おかげさまで降誕節第10主日礼拝を献げることができました。春の訪れを思わせる雨天のもと、水仙や紅梅白梅のアンサンブルに励まされる朝でした。
聖日礼拝では『マタイによる福音書』14章22〜36節を味わいました。この箇所では劇的な「湖水のおもてを歩くイエス」の姿に現代人はつい関心を寄せてしまいますが、本日はむしろイエス不在の舟のなかで一晩中荒波にもまれ恐怖する弟子と、山でひとり献げられるキリストの祈りに注目しました。
『旧約聖書』でも『新約聖書』でも「激しい風に吹かれる水のおもて」とは混沌とした無秩序な世界を暗示すると申します。年度末の3月を迎えて多忙さを極める日々のみならず、当事者相手に人命を「カードゲーム」扱いする大国の指導者にあきれ果てた先週でした。
しかしそのような混乱におかれた弟子の乗る舟を、祈りという命綱で自らと堅く結んでくださります。舟には生まれたばかりの教会の交わりが示されています。
わたしたちはこれまでコロナ禍という激しい風のなかで教会の目指す岸辺をしばしば見失いかけました。しかしそのたびに主なる神は教会の新しい道筋、暮らしの新しい道筋をお示しになりました。その道は細く狭いものでしたが、決して閉ざされはしませんでした。
礼拝後には「教会の活動を考える会・伝道委員会」が設けられ、11名が出席しました。朝焼けに映える湖の彼方には、新たな岸辺が待っています。
今週には「灰の水曜日」があり、教会の暦は受難節を迎えます。キリストの苦しみはわたしたちの苦しみを癒やすに余りあるものでした。十字架の彼方に映るいのちの復活の光を待ち望みながら、この季節を過ごしたく願います。みなさまにキリストの祝福がますます豊かに臨みますように祈ります。