おかげさまで受難節第2主日礼拝を献げることができました。礼拝中継の画像は一部乱れがあるとは言え、教会員のご指導により中継動画の放送も再開できました。ご協力ありがとうございました。
本日の『聖書』の箇所は「見えず 聞こえず 話せず」の三重苦を抱えた人が人の子イエスに癒やされ交わりを回復したものの、その癒しのわざが悪霊の頭ベルゼブルによるものだと指摘するその時代のユダヤ教の律法学者の横槍に対する抗弁に耳を傾けました。イエスは指摘に論争をもって向き合わず「神の国の訪れ」を律法学者にも告げ知らせました。否定に対する否定ではなく「あなたたちも神の愛の力につつまれている」との力強い宣言を聞いた思いでした。
昨日は教会とあゆみをともにする 「こひつじこども園」の卒園式でした。28名の園児さんが節目を迎えました。幼い日の思い出はいつしか長期的な記憶となり園児さんが22世紀をあゆむようになってもこころに刻まれているでしょう。
世界的な乱世や飢饉の噂の絶えない昨今ですが そのなかにあるからこそ教会の交わりは豊かに祝福されると確信しています。真夜中に灯された灯火としての役割を委託されているからこそ 否定に対する否定という不毛な悪循環ではなく 苦しみを担いながら世の悲しみを喜びに変えたキリストの十字架と復活を仰ぎたいと願います。
70年間草木も生えないと言われた灼熱の土地に芽生えた麦の芽をわたしたちは知っています。本日の箇所で文章そのものが受動態で記されているがゆえにその存在感の薄い、三重苦のただなかにいる人をイエスのもとに連れてきた無名の人のように わたしたちも愛のわざに励みましょう。みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福と支えを祈ります。