弱さを祝福された事実を思い起こし、新しい一週間の指針といたしましょう。次世代もわたしたちの背中を見ています。

世界に神の平和が実現しますようにと祈り、各々の賜物に応じた支援ができますようにと願います。