2025年6月15日日曜日

2025年6月22日(日) 礼拝 予定

  ―聖霊降臨節第3主日礼拝―


時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「神には決して『無駄』はない」
稲山聖修牧師

聖書=『使徒言行録』17章30~34節
(新約248頁)

讃美=21-405(225),21-516,21-26.


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第2主日礼拝を献げることができました

おかげさまで前日の雨から一転した天候のもと聖霊降臨節第2主日礼拝を献げることができました。
 

聖書は『マタイによる福音書』11章25〜30節のテキストをもとに 生きづらさを見捨てないイエス・キリストのメッセージ「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」をともに味わいました。
 

近年 日本人の10〜30代の死因が脳疾患・心疾患・悪性新生物などによる疾病を超えて自死が一位となっています。「生きづらさ」とまとめるのは簡単ですが それにしてはあまりにも疲弊し人生に絶望する方々が多すぎます。

こころの病はその人の気質や生きる態度という個人に完結するものではなく関係性に障りをきたした場合 その危険水域をつらさや心痛が超えたときに生じると言われます。例えば過度の飲酒を止めたところで当事者を囲む社会のあり方を新たに構築し直さなくては問題の解決にはいたりません。

他の病気とは異なり 癌とこころの病は医学的にも「完治」とは表現しません。あくまでも症状が抑えられ 進行が止まっているとの意味で「寛解」と表現されます。この理解がないと当事者の生きづらさに共感し支援するわざは困難です。

イエス・キリストはその人のもつ重圧を魔法のように消し去るのではなく「わたしの軛(くびき)を担いなさい」と説きます。軛とはもともとは複数の牛や馬が離れていかないように首や肩をロックする枷を意味します。そのような枷によってわたしたちもキリストと繋がっているというのです。

この枷はわたしたちが重荷に耐えかねて崖から落ちてしまったり暴走したりする態度を押しとどめます。いわば「いのちの絆」としての交わりを育みます。
 

心労が溜まりやすい候となりました。どうか雨水を受けてますます鮮やかに咲く紫陽花のような落ち着きとみずみずしさに輝く一週間となりますように。みなさまに主なる神の励ましと聖霊によるますますの祝福を祈ります。そして争いに満ちた世界に一日も早く神の平和が訪れますように。

2025年6月9日月曜日

2025年6月15日(日) 礼拝 予定

 ―聖霊降臨節 第2主日礼拝―


時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「イエスは必ず生きづらさを分かちあう」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』11 章25~30 節
(新約20頁)

讃美=21-351(66),Ⅱ.191,21-26.


説教要旨・動画、ライブ中継については、
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礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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2025年6月8日日曜日

ペンテコステ礼拝をこどもの日・花の日礼拝と重ねてお祝いしました

おかげさまで聖霊降臨節第1主日礼拝、すなわちペンテコステ礼拝をこどもの日・花の日礼拝と重ねてお祝いしました。礼拝堂には教会員・教会関係者とならんで、こども園の職員の先生方・園児さんや保護者の方々もお越しくださり、今働く神の愛の力である聖霊がキリストを通してわたしたちに注がれている喜びを確かめました。
 

「神」や「イエス・キリスト」に較べて「聖霊」とはわたしたちに馴染みの薄いことばです。しかしこの聖霊なくしてキリストとわたしたちとの関わりや大切な人々との愛に満ちた交わりを語るのは『聖書』では困難です。

聖霊はしばしば「風」に重ねられます。人が設けた壁や境界をなぎ倒し あらゆる人々との胸ときめく出会いを創造する神の力です。人にとって重要な多様性を尊ぶ交わりは この聖霊のわざなしには考えられないと『聖書』は語ります。
 

大切な関わりは目にこそ見えませんが だからこそ人にとって不可欠な「思いやり」や「誰かを慈しむ気持ち」は疎かにはできません。聖霊とは現代人に求められる関係概念でもあるのです。

礼拝ではこども園職員による創意工夫に満ちたプログラムが展開し 出席したこどもたちの笑い声にあふれました。きっとイエス・キリストの周りにも こどもたちの笑顔が絶えなかったことでしょう。
 

