2022年6月26日日曜日

聖霊降臨節第4主日礼拝を献げることができました

全国的に猛暑が続く梅雨の候、おかげさまで聖霊降臨節第4主日礼拝を献げることができました。みなさまのお具合はいかがですか。

本日の聖書の箇所では使徒パウロとシラスとが、占いの霊に満ちた女性の奴隷を正気にさせたことで、この女性を金づるにしていた親方衆に訴えられ、鞭打ちの刑を受けた上で牢に捕らえられるという物語が記されます。親方衆は自分たちがローマ市民であると主張して止まず、金づるとして役に立たなくなった女性の奴隷はその職を失います。しかしこの女性の儲けは親方衆に吸いあげられ、日銭程度の額すらも女性には支給されなかったことを考えると、むしろこの奴隷は足かせを神に砕かれて自由にされたと考えても差し支えないのでしょうか。


人は誰もが生業を抱えて生きていきますが、場合によればその生業が良心の許容範囲外であるという場合もあります。神の御旨とは異なるならばなおさらです。その歪みが現代ではハラスメントや差別、過労死につながることも稀ではありません。
 

根性論で無理筋を通すよりも、心身の健やかさを大切にしながら、神の祝福に満ちた働きを尊ぶ日を待ちたいと願います。おおらかさが社会から失われつつある現代、教会はその働きのロールモデルを見つけ、また授かる場所でもあります。新しい一週間、みなさまのあゆみに神がともにおられますよう祈ります。