おかげさまで、本日は聖霊降臨節第21主日礼拝を献げることができました。みなさまのお祈りとお支えに深く感謝申しあげます。
『ヨハネによる福音書』では青年ラザロの葬りに姉妹のみならずユダヤの民が深く悲しむなか、人の子イエスも深く憤りつつ興奮して涙を流す様子がリアルに描かれています。この場に記されたイエスは悟りを開いた者としてではなく、弟子たちが浅薄な理解のなか敵視していた人々と涙を流すなかで「涙の共同体」を形成していく様子を窺えるかと存じます。
世界聖餐日・世界宣教日礼拝として本日の礼拝は献げられましたが、世界をあまねく観るのみならず、わたしたちは奥能登の豪雨を始め日常のいたるところで「涙も枯れ果てた」無表情な悲しみに触れ、またわたしたち自らもそのような悲しみをどこかで味わってまいりました。そのような状況でのイエス・キリストの涙は、悲しいときや辛いときには「涙をこぼしてもよいのだ」とのあたたかさを示しているように思います。相手が信頼できる場合にのみ、わたしたちは安心して涙を流せるのです。
その悲しみの涙はやがてはラザロの甦りの出来事のなかで、キリスト自らの復活をさし示す輝きを帯びはじめます。涙を流すことは決して恥ではないのです。キリストはその涙を喜びへと向けていきます。
やがてその涙は神の統治が世に訪れるときには拭われてまいります。その喜びをめざして神の愛を証ししてまいりましょう。
礼拝後には役員会が開催され、教会バザーを含めて11月の予定と教会墓地のありかたを始め建設的な議論が交わされました。
晴天のもと行われた、こひつじこども園の「あそBOフェスタ」と土曜保育、放課後等デイサービスに続く聖日礼拝と午後のはなしあいを大切にしていただいた教会員の方々、また礼拝にご出席を賜ったりリモートにてご視聴くださった方々には厚く御礼申しあげます。新しい一週間に主なる神の祝福がますますありますよう祈ります。