ところで、『マタイによる福音書』の結びでは、復活したキリストを前にひれ伏しながらも弟子の中には「疑う者もいた」と明記されます。しかしキリストはそのような疑いに真剣には向きあわずに世界宣教の使命を委託します。福音書の物語が使徒の働きの物語へと転換する瞬間です。
思えば日本の近現代の文学の殆どは、キリストへの疑いを誇張するあまり、素直に受け入れる道に砂利を撒いてきたようにも思います。思索のなかでは幾らでも疑えますし、それでよいのかもしれません。しかし愛する人を失った方々の傍では、あらゆる饒舌は意味を失います。
死に勝利されたキリストは、わたしたちに大きな宿題を与えられました。それは世に神の平和を実現するという壮大なテーマの宿題です。悲しみに打ちひしがれている人とともに、涙にむせぶ人とともにキリストはともにおられます。そのような交わりを何よりも尊びたく、喜びを分かちあいたく願います。
みなさまの新しい一週間に、主なる神がともにおられますように祈ります。