2025年9月28日日曜日

2025年10月5日(日) 礼拝 予定

 ―聖霊降臨節第18主日礼拝―

――世界聖餐日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  


説教=「裸で生まれ、裸に還る」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』19 章13~23 節
(新約37頁) 

讃美= 74,21-155,讃美ファイル3,21-27.


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
 

聖霊降臨節第17主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第17主日礼拝を献げることができました。泉北ニュータウン教会では出張の牧師に代わり吉村厚信補教師による説教が行われました。礼拝の司会はすべて教会役員が担当してコロナ禍以前の体制が教会の聖日礼拝として整えられたこととなります。
 

吉村厚信補教師は1982年に同志社大学神学部を卒業しその後一般企業に就職され、その後大学院神学研究科博士前期課程に進まれました。

一般常識の酸い甘いを噛み分けた上での礼拝で語られたのは『コリントの信徒への手紙Ⅱ』12章1〜10節をテキストとした「弱さ」を軸とした説教でした。

強さばかり求める者はやがて人々の交わりに分裂をもたらすか、または慢心のなかで時が止まったかのような変化を拒むあり方に固執するほかありません。しかし使徒パウロはその弱さを通してこそ偽りのない交わりが育まれると説きます。それは他ならぬ人の子イエスの生き方と直結しています。
  

次回礼拝から10月を迎えます。特に次週聖日は『世界聖餐日』。弱さに潜むイエス・キリストの恵みは飢えや病に苦しむ人々と食を分かち合い、いのちの糧をともにされます。

吉村厚信先生に心よりの感謝を献げます。新しい一週間 新しいひと月のみなさまの歩みに 主なる神の祝福がますます豊かに臨みますよう祈ります。

2025年9月21日日曜日

2025年9月28日(日) 礼拝 予定

        ―聖霊降臨節第17主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「弱さ」
吉村厚信補教師

聖書=『コリントの信徒への手紙Ⅱ』12 章1~10 節
(新約339頁)
讃美=21-529(333),21-579(355),21-26


説教要旨は、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

YouTube中継・編集動画メッセージは
担当者不在のため休止します。

聖霊降臨節第16主日礼拝を献げることができました

少しずつ秋の足音を遠くに聞く候 おかげさまで聖霊降臨節第16主日礼拝を献げることができました。日中の陽射しは強いながらも夜半には秋の深まりを感じます。
 

本日は「さまよう羊を追いかける羊飼い」と題し『マタイによる福音書』18章10〜14節をテキストにして礼拝を執り行いました。よく知られた「九十九匹の羊の群から離れた一匹の羊」を追いかける羊飼いの譬え話。現場で働く羊飼いと牧場の経営者の羊への関わり方の違いにも触れながら 第一次産業 とりわけ家畜とともに暮らす困難さを分かち合わずにはおれませんでした。
 

現在ではすべての国産鶏卵にロット番号が刻まれています。徹底した衛生管理が工場にも似た設備にて行われていますが かつては病に罹患した鶏が一羽でも出れば鶏舎ごと処分しなくてはなりませんでした。鶏の餌屋との関係や人件費 損害を含めた収支報告のなかで倒産する農家も少なくありませんでした。

そのような困難のなかで採算度外視で一匹の羊を追いかける羊飼い。その姿は真面目を通り越して滑稽であり 牧場の経営者に褒められようとも思っていません。
 

けれどもこの羊飼いはひたすら迷い出た一匹の羊を追いかけます。もしあなたがその羊だったらどうされるでしょうか。

組織に馴染めず商品価値すら失った羊を追い求める羊飼いに初代教会の人々は救い主イエス・キリストの姿を重ねました。十字架よりも早期の教会の象徴にはこの羊飼いを仰ぐ姿がありました。群から外れた羊たちは身を守る何の武装も武器も持ってはいません。

だからこそイエス・キリストは羊飼いとして新しい週もわたしたちを導いてくださると確信します。この羊飼いを全面的に信頼して九月最後の週を歩んでまいりましょう。みなさまに主なる神の祝福と平安がますます臨みますように。
 
