ー聖霊降臨節第20主日礼拝 ー
―長寿感謝の日礼拝―2022年10月9日日曜日
聖霊降臨節第19主日礼拝を献げることができました
おかげさまで聖霊降臨節第19主日礼拝を献げることができました。日が進むにつれて秋が深まる昨日には、泉北ニュータウン教会に根をおろす「こひつじこども園」の「あ・そ・BOフェスタ」も園児さんや保護者の方々とともに笑顔と喜びのうちに開催できましたのもご報告申しあげます。コロナ禍で解体されてしまったかのように思えた交わりが、焼け跡に芽吹くツユクサのように逞しく根を広げています。
10月からは教会のわざがますます祝福されるシーズンを迎えます。次週は長寿感謝の日礼拝、10月23日(日)は止揚学園園長の福井生(いくる)先生をお招きしての特別伝道礼拝と続きます。
これからアドベント・クリスマスシーズンまで、教会のプログラムが「目白押し」となります。ただし忘れてはいけないのは「聖日礼拝」そしてイエス・キリストの恵みなしには、このようなプログラムはあり得ない、という一点です。このポイントを忘れてしまうのであれば、教会は単なる人の集まり以上ではなくなり、業績や世間体ばかりを気にする醜悪さを拭うことはできなくなります。
気忙しくなりがちな時こそ、神への讃美の祈りを忘れずにいたいものです。弱さこそ聖なるものであるとの神の愛を証しするための、教会のわざこそを尊びましょう。
みなさまの新しい一週間に、主なる神がともにおられますように。ハレルヤ!
10月からは教会のわざがますます祝福されるシーズンを迎えます。次週は長寿感謝の日礼拝、10月23日(日)は止揚学園園長の福井生(いくる)先生をお招きしての特別伝道礼拝と続きます。
これからアドベント・クリスマスシーズンまで、教会のプログラムが「目白押し」となります。ただし忘れてはいけないのは「聖日礼拝」そしてイエス・キリストの恵みなしには、このようなプログラムはあり得ない、という一点です。このポイントを忘れてしまうのであれば、教会は単なる人の集まり以上ではなくなり、業績や世間体ばかりを気にする醜悪さを拭うことはできなくなります。
気忙しくなりがちな時こそ、神への讃美の祈りを忘れずにいたいものです。弱さこそ聖なるものであるとの神の愛を証しするための、教会のわざこそを尊びましょう。
みなさまの新しい一週間に、主なる神がともにおられますように。ハレルヤ!
2022年10月2日日曜日
聖霊降臨節第18主日礼拝を献げることができました
おかげさまで聖霊降臨節第18主日礼拝を献げることができました。わたくしどもの教会では新型コロナ感染症対策のため通常形式の聖日礼拝を再開して二週目となり、本日の世界聖餐日での聖餐式は延期いたしました。しかしキリストの備えた食卓に連なりながら深い感謝のもと礼拝を献げられたのは、まさしく「冥利につきる」ところであり、礼拝後に行われた「教会の活動を考える会・伝道委員会(一般の教会で云う役員会の拡大版のような話し合い)」でも背中を押されたかのように濃密かつ建設的な協議を行えました。神の愛の力である聖霊の注ぎを確信したところです。
早いもので2022年も残り三か月となりました。長寿感謝の日礼拝、特別伝道礼拝ほか、教会のわざが祝福され目白押しとなるシーズンです。秋風を感じながら一つひとつのプログラム、週ごとの礼拝を尊び大切にしてまいります。
100年に一度と言われるパンデミックの中で、教会の交わりが決して崩れないものだと改めて感謝申しあげます。戦争の報せが絶えない世となりましたが、足下の課題へのとりくみと世界的な問題への向き合いは決して切り離されはしません。『聖書』に記された神はわたしたちを絶えず励まし支えてくださります。嬉しさも嘆きも神は祈りとして聞き届けてくださります。新しい一週間を感謝のもとに過ごしたく存じます。みなさまに主なる神の平和がありますように祈ります。
早いもので2022年も残り三か月となりました。長寿感謝の日礼拝、特別伝道礼拝ほか、教会のわざが祝福され目白押しとなるシーズンです。秋風を感じながら一つひとつのプログラム、週ごとの礼拝を尊び大切にしてまいります。
100年に一度と言われるパンデミックの中で、教会の交わりが決して崩れないものだと改めて感謝申しあげます。戦争の報せが絶えない世となりましたが、足下の課題へのとりくみと世界的な問題への向き合いは決して切り離されはしません。『聖書』に記された神はわたしたちを絶えず励まし支えてくださります。嬉しさも嘆きも神は祈りとして聞き届けてくださります。新しい一週間を感謝のもとに過ごしたく存じます。みなさまに主なる神の平和がありますように祈ります。
2022年9月25日日曜日
聖霊降臨節第17礼拝を、通常形式の聖日礼拝として、献げることができました
澄み渡る青空のもと、おかげさまで聖霊降臨節第17礼拝を献げることができました。とりわけ本日は、新型コロナ感染症流行第七波の後に執り行われた通常形式の聖日礼拝として、礼拝の喜びをことのほか嬉しく、また喜ばしく献げられ、感謝の極みでした。
みなさまには新しい一週間、新たな月が、神の祝福にますますあふれますよう祈ります。悲しみに満ちた時も、苦悩に頭を抱える時にも、主なる神はともにおられます。喜びにも痛みにもキリストがともにおられます。互いに祈りあいながら、新しい一週間をあゆみましょう。
本日の聖書の箇所は『マルコによる福音書』第14章3〜9節。イエスが「重い皮膚病の人シモン」の家に招かれ食卓をともにするという、物語は既に神の癒しを示す場面を前提にしています。
一般には「ナルドの香油を注いだ女性」に焦点が絞られがちですが、実は物語の前提がイエスの愛の癒しに満ちたところの、神の国のモデルとなっていることにわたしたちは気づいているでしょうか。
女性を咎めだてする人々に向かって「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」とのイエスの言葉には、代々の教会、とりわけ現代の教会に向けられた教会の責任が問われています。「わたしのものはわたしのもの」という独占的な考えを超えて、豊かさだけでなく貧しさをも分かち合うという態度が、十字架と復活のキリストを基とした教会には呼びかけられています。それは他ならない『聖書』からです。
2022年も残り三ヶ月となりました。教会総会で決定した通年プログラムの再編等に忙しいわたしたちですが、キリストに根をおろしていることを忘れずに、神の前に正直な態度で日々をあゆみたく存じます。それこそが最大にして無謬の証しであると言えます。
みなさまには新しい一週間、新たな月が、神の祝福にますますあふれますよう祈ります。悲しみに満ちた時も、苦悩に頭を抱える時にも、主なる神はともにおられます。喜びにも痛みにもキリストがともにおられます。互いに祈りあいながら、新しい一週間をあゆみましょう。
2022年9月18日日曜日
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