おかげさまで待降節第3主日礼拝を献げることができました。クランツの3本目のロウソク点灯が行われ いよいよイエス・キリストの誕生を迎える希望を備えられました。
『聖書』のテキストは『マルコによる福音書』冒頭の箇所。この福音書にはクリスマス物語は直接には描かれず「神の子イエス・キリストの福音の初め」と記され『旧約聖書』の『イザヤ書』が記載されます。
この箇所で重要な点はクリスマス物語は『旧約聖書』なしには理解できないというメッセージが前提になっているところです。
人の子イエスはユダヤ人でしたし、弟子もまたユダヤ人でした。諸国の民にイエス・キリストの福音を宣べ伝えた使徒パウロもまたもともとはその時代のユダヤ教の指導者層の一人でした。この事実を踏まえない場合 人の子イエスの教えや十字架での死、復活の理解は通俗道徳の域を出なくなる場合があります。時局におもねる「キリスト教」はこのような誤解から生じます。
現在の北米では多元化した宗教社会に対応するために「メリークリスマス」に代わって「ハッピーホリデイ」との挨拶が広まりつつあるとのことです。しかしこれもまた時局に過分におもねているような気がします。
メリークリスマスとの挨拶は 絶え間なく続く銃声の響きを止めた歴史がありました。クリスマス休戦は欧米だけではなく、日露戦争の一部戦域にもあったと聞きます。飼葉桶に眠るみどり児イエスの姿には世にあるすべての弱さが象徴されています。さらにはイエスの父ヨセフや母マリアもその時代の権力者ローマ帝国から税金を不当に搾取される貧しい人々として描かれます。このただなかでクリスマスの出来事は起きるのです。
神に祝福された弱さを尊び敬うところにクリスマスの真骨頂があります。病を抱えた人 貧しさに喘ぐ人 飢えに苦しむこどもたち 戦争に涙する家族の姿が イエス・キリストという窓を通してわたしたちの視界に入ってきます。
「神の子イエス・キリストの福音の初め」。この言葉はまさしくいまを生きるわたしたちに深い問いかけとともに迫ります。キリストに従うとはどのような道筋を示しているのか。心に刻みたい問いかけです。みなさまにクリスマスの主イエスの祝福を祈ります。



