2025年3月16日日曜日

2025年3月23日(日) 礼拝 予定

      ―受難節第3主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  



説教=「涙と挫折こそ信仰の目覚め」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』16章13~23節

讃美=243.21-441(268).
21-88(Ⅱ255).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

受難節第2主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第2主日礼拝を献げることができました。礼拝中継の画像は一部乱れがあるとは言え、教会員のご指導により中継動画の放送も再開できました。ご協力ありがとうございました。
 

本日の『聖書』の箇所は「見えず 聞こえず 話せず」の三重苦を抱えた人が人の子イエスに癒やされ交わりを回復したものの、その癒しのわざが悪霊の頭ベルゼブルによるものだと指摘するその時代のユダヤ教の律法学者の横槍に対する抗弁に耳を傾けました。イエスは指摘に論争をもって向き合わず「神の国の訪れ」を律法学者にも告げ知らせました。否定に対する否定ではなく「あなたたちも神の愛の力につつまれている」との力強い宣言を聞いた思いでした。
 

昨日は教会とあゆみをともにする 「こひつじこども園」の卒園式でした。28名の園児さんが節目を迎えました。幼い日の思い出はいつしか長期的な記憶となり園児さんが22世紀をあゆむようになってもこころに刻まれているでしょう。
 

世界的な乱世や飢饉の噂の絶えない昨今ですが そのなかにあるからこそ教会の交わりは豊かに祝福されると確信しています。真夜中に灯された灯火としての役割を委託されているからこそ 否定に対する否定という不毛な悪循環ではなく 苦しみを担いながら世の悲しみを喜びに変えたキリストの十字架と復活を仰ぎたいと願います。
 

70年間草木も生えないと言われた灼熱の土地に芽生えた麦の芽をわたしたちは知っています。本日の箇所で文章そのものが受動態で記されているがゆえにその存在感の薄い、三重苦のただなかにいる人をイエスのもとに連れてきた無名の人のように わたしたちも愛のわざに励みましょう。みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福と支えを祈ります。

2025年3月9日日曜日

2025年3月16日(日) 礼拝 予定

       ―受難節第2主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「世の分断を乗り越えるキリストの愛」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』12章22~32節

讃美=Ⅱ-80.21-530(516).
21-88(Ⅱ255). 


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

受難節第1主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第1主日礼拝を献げることができました。礼拝中継の不具合から音声のみのライブとなりましたが、それ以上にキリストの受難の道を覚える候を今年も迎えたかと深く感じ入る礼拝でした。
 

『聖書』はキリストが荒れ野で悪魔から誘惑を受けるというよく知られた箇所がテキストでした。ただしこの箇所は人の子イエスが修行のためにおもむいた場ではなく、あくまでも神の霊の力によって導かれた場であるというところが大切になります。
 

悪魔は再三にわたりイエス・キリストに独占と神への不信、世界への神なき支配を語りかけますがその都度キリストは『聖書』を引用してはその誘惑を拒否します。キリストが味わった誘惑はわたしたちの日常に当たり前のように転がっていることを踏まえますと、どのような荒れ野でもキリストが苦しみをともにしながら歩みをともにしてくださるとの頼もしさを覚えます。
 

昨日までの悪が善とみなされ、分断と悲しみが世にあふれる今の世に、キリストが味わった荒れ野の試みは最終的には神の愛により勝利されるものとして描かれます。

さまざまな自然災害、戦争、金融危機の叫ばれる時代に誰を基準とするべきなのかを確かめられた礼拝でした。花咲き鳥さえずる季節、みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福を祈ります。とくに療養中の教会員の方々にイエス・キリストの深い癒しがありますように。

2025年3月2日日曜日

2025年3月9日(日) 礼拝 予定

      ―受難節第1主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「どんなときにも主なる神はいる」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』4章1~11節
(新共同訳 新約4頁)

讃美= 21-561(420).
21-566(536).21-88(255).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
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「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
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降誕節第10主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第10主日礼拝を献げることができました。春の訪れを思わせる雨天のもと、水仙や紅梅白梅のアンサンブルに励まされる朝でした。
 

聖日礼拝では『マタイによる福音書』14章22〜36節を味わいました。この箇所では劇的な「湖水のおもてを歩くイエス」の姿に現代人はつい関心を寄せてしまいますが、本日はむしろイエス不在の舟のなかで一晩中荒波にもまれ恐怖する弟子と、山でひとり献げられるキリストの祈りに注目しました。
 

『旧約聖書』でも『新約聖書』でも「激しい風に吹かれる水のおもて」とは混沌とした無秩序な世界を暗示すると申します。年度末の3月を迎えて多忙さを極める日々のみならず、当事者相手に人命を「カードゲーム」扱いする大国の指導者にあきれ果てた先週でした。
 

しかしそのような混乱におかれた弟子の乗る舟を、祈りという命綱で自らと堅く結んでくださります。舟には生まれたばかりの教会の交わりが示されています。
 

わたしたちはこれまでコロナ禍という激しい風のなかで教会の目指す岸辺をしばしば見失いかけました。しかしそのたびに主なる神は教会の新しい道筋、暮らしの新しい道筋をお示しになりました。その道は細く狭いものでしたが、決して閉ざされはしませんでした。
 

礼拝後には「教会の活動を考える会・伝道委員会」が設けられ、11名が出席しました。朝焼けに映える湖の彼方には、新たな岸辺が待っています。

今週には「灰の水曜日」があり、教会の暦は受難節を迎えます。キリストの苦しみはわたしたちの苦しみを癒やすに余りあるものでした。十字架の彼方に映るいのちの復活の光を待ち望みながら、この季節を過ごしたく願います。みなさまにキリストの祝福がますます豊かに臨みますように祈ります。

2025年2月23日日曜日

2025年3月2日(日) 礼拝 予定

     ―降誕節第10主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「わたしたちのめざす岸辺」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』14章22~36節
(新共同訳 新約28頁)

讃美= 21-529(333).
461.21-88(Ⅱ255).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。