*なお次週聖日礼拝では牧師出張により動画配信と礼拝中継は行いません。重ねてご容赦ください。




2025年9月14日日曜日

2025年9月21日(日) 礼拝 予定

        ―聖霊降臨節第16主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「さまよう羊を追いかける羊飼い」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』18章10~14節
(新約35頁)
讃美=239,21-402(502),21-26


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
 

聖霊降臨節第15主日礼拝を献げました

おかげさまで聖霊降臨節第15主日礼拝を献げました。この日の聖日礼拝は長寿感謝の日礼拝とし この祝福には19名の教会員が授かりました。礼拝の後には記念写真を撮影しともに慶びを分かちあいました。
 

礼拝後には教会員だけでなく こひつじこども園職員 放課後等デイサービス こひつじ職員の職員研修を行いました。「教会とこども園(社会福祉法人)は車の両輪」との自覚に立つ事業体として祈りに始まり 祈りに終わるよき学びの会となりました。
 

聖書研究会 祈祷会 みのり会という平日定例集会がコロナ禍以前の状態にようやく戻りました。特に祈祷会にはコロナ禍以前よりも出席者が増えました。みなさまのお祈りには衷心より感謝申しあげます。
 

新しい一週間が始まります。みなさまの一日いちにちに主なる神の祝福と平和がありますように。世界の紛争地に一日も早く平和が訪れますよう祈ります。

2025年9月7日日曜日

2025年9月14日(日) 礼拝 予定

        ―聖霊降臨節第15主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  


説教=「神の輝く真珠を身につけて」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』13 章44~50節
(新約26頁)
讃美=517,520,Ⅱ 192(1 節のみ),21-26


説教要旨・動画、ライブ中継については、
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「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第14主日礼拝を献げることができました

みなさまのお祈りのお陰で本日は聖霊降臨節第14主日礼拝を献げることができました。
 

礼拝では『マタイによる福音書』13章24〜30節をテキストとして「麦と毒麦」をめぐる人の子イエスの譬え話を土台にメッセージを共有しました。

隣国との緊張関係が続く地域の田畑の主人は、本来ならば食用の麦であればまだしも、その実に毒素を含んだ毒麦の種子が蒔かれるならばしもべを用いて直ちに選別の作業にかかるのが常道のはずです。

しかしこの箇所の畑の主人はしもべの云う毒麦が本当かどうか分からないからもう少し時をおきなさいと命じるのです。

わたしたち人間の認識とはときに全体を把握せず一部を以て結論を出しがちです。しかしこの譬え話に描かれる麦畑の主人は慎重を期して選別を先延ばしにします。そのなかで人の尺度ではなく神の尺度でもって事態を収拾しようとするのです。
 

わたしたちはともすれば通俗道徳や身辺にはびこる「常識」でもってことの善悪を測りがちです。しかしこの譬え話に登場する畑の主人は早急な判断には立ちません。

思えばイエス・キリストはその時代に罪人として定められた人々のために十字架で処刑され その後に復活されました。この出来事のなかで「毒麦」として定められた人々も神の恵みの養いを授かったはずです。
 

言語や習慣の異なる人々がお互いを「毒麦」呼ばわりして排除しようとする現代 神の前の自己吟味に留まらず隣人を受け入れる第一歩として自らが毒麦であるとの立場を選ぶのも悪くはありません。

自らが毒麦と思い込んだ筈の難民や無国籍の方々 また家族のなかで「はみだしもの」として腫れもののように見なしている者との関係に神の真理が宿っているとの可能性は大いにあり得ます。それはほかならぬ「いのちの可能性」です。

偏見に基づく「選別と排除」を超えて イエス・キリストが毒麦の「毒」を清めてくださります。

だからこそわたしたちは「清められた者」として 社会の歪みに根をおろす差別やいのちへの冒涜に抵抗できるのです。

酷暑はまだまだ続きますが みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますように。主なる神がすべてのいのちを祝福されています。その確信をともに分かちあいましょう。