おかげさまで受難節第1主日礼拝を献げることができました。礼拝中継の不具合から音声のみのライブとなりましたが、それ以上にキリストの受難の道を覚える候を今年も迎えたかと深く感じ入る礼拝でした。
『聖書』はキリストが荒れ野で悪魔から誘惑を受けるというよく知られた箇所がテキストでした。ただしこの箇所は人の子イエスが修行のためにおもむいた場ではなく、あくまでも神の霊の力によって導かれた場であるというところが大切になります。
悪魔は再三にわたりイエス・キリストに独占と神への不信、世界への神なき支配を語りかけますがその都度キリストは『聖書』を引用してはその誘惑を拒否します。キリストが味わった誘惑はわたしたちの日常に当たり前のように転がっていることを踏まえますと、どのような荒れ野でもキリストが苦しみをともにしながら歩みをともにしてくださるとの頼もしさを覚えます。
昨日までの悪が善とみなされ、分断と悲しみが世にあふれる今の世に、キリストが味わった荒れ野の試みは最終的には神の愛により勝利されるものとして描かれます。
さまざまな自然災害、戦争、金融危機の叫ばれる時代に誰を基準とするべきなのかを確かめられた礼拝でした。花咲き鳥さえずる季節、みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福を祈ります。とくに療養中の教会員の方々にイエス・キリストの深い癒しがありますように。