おかげさまで本日も受難節第3主日礼拝を献げることができました。木蓮の花も咲き春もすぐそこまで訪れています。
花にせよ鳥にせよいのちの躍動を目の前にしますと心躍ります。けれどもわたしたちは12年前の東日本大震災ならびに東京電力福島第一原子力発電所爆発事故を思い起こさずにはおれません。「補償金が出るからいいじゃないか」との心ないことばを堪え忍びながら暮らす方々も今なお数知れません。
本日の礼拝では福島県浜通りの文化財でもある「相馬焼」という焼き物についてもお話しいたしました。青緑の釉薬に地域の特産であり「右に出るものなし」との象徴であるところの馬の絵が描かれ、細かなひび割れ模様で知られた相馬焼は、原材料となる土が原発の爆発によって四散した放射性物質をもろに受けた「汚染土」となり存続の危機に立たされました。まことに悔しいかぎりです。人間国宝として誉を得た匠でさえ廃業を余儀なくされて電力会社からの補償金で住まいを放棄、東京に越したのはよいものの、その腕を捨てて茫茫と日々を過ごさずにはおれないさまに誰が何を言えるというのでしょうか。
その只中でイエス・キリストは「たとえ全世界を手に入れても自分の身を滅ぼしたり失ったら何の得があろうか」と語ります。半ば絶望におかれた相馬焼に新たな生命を吹き込んだのは、日本全国をくまなく訪ね土を丹念に調べて「失われた相馬焼」の再興を試みた若い世代の陶工職人たちでした。
今、相馬焼は新たな世代によって継承されて窯元も再興されながら、困難を克服しようとしています。そこには「最後は金目」との言葉の立ち入る余地はありません。
焼きあがった相馬焼は「チリンチリン」とまるで風鈴か秋の虫のような音色を立てて特徴的なひび割れ模様を身に刻んでいきます。いのちの復活を先取りする音色がそこに響きます。
わたしたちもまた神の姿にかたどって創造された存在だと『創世記』は語ります。わたしたちが人の作った社会とは相入れない苦しみを味わうほどに、そのひび割れを担ってくださったイエス・キリストのあゆみを感じてまいりたいと願います。年度末で多忙な候ですが、みなさまとともに主なる神がおられますように新しい一週間も祈りを重ねてまいります。