ただし今朝の礼拝では直接にはヒロシマの話題には触れませんでした。それはあの日落とされた爆弾が核分裂を用いた最終兵器だと一般には知らされなかったことによります。むしろ礼拝ではポツダム宣言受諾告知前日、大阪市の京橋〜大阪城公園〜森ノ宮間の陸軍砲兵工廠を目標にした猛爆撃に触れて身近な戦争遺構に無知であった態度を牧師自ら戒め、こどもさんびか「せかいのこどもはおともだち」の歌詞より、世界のこどもたちが恐れず手を握り合える日を神は待ち望んでいるとのメッセージを受けとめました。
8月15日が平和の訪れた日ではなく、遺体の片付けと埋葬に汗を流さずにはおれなかった人々には、いわゆる「玉音放送」はいかに響いたことでしょう。むしろこの日から始まった生活のための戦いもあったのではないかと思います。
熱風吹き荒ぶ聖日でしたが、礼拝後には役員会も開催されて今年下半期へのあゆみを確認いたしました。
酷暑の盛りです。みなさまに主なる神の平安と憩いとがありますように。