2025年8月3日日曜日

2025年8月10日(日) 礼拝 予定

    ―聖霊降臨節第10主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「病の人を招く主イエス・キリスト」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』9章9~13節
(新約15頁)
讃美=21-371,21-402(502),21-24(539)


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第9主日礼拝 平和聖日礼拝を献げることができました

みなさまのお祈りのおかげで聖霊降臨節第9主日礼拝 平和聖日礼拝を献げることができました。満洲事変以来15年にも及んだアジア・太平洋戦争の敗北を大日本帝国が認めてから80年を数える今年です。
 

テキストは『マタイによる福音書』8章5節から13節。病に苦しむ僕(しもべ)を案じたローマ帝国の百人隊長(小隊〜中隊を指揮する下級将校)の願いを聞き入れたイエス・キリストがその僕を癒やすという物語の解き明かしとなりました。
 

戦後80年の今となりますと 戦争体験者といえども戦火の嵐をくぐり抜けた「こどもたち」の世代が中心となり 従軍経験者の数は極端に少なくなります。実体験のない戦争論はいきおい安っぽいロマン主義的な物語をもたらし「もしもハイオクタンの燃料があれば日本の戦闘機は米国に勝っていた」というような仮想戦記をもたらしがちです。しかし実際にはそのような燃料の兵站が絶たれたからこそ敗戦となった現実を見ずに再軍備や核武装を語る政治家が後を絶ちません。

むしろ人の子イエスは本来ならば敵となるはずのローマ軍の下級将校の願いを聞き入れてその僕の病を癒しました。イエス・キリストはこの時点で「愛敵の教え」を自ら証ししています。

ひょっとしたら兵卒にもならかった一軍属の僕に向けられた百人隊長の願いは 負傷し手に負えなくなった兵士に安楽死を強要した日独ソ聯・連合軍の将校とは態度が全く異なります。慢性的な紛争が続くなか、部下を想うこの祈りをイエス・キリストは受け入れました。

パレスチナ、ウクライナ、インドシナ半島と銃声のもと民間の老若男女・こどもたちが犠牲になる今こそ、イエス・キリストの垣根を越えた神の愛に根ざす働きが求められているのではないでしょうか。現在のところ日本には多くの国から人々がお越しになり 医療・福祉・小売店の現場でお働きになっています。平均年齢50歳と言われる逆三角形の人口を筒形のかたちにするためにもお働きになる方々を悪しざまに扱ってよいはずがありません。

わたしたちは戦争の被害者であるとともに加害者でもあります。加害者としての責任を自覚しながらも海外からの旅人を受け入れたいと願います。差別は排除につながります。しかし区別は本来なら相手への理解に基づいた配慮へとつながります。そのような態度をキリストに従うなかで体得し 明日への希望の光を灯したいと願います。

2025年7月27日日曜日

2025年8月3日(日) 礼拝 予定

    ―聖霊降臨節第9主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「平和を実現するイエス・キリスト」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』8 章5~13節
(新約13頁)
讃美=21-561(420),531,
「主の食卓を囲み」(讃美ファイル3),21-24(539).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
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「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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聖霊降臨節第8主日礼拝をお献げできました

みなさまのお祈りのおかげで 聖霊降臨節第8主日礼拝をお献げできました。2025年7月最後の聖日礼拝となります。
 

本日の礼拝では「あなたがたの土台はどこにあるのか」とのタイトルで 『聖書』箇所を『マタイによる福音書』第7章21〜29節とし、祈りのあり方について分かちあいました。

「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』というであろう」との言葉がイエス・キリストの声として記されます。しかしこの声には「あなたたちのことは全く知らない」との言葉が向けられます。なぜでしょうか。

それはこの声が自らの業績を誇り承認願望を激しく満たそうとする欲求にあふれているからだと本日は思わされました。イエス・キリストはわたしたちを砕き 絶えず新たにしはしても『白雪姫』の魔法の鏡のようなお方ではありません。むしろ自らのいたらなさや弱さに嘆く人々の声なき声をお聞き届けになります。
 

世の巷には誰もが飛びつくような甘い言葉にあふれる時もあります。選挙の際の「公約」やキャッチフレーズに満ちたコマーシャルの大音響にわたしたちのこころは時として惑わされ麻痺し削られます。

だからこそ聖日礼拝には『聖書』の言葉から響く静かな声を傾聴し キリストに深く根をおろした判断力を養いたいと願います。
 

蝉時雨続く教会の祈り。新しい週・新たな月も みなさまの疲れがキリストに癒され 神の愛によって励まされますように。酷暑が続きます。ともに主の平安を祈ります。

2025年7月20日日曜日

聖霊降臨節第7主日礼拝を献げることができました

蝉時雨響き渡る今朝 わたしたちはみなさまのお祈りのおかげで聖霊降臨節第7主日礼拝を献げることができました。
 

聖日礼拝には新来会者が1名お越しくださったほか 礼拝後には「たけしろみんなの食堂」がありました。

聖日礼拝の説教のテキストは『マタイによる福音書』7章7〜12節。「求めなさい。そうすれば、与えられる」を始めとした箇所。「だから、人にしたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」と終わる本日の聖句。それは名もなき群衆にナザレのイエスが語った『律法(トーラー)』、『預言者(ネビイーム)』という書物。それはその時代のユダヤ教で繰り返し味わわれていた「正典」でした。だからこそ文字の読めない人でも話を聴き、神の愛のわざに励む喜びを分かち合えるとの希望を授けられました。
 

国政選挙の一日。他者を激しく非難し排除しようとの動きが社会で広まる中だからこそ 異なる民のあいだで 互いに支えあい奉仕する愛情を深めてまいりましょう。キリストが説いたのはまさしく仕えあう奉仕の共同体でした。その交わりは確かに神の愛の統治である「神の国」を先取りしていました。人は変わり世は移りますが主イエス・キリストはその御旨を成し遂げられます。

そのあゆみにどれほど多くの困難を伴おうとも キリストはその交わりの中心にいてくださいます。そこには誰かを切り捨て 見捨てるわざはいっさいありません。
 

本日も猛暑の一日です。存分に身体を養い 新しい一週間を主なる神に委ねてまいりましょう。

イエス・キリストの祝福がみなさまとともにますます豊かに臨みますように祈ります。

2025年7月27日(日) 礼拝 予定

    ―聖霊降臨節第8主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「あなたがたの土台はどこにあるのか」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』7 章21~29 節
(新約12頁)

讃美=21-514(449),21-458(270),Ⅱ-171.

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2025年7月13日日曜日

2025年7月20日(日) 礼拝 予定

    ―聖霊降臨節 第7主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

 

 
説教=「求めは分かちあいにより満たされる」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』7 章 7~12 節
(新約11頁)

讃美=217,21-459(354),Ⅱ-171. 

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聖霊降臨節第6主日礼拝を献げられました

おかげさまで聖霊降臨節第6主日礼拝を献げられました。朝から日差しが強く 地球の温暖化か何かがあるのかしらぬと汗を拭いながら感じた朝でした。
 

しかしこのような暑さも人間社会が排出するCO2だけが原因だけではなさそうです。今から200年ほど前には世界的には極々わずかな氷河期にあったと申しますし お子さんの大好きな中世代のジュラ期の気温は40度を超えていたという説もあります。いずれにせよ人智を超えた天地の創造主に委ねなければ分からない事象は今でも山ほどあります。そのような地質学的な時間では人の命は一瞬のきらめきのようでもありますが だからこそかけがえのない大切な光を放っています。

国政選挙が近づくに連れて街宣車を始めとした選挙活動が盛んになります。争点は「給付金」「消費税」になりそうですが わかりやすい反面 大切な医療・福祉政策や移民の方々への人道的な向きあい方が実に雑に扱われているようでもあります。教会では週に一度は問われる「すべての人に開かれた」というありかたが世にあってはいかに困難か思い知らされます。しかしわたしたちは勇気を出さねばなりません。「キリストはすでに世に勝っている」からです。その思いを常に胸に秘めて世の道筋を見極めたく願います。
 

昨日7月12日(土)には  こひつじこども園で「お楽しみ会」が開催されて 園児さんや保護者の方々 卒園児の方々もたくさんお見えになりました。備えを担った職員の方々の疲れが十分に癒やされますようにと祈ります。

新しい一週間が始まります。集中豪雨などの自然災害への注意を怠らないようにしつつも みなさまが主なる神の祝福のなかで癒され 励まされますよう祈ります。

2025年7月6日日曜日

2025年7月13日(日) 礼拝 予定

   ―聖霊降臨節 第6主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「心、神の愛の力にあふれて」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』6 章24~34 節
(新約10頁)

讃美=21-342(183),461,Ⅱ-171.

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聖霊降臨節第5主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第5主日礼拝を献げることができました。朝から猛暑のなか こども園関係者、放課後デイサービス関係者や教会関係者に整えてくださった礼拝堂には涼やかな風が吹き 聖書のメッセージと讃美を分かちあう大切なときを授かりました。
 

メッセージは『マタイによる福音書』での「誓ってはならない」との人の子イエスの教えを通して『旧約聖書』の士師エフタの誓いのもたらした悲劇に人が自ら立てた誓いの限界を考えました。
 

エフタはイスラエルの民のために異民族のアンモン人との戦いを指揮して勝利を収めますが 戦の前に神に誓った「もし勝利を収めるなら帰途家の扉から出てきた者を生け贄として献げます」との誓いを立ててしまいます。アンモン人との戦いに勝利したイスラエルの民でしたがエフタは凱旋を祝い家から出迎えた一人娘を「取り返しのつかないことをした」と悲しみながらも犠牲にします。イスラエルの勝利は民には喜びでしたがエフタには深い悲しみとして刻まれました。勝利に酔いしれるイスラエルの民への深い問いかけがなされます。

わたしたちは誓いを立てるにしても「YESにはYES 、NOにはNO」と答えるにしても絶えず不安と目先の結果に苛まれる愚か者です。だからこそ神は自ら人に対する誓いをお立てになりました。それは『創世記』にあるように「死んではならない」との約束です。この約束はイエス・キリストの復活と使徒たちの宣教活動に実現かつ発展してまいります。

『旧約聖書』に彫り込まれた人の悲しみがイエス・キリストを通して明らかになった神の約束の実現により癒されるという物語。いかなる時にもわたしたちとともにあるいのちの希望として輝いています。
 

礼拝後には「教会の活動を考える会・伝道委員会」を行いました。牧師はその後 日本基督教団いずみ教会で行われた牧師就任式に出席しました。

七月が始まりました。暑い日々が続きます。夏の疲れを主なる神が癒し みなさまの新しい一週間がますます祝福されますように祈ります。

2025年6月29日日曜日

2025年7月6日(日) 礼拝 予定

   ―聖霊降臨節第5主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  


説教=「神の言葉に打ち砕かれて」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』5章33~37節
(新約8頁)

讃美=21-436(515),522,Ⅱ-171.


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聖霊降臨節第4主日礼拝を献げることができました

おかげさまで6月最後の聖日礼拝である聖霊降臨節第4主日礼拝を献げることができました。近畿地方も梅雨明け宣言が出され夏空の広がる朝を迎えました。
 

本日の『聖書』は『マタイによる福音書』5章13〜16節の「あなたがたは地の塩・世の光」だとの人の子イエスの「山上の垂訓」と呼ばれる教え。『新約聖書』の生活文脈で呼ばれる「塩」とはわたしたちの用いる「食卓塩」というより岩場から掘り出した岩塩に近いもので、塩化ナトリウムのほかにたくさんのミネラルが含まれています。だからこそ「塩気のなくなった塩」という言葉をイエスは語ったのではないでしょうか。

現代のような精製方法のなかった時代には塩はまことに貴重。健康の維持にも欠かせませんでしたがその恩恵にあずかる人々は決して多くはなかったはずです。日本でも1997年までは専売制でした。良質な岩塩は鉱山奴隷の犠牲のもと多くはローマ帝国に奪われていったことでしょう。だからこそ「よき塩」は貴重でした。

また「世の光」に重ねられる「ともしび」もまた決して煌々と室内を照らすのではなく皿に入れた植物油に糸の芯を垂らし灯された実に小さな光でした。だからこそ燭台の上に置いてその小さな灯りを最大限に用いる工夫がなされました。隙間風が吹けばフッと消えてしまうような炎です。

『マタイによる福音書』6章22節でイエスは「からだのともしびは目である。目が澄んでいれば、あなたの全身は明るい」と語ります。神への讃美の喜びに溢れるとき 世にあって苦しみ悲しむ人々は喜び輝きます。キリストにつながる人とは暮らしのなかでさまざまな弱さや苦しみ、そして痛みを抱えている人々です。人の子イエスはそのような人々との交わりを積極的に育まれました。老若を問わずそのような交わりに触れて ともに苦しみを分かちあいたいと願います。2025年も残すところ半年となりました。みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福を祈ります。

2025年6月22日日曜日

2025年6月29日(日) 礼拝 予定

  ―聖霊降臨節第4主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「掘り起こされた塩、闇を照らすともしび」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』5章13~16節
(新約6頁)

讃美=21-505(353),21-504(285),21-26.


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聖霊降臨節第3主日礼拝を献げることができました

おかげさまで梅雨の中休みの猛暑日でも守られて 聖霊降臨節第3主日礼拝を献げることができました。
 

『聖書』は『使徒言行録』17章30〜34節のテキストをもとに ギリシアの都市アテネを訪ねた使徒パウロが アレオパゴスの広場でメッセージを語ったのにも拘わらず 死者の復活に話が及ぶと集う人々の殆どには嘲笑や無理解を招いたとの話で始めました。

かつて使徒パウロのアテネでの宣教は パウロ主義に批判的な現代の研究者や牧会者には「失敗した」または「うまくいかなかった」と評される場合が目立ちました。しかし『使徒言行録』の書き手集団はこうした現代的な成果主義に通じる評価には関心を寄せません。むしろ「アレオパゴスの議員ディオニシオ」「女性ダマリス」「その他の人々」がパウロのメッセージに触れて入信した者がいたと記します。

思えば古代ギリシアの都市アテネは城壁に囲まれた都市(ポリス)のなかで市民による話し合いにより政治が行われる民主制で運営されていたとされます。しかしその民主制とは一切の労働を人格を認められず売買された奴隷に委ねて成立しており 現代の民主主義とは全く異なります。

イエス・キリストの教えに触れて受け入れた人々はそのような身分制度から解放された世界へと羽ばたいていきました。キリストの祝福はすべての人々に等しく臨むからです。支配する側もされる側もそのような抑圧による関わりから解放されてあゆむにいたります。

期せずしてわたしたちもまた「分かる」事柄はよいことで「分からない」案件は退けるべき事柄として受けとめがちです。しかし人生のすべてが説明され 分かりきった気になるのも浅薄な話です。

「人生曰く不可解」だからこそ老若を問わず胸がときめくのであり そのときめきの果てには死を乗り越える「復活」の出来事があると『聖書』は語ります。むしろ「分かりきった態度」に内在する傲慢さをイエス・キリストは誡めるのではないでしょうか。

礼拝での「執り成しの祈り」では沖縄慰霊の日や世界のあちこちで起きている紛争や戦争には勝者がいない旨を踏まえて世界の平和のために祈りを献げました。
 

礼拝後は「たけしろみんなの食堂」と(福)地球の園 定例評議員会を行いました。多くの方々に教会とこひつじこども園・放課後等デイサービスこひつじが支えられていると実感し感謝の念にあふれた一日でした。みなさまに主なる神の祝福がますます豊かに臨みますよう祈ります。

2025年6月15日日曜日

2025年6月22日(日) 礼拝 予定

  ―聖霊降臨節第3主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「神には決して『無駄』はない」
稲山聖修牧師

聖書=『使徒言行録』17章30~34節
(新約248頁)

讃美=21-405(225),21-516,21-26.


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聖霊降臨節第2主日礼拝を献げることができました

おかげさまで前日の雨から一転した天候のもと聖霊降臨節第2主日礼拝を献げることができました。
 

聖書は『マタイによる福音書』11章25〜30節のテキストをもとに 生きづらさを見捨てないイエス・キリストのメッセージ「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」をともに味わいました。
 

近年 日本人の10〜30代の死因が脳疾患・心疾患・悪性新生物などによる疾病を超えて自死が一位となっています。「生きづらさ」とまとめるのは簡単ですが それにしてはあまりにも疲弊し人生に絶望する方々が多すぎます。

こころの病はその人の気質や生きる態度という個人に完結するものではなく関係性に障りをきたした場合 その危険水域をつらさや心痛が超えたときに生じると言われます。例えば過度の飲酒を止めたところで当事者を囲む社会のあり方を新たに構築し直さなくては問題の解決にはいたりません。

他の病気とは異なり 癌とこころの病は医学的にも「完治」とは表現しません。あくまでも症状が抑えられ 進行が止まっているとの意味で「寛解」と表現されます。この理解がないと当事者の生きづらさに共感し支援するわざは困難です。

イエス・キリストはその人のもつ重圧を魔法のように消し去るのではなく「わたしの軛(くびき)を担いなさい」と説きます。軛とはもともとは複数の牛や馬が離れていかないように首や肩をロックする枷を意味します。そのような枷によってわたしたちもキリストと繋がっているというのです。

この枷はわたしたちが重荷に耐えかねて崖から落ちてしまったり暴走したりする態度を押しとどめます。いわば「いのちの絆」としての交わりを育みます。
 

心労が溜まりやすい候となりました。どうか雨水を受けてますます鮮やかに咲く紫陽花のような落ち着きとみずみずしさに輝く一週間となりますように。みなさまに主なる神の励ましと聖霊によるますますの祝福を祈ります。そして争いに満ちた世界に一日も早く神の平和が訪れますように。

2025年6月9日月曜日

2025年6月15日(日) 礼拝 予定

 ―聖霊降臨節 第2主日礼拝―


時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「イエスは必ず生きづらさを分かちあう」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』11 章25~30 節
(新約20頁)

讃美=21-351(66),Ⅱ.191,21-26.


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2025年6月8日日曜日

ペンテコステ礼拝をこどもの日・花の日礼拝と重ねてお祝いしました

おかげさまで聖霊降臨節第1主日礼拝、すなわちペンテコステ礼拝をこどもの日・花の日礼拝と重ねてお祝いしました。礼拝堂には教会員・教会関係者とならんで、こども園の職員の先生方・園児さんや保護者の方々もお越しくださり、今働く神の愛の力である聖霊がキリストを通してわたしたちに注がれている喜びを確かめました。
 

「神」や「イエス・キリスト」に較べて「聖霊」とはわたしたちに馴染みの薄いことばです。しかしこの聖霊なくしてキリストとわたしたちとの関わりや大切な人々との愛に満ちた交わりを語るのは『聖書』では困難です。

聖霊はしばしば「風」に重ねられます。人が設けた壁や境界をなぎ倒し あらゆる人々との胸ときめく出会いを創造する神の力です。人にとって重要な多様性を尊ぶ交わりは この聖霊のわざなしには考えられないと『聖書』は語ります。
 

大切な関わりは目にこそ見えませんが だからこそ人にとって不可欠な「思いやり」や「誰かを慈しむ気持ち」は疎かにはできません。聖霊とは現代人に求められる関係概念でもあるのです。

礼拝ではこども園職員による創意工夫に満ちたプログラムが展開し 出席したこどもたちの笑い声にあふれました。きっとイエス・キリストの周りにも こどもたちの笑顔が絶えなかったことでしょう。
 

礼拝後には教会学校を中心にして日ごろからお世話になっている公共施設・社会福祉施設に感謝のお花をお届けしました。

今週から本格的に梅雨を迎えるとのことです。みなさまのお身体が主なる神に支えられますます祝福されますように祈ります。


2025年6月1日日曜日

2025年6月8日(日) 礼拝 予定

―聖霊降臨節 第1主日礼拝―

―子どもの日(花の日)ペンテコステ礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「神様の愛に背中を押されて」 
稲山聖修牧師

聖書=『使徒言行録』2 章1~4 節 
(新約214 頁)

讃美=(改)こどもさんびか106,
「ワワワいっしょに」,21ー81,
(改)こどもさんびか114.


当日の礼拝のライブ中継については、
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礼拝前日の夜までに掲載します。

復活節第7主日礼拝を迎えることができました

おかげさまで復活節第7主日礼拝を迎えることができました。西方教会の教会暦ではキリストの昇天日となります。
 

しばしば誤解を受けるのはわたしたちが生涯をまっとうした「召天」と復活後のキリスト自ら天に昇られた「昇天」です。召天と昇天との間には根本的に異なる質があります。

それはキリストが天に昇られる折に弟子を筆頭に世のすべてを祝福されたとの理由によります。本来ならば何ら祝福されるいわれのない弟子を含めてやぶれに満ちた世を祝福されたところに本日の聖書箇所、すなわち『ルカによる福音書』の真骨頂があります。
 

祝福に値する世であればキリストは祝福する必要はないでしょう。しかし世界を見渡せば混乱のなかで苦しみ悲しむこどもたちや病に罹患した人、貧困に苦しむ人は後を絶ちません。

その世界はキリストの祝福により前をむき神の希望を授かり、たがいに支えあう希望と交わりを育みます。いかなる姿であってもその祝福の実りは変わりません。その多様性にわたしたちは驚嘆せずにはおれません。
 

来週には「聖霊降臨節」を控えます。わたしたちの日常と世界を結ぶ神の愛のわざを確かめる聖日礼拝となります。この期間わたしたちは貧困に苦しむ人 不治の病に苦しむ人 こころの病に苛まれる人 ウクライナやパレスチナで苦しむこどもたち 南米やアフリカでレアメタル掘削のために奴隷のように扱われるこどもたちを覚えて祈りましょう。神の平和はまさしくその人たちのためにあるからです。

新しい月を迎えます。新しい週を迎えます。みなさまに主なる神の祝福がますます豊かに臨みますように祈ります。

2025年5月25日日曜日

2025年6月1日(日) 礼拝 予定

―復活節 第7主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「キリストに祝福される世界」
稲山聖修牧師

聖書=『ルカによる福音書』24章44~53節
(新約161頁)

讃美=158,21-530(403),21-26.


説教要旨・動画、ライブ中継については、
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なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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おかげさまで復活節第5主日礼拝を献げることができました

沖縄県や九州南部に梅雨入り宣言が出されるなか おかげさまで復活節第5主日礼拝を献げることができました。教会学校にはいつもと劣らぬ賑わいのなかこどもたちがつどい NPO法人「たけしろみんなの食堂」の備えにあたるボランティアの方々が集うなか 聖日礼拝も豊かに祝福されました。
 

本日の『聖書』は『マタイによる福音書』6章5〜9節の「人の子イエスの伝える祈り」の箇所。この箇所には世にいう「主の祈り」の雛形が記載されています。興味深いことにイエスは「神」ということばを使わずに「天の父」と呼んでいます。

現代ではこのような表現をして「父権主義的だ」との指摘もあるかもしれません。けれどもこの箇所で云う「天の父」とは「天のとうちゃん」とも読み取れる語が用いられています。現代先進国よりもはるかに肉体労働に依存した社会  また治安の不安定な時代には父親が早逝した家庭も多かったことでしょう。神を「天のとうちゃん」に重ねるほうがはるかに人々の心に迫る祈りとなったに違いありません。
 

家族が「ともにちゃぶ台を囲む」よりもそれぞれが好きな時間に食事を摂るようになった今 その絆はかつてより希薄になっています。それだけでなく何十年も部屋に閉じこもり外部との接触を絶ってしまう家族すらわたしたちの身近なところにいる時代です。

もし肩の力を抜いて「とうちゃん」「かあちゃん」と呼べたなら 血のつながりのありやなしやを問わず 新しいあゆみをともに始められるはずです。
 

主の祈りとはそのような関わりをわたしたちが回復する大切な契機となる祈りです。決して難解な祈祷文ではありません。人の子イエスの伝えた祈りは ピシャリと閉められたわたしたちの心のふすまを少しずつ開くあたたかさに満ちています。

5月の聖日礼拝を終えて 次回からは6月のプログラムが始まります。みなさまに父なる神のますますの祝福が臨みますように祈ります。

2025年5月18日日曜日

2025年5月25日(日) 礼拝 予定

―復活節 第6主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「人の子イエスの祈り」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』6 章5~15 節
(新約132頁)

讃美=308,21-512(326),21-29.

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。


復活節第5主日礼拝をお献げできました

おかげさまで晴れやかな青空のもと復活節第5主日礼拝をお献げできました。本日の説教のテキストは『ヨハネによる福音書』14章1〜9節に基づき「悩みごとをうけとめるためには」との至極日常的なタイトルのもと、14章10節の「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか」との箇所に至るまでのイエスと弟子の問答を扱いました。それは人の子イエスの愛が苦難をともにし担うものであれば、わたしたちはイエスを通して神に自らの苦難や辛さを「棚あげ」してもよいのではないのかとメッセージを聴きとったからです。
 

この着想は牧師自らの思いにもよりますが言葉にできた契機は日本基督教団王子北教会の沼田和也牧師の著書『弱音を吐く練習』に依るところが少なくありませんでした。

ライフステージが大きく変わるとき 時にわたしたちはこころを病むこともありますが 本来ならイエス・キリストが癒したはずのこの病に対して概して教会は一線を引きがちです。教会員の方々もその事実を隠して礼拝に出席するか礼拝から遠ざかるかという対応をしなくてはなりません。福音書に記された物語の筋書きとは正反対の方向を教会が向いてしまう場合も十分にあり得ます。

しかし今朝の礼拝では 教義学でいう「相互内在」の解釈として わたしたちは各々の苦しみをキリストに委ね 主なる神に棚あげすることによりその悩みから少しずつ解放されるとのメッセージを授かりました。神さまに献げるのは清らかな魂だけでなく どす黒く腐敗臭のする思い悩みも赦されるとのことばに 説教者自らも砕かれ癒されました。
 

ゴールデンウィーク明けて疲労が溜まる時 過労がこうじて判断に支障をきたす場合もあります。けれどもそのような疲れも失敗も主なる神はすべてご存じです。心病む時にこそ主イエスは癒しの時を備えてくださります。主のなる神の平安のもと新しい一週間を始めましょう。みなさまにキリストの平安を祈ります。

2025年5月11日日曜日

2025年5月18日(日) 礼拝 予定

 ―復活節 第5主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  


説教=「悩みごとをうけとめるには」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』14 章1~9 節
(新約132頁)

讃美=21-466(404),520,21-29.

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

復活節第4主日礼拝をお献げできました

 青葉の季節、おかげさまで復活節第4主日礼拝をお献げできました。
 

 本日は「父母の日礼拝」として こひつじこども園・放課後等デイサービス こひつじの保護者もお招きして オカリナ演奏家佐々木一真先生とマリンバ演奏家可児麗子先生のデュオ「森の詩」による音楽礼拝を執り行いました。礼拝後には こひつじこども園PTA総会を開催し その後には佐々木先生と可児先生を囲んでの懇親会をカフェテリアでもちました。

 オカリナもマリンバも楽器の音色としては近代以前のあたたかな響きがあり それが泉北ニュータウン教会のドーム型天井の音響効果と相俟って音色が天から降り注ぐかのようでした。これは礼拝中継ライブのマイクでは再現できるものではなくリモートワークでご視聴の方々には申し訳なく思いました。

 お二人の演奏に心誘われて身体をリズムに合わせ動かすこどもたちもおり 神讃美の喜びを老若問わず分かちあえたと感じ入りました。
 

 総会後の懇親会では佐々木先生からはもともとトロンボーン演奏者からオカリナ演奏家へと進展された理由 可児先生からはキリスト者としての証しも伺い 集う者みななるほどと篤信(とくしん)を授かりました。

 何よりも礼拝では園児さんのみならず出席者すべてが笑顔で満ちていたのが印象に残りました。準備を担当されお支えを賜った教会員の方々  こひつじこども園・放課後等デイサービス こひつじ関係者の方々には深く感謝申しあげます。

 今週の平日集会には「みのり会」を15日(木)午前10時半から信交室で行います。みなさまにはどうぞご参加ください。

 新しい一週間が始まります。何らかのご事情により静養に励んでおられる方々には主なる神の深い癒しを祈ります。みなさまにイエス・キリストの大いなる祝福がともにおられますよう祈ります。

2025年5月4日日曜日

2025年5月11日(日) 礼拝 予定

  ―復活節 第4主日礼拝―

――父母の日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
演奏とメッセージ
オカリナ演奏:佐々木一真先生 
マリンバ演奏:可児 麗子先生 

メッセージ=「森の詩(うた)からの調べ」

聖書=『ルカによる福音書』12 章 22~25 節
(新約132頁)

讃美= 312.こどもさんびか132,21-29.

当日のライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。


復活節第3主日礼拝を献げることができました

初夏を思わせる陽射しのもと、おかげさまで復活節第3主日礼拝を献げることができました。
 

本日の礼拝メッセージでは、神の愛の統治のしるしとして「預言者ヨナのしるし」以外には何もあたえられない」と説く人の子イエスのことばをみなでともにしました。

「預言者ヨナ」とは排他的な民族宗教として理解していた当時のユダヤ教指導者のあり方を問う『旧約聖書』の『ヨナ書』に登場する預言者です。ヨナはあるときに主なる神から「都市ニネベ」を救えと命じられますが ヨナはその命令から逃げる途上 船に乗っては嵐に遭い激しい波間に投げ出されます。そして巨大な魚に呑み込まれ三日三晩その腹のなかで過ごします。その後ニネベの街に近い岸辺に吐き出され ニネベに暮らす人々に「悔い改め」を説きます。王から奴隷にいたるまでニネベの人々はヨナのことばのとおりにした結果 ニネベは滅びを免れました。この事態に納得のいかないヨナは神に喰ってかかるというユーモアあふれる物語となっています。

なぜヨナは「ニネベの人々の悔い改め」が気に入らなかったのでしょうか。それはニネベに暮らす人々がかつてのヘブライ人の祖国のひとつである「イスラエル王国」を滅ぼし 仲間を虐殺したり凌辱したりして民そのものを地上から消し去ろうとしたからです。

人の子イエスはその物語を通してイスラエルの民の憎しみの垣根を越えて働く主なる神の愛を語り その愛を証しする救い主について語りました。『旧約聖書』にはこのような諸国の民におよぶ神の愛が記されているのにも拘らず その恵みに気づかない指導者の課題を人の子イエスは突きつけました。

今朝はこの「悔い改め」ということばに代えて「生きなおし」とのことばを用いました。わたしたちはときおりさまざまな限界や失敗のなかで他者だけでなく自らを責める場合が多々あります。しかし主なる神はそのときに応じて「生きなおす」チャンスを必ず届けてくださります。そのチャンスを通して拓かれる祝福にあふれた道をともにあゆんでまいりたいと願います。

ゴールデンウィークにあたるため礼拝出席者は数としては少なめでしたがそのぶん礼拝で献げる「執り成しの祈り」には力強さをひときわ感じました。
 

礼拝後には5月度の「教会の活動を考える会・伝道委員会」を設け 出席者ができる範囲での議題を話しあいました。もちろん5月11日に控えている「父母の日礼拝」の備えも含めての協議もいたしました。

みなさまの新しい一週間 新しい月に主なる神のますますの祝福を祈ります。

2025年4月27日日曜日

2025年5月4日(日) 礼拝 予定

 ―復活節第3主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「愛するために生き直す」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』12 章38~42 節
(新約23頁)

讃美=21-327(151). 
21-464(534).21- 29(544).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

復活節第2主日礼拝を献げることができました

穏やかな朝日のもと、おかげさまで復活節第2主日礼拝を献げることができました。
 

本日の礼拝メッセージは キリストの復活により表向きには人生を台無しにされた墓の番兵たちのその後を考えました。その折には人の子イエスに僕(しもべ)を癒された百人隊長や「この人は本当に神の子だった」と呟いた別の百人隊長の物語を重ねて 番兵はエルサレムの祭司長や長老からの収賄を超えた力をキリストとの関わりから授かったとの使信を分かちあいました。
 

また嬉しいことには新しい転入会者をお迎えできました。不思議にも放課後等デイサービス こひつじでお迎えしているお子さんのご家族。泉北ニュータウン教会でキリストを讃美し主にある交わりを深めてくださるのは何よりの喜びです。

礼拝後には今年度より始めた交わりの時を授かり 教会員の方々の粋な計らいにより新入会員の歓迎会を行いました。コロナ禍後の教会はどこも礼拝出席者の人数にお困りだと聞くところでありわたしたちも例外ではありません。けれどもだからこそ主にある一週間の喜びのカケラをみんなで集めて分かちあいたいと強く願っています。キリスト・イエスは甦られました!みなさまに主なる神のますますの祝福を祈ります。