礼拝後には教会学校を中心にして日ごろからお世話になっている公共施設・社会福祉施設に感謝のお花をお届けしました。

今週から本格的に梅雨を迎えるとのことです。みなさまのお身体が主なる神に支えられますます祝福されますように祈ります。


2025年6月1日日曜日

2025年6月8日(日) 礼拝 予定

―聖霊降臨節 第1主日礼拝―

―子どもの日(花の日)ペンテコステ礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「神様の愛に背中を押されて」 
稲山聖修牧師

聖書=『使徒言行録』2 章1~4 節 
(新約214 頁)

讃美=(改)こどもさんびか106,
「ワワワいっしょに」,21ー81,
(改)こどもさんびか114.


当日の礼拝のライブ中継については、
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礼拝前日の夜までに掲載します。

復活節第7主日礼拝を迎えることができました

おかげさまで復活節第7主日礼拝を迎えることができました。西方教会の教会暦ではキリストの昇天日となります。
 

しばしば誤解を受けるのはわたしたちが生涯をまっとうした「召天」と復活後のキリスト自ら天に昇られた「昇天」です。召天と昇天との間には根本的に異なる質があります。

それはキリストが天に昇られる折に弟子を筆頭に世のすべてを祝福されたとの理由によります。本来ならば何ら祝福されるいわれのない弟子を含めてやぶれに満ちた世を祝福されたところに本日の聖書箇所、すなわち『ルカによる福音書』の真骨頂があります。
 

祝福に値する世であればキリストは祝福する必要はないでしょう。しかし世界を見渡せば混乱のなかで苦しみ悲しむこどもたちや病に罹患した人、貧困に苦しむ人は後を絶ちません。

その世界はキリストの祝福により前をむき神の希望を授かり、たがいに支えあう希望と交わりを育みます。いかなる姿であってもその祝福の実りは変わりません。その多様性にわたしたちは驚嘆せずにはおれません。
 

来週には「聖霊降臨節」を控えます。わたしたちの日常と世界を結ぶ神の愛のわざを確かめる聖日礼拝となります。この期間わたしたちは貧困に苦しむ人 不治の病に苦しむ人 こころの病に苛まれる人 ウクライナやパレスチナで苦しむこどもたち 南米やアフリカでレアメタル掘削のために奴隷のように扱われるこどもたちを覚えて祈りましょう。神の平和はまさしくその人たちのためにあるからです。

新しい月を迎えます。新しい週を迎えます。みなさまに主なる神の祝福がますます豊かに臨みますように祈ります。

2025年5月25日日曜日

2025年6月1日(日) 礼拝 予定

―復活節 第7主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「キリストに祝福される世界」
稲山聖修牧師

聖書=『ルカによる福音書』24章44~53節
(新約161頁)

讃美=158,21-530(403),21-26.


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おかげさまで復活節第5主日礼拝を献げることができました

沖縄県や九州南部に梅雨入り宣言が出されるなか おかげさまで復活節第5主日礼拝を献げることができました。教会学校にはいつもと劣らぬ賑わいのなかこどもたちがつどい NPO法人「たけしろみんなの食堂」の備えにあたるボランティアの方々が集うなか 聖日礼拝も豊かに祝福されました。
 

本日の『聖書』は『マタイによる福音書』6章5〜9節の「人の子イエスの伝える祈り」の箇所。この箇所には世にいう「主の祈り」の雛形が記載されています。興味深いことにイエスは「神」ということばを使わずに「天の父」と呼んでいます。

現代ではこのような表現をして「父権主義的だ」との指摘もあるかもしれません。けれどもこの箇所で云う「天の父」とは「天のとうちゃん」とも読み取れる語が用いられています。現代先進国よりもはるかに肉体労働に依存した社会  また治安の不安定な時代には父親が早逝した家庭も多かったことでしょう。神を「天のとうちゃん」に重ねるほうがはるかに人々の心に迫る祈りとなったに違いありません。
 

家族が「ともにちゃぶ台を囲む」よりもそれぞれが好きな時間に食事を摂るようになった今 その絆はかつてより希薄になっています。それだけでなく何十年も部屋に閉じこもり外部との接触を絶ってしまう家族すらわたしたちの身近なところにいる時代です。

もし肩の力を抜いて「とうちゃん」「かあちゃん」と呼べたなら 血のつながりのありやなしやを問わず 新しいあゆみをともに始められるはずです。
 

主の祈りとはそのような関わりをわたしたちが回復する大切な契機となる祈りです。決して難解な祈祷文ではありません。人の子イエスの伝えた祈りは ピシャリと閉められたわたしたちの心のふすまを少しずつ開くあたたかさに満ちています。

5月の聖日礼拝を終えて 次回からは6月のプログラムが始まります。みなさまに父なる神のますますの祝福が臨みますように祈ります。

2025年5月18日日曜日

2025年5月25日(日) 礼拝 予定

―復活節 第6主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「人の子イエスの祈り」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』6 章5~15 節
(新約132頁)

讃美=308,21-512(326),21-29.

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復活節第5主日礼拝をお献げできました

おかげさまで晴れやかな青空のもと復活節第5主日礼拝をお献げできました。本日の説教のテキストは『ヨハネによる福音書』14章1〜9節に基づき「悩みごとをうけとめるためには」との至極日常的なタイトルのもと、14章10節の「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか」との箇所に至るまでのイエスと弟子の問答を扱いました。それは人の子イエスの愛が苦難をともにし担うものであれば、わたしたちはイエスを通して神に自らの苦難や辛さを「棚あげ」してもよいのではないのかとメッセージを聴きとったからです。
 

この着想は牧師自らの思いにもよりますが言葉にできた契機は日本基督教団王子北教会の沼田和也牧師の著書『弱音を吐く練習』に依るところが少なくありませんでした。

ライフステージが大きく変わるとき 時にわたしたちはこころを病むこともありますが 本来ならイエス・キリストが癒したはずのこの病に対して概して教会は一線を引きがちです。教会員の方々もその事実を隠して礼拝に出席するか礼拝から遠ざかるかという対応をしなくてはなりません。福音書に記された物語の筋書きとは正反対の方向を教会が向いてしまう場合も十分にあり得ます。

しかし今朝の礼拝では 教義学でいう「相互内在」の解釈として わたしたちは各々の苦しみをキリストに委ね 主なる神に棚あげすることによりその悩みから少しずつ解放されるとのメッセージを授かりました。神さまに献げるのは清らかな魂だけでなく どす黒く腐敗臭のする思い悩みも赦されるとのことばに 説教者自らも砕かれ癒されました。
 

ゴールデンウィーク明けて疲労が溜まる時 過労がこうじて判断に支障をきたす場合もあります。けれどもそのような疲れも失敗も主なる神はすべてご存じです。心病む時にこそ主イエスは癒しの時を備えてくださります。主のなる神の平安のもと新しい一週間を始めましょう。みなさまにキリストの平安を祈ります。

2025年5月11日日曜日

2025年5月18日(日) 礼拝 予定

 ―復活節 第5主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  


説教=「悩みごとをうけとめるには」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』14 章1~9 節
(新約132頁)

讃美=21-466(404),520,21-29.

説教要旨・動画、ライブ中継については、
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復活節第4主日礼拝をお献げできました

 青葉の季節、おかげさまで復活節第4主日礼拝をお献げできました。
 

 本日は「父母の日礼拝」として こひつじこども園・放課後等デイサービス こひつじの保護者もお招きして オカリナ演奏家佐々木一真先生とマリンバ演奏家可児麗子先生のデュオ「森の詩」による音楽礼拝を執り行いました。礼拝後には こひつじこども園PTA総会を開催し その後には佐々木先生と可児先生を囲んでの懇親会をカフェテリアでもちました。

 オカリナもマリンバも楽器の音色としては近代以前のあたたかな響きがあり それが泉北ニュータウン教会のドーム型天井の音響効果と相俟って音色が天から降り注ぐかのようでした。これは礼拝中継ライブのマイクでは再現できるものではなくリモートワークでご視聴の方々には申し訳なく思いました。

 お二人の演奏に心誘われて身体をリズムに合わせ動かすこどもたちもおり 神讃美の喜びを老若問わず分かちあえたと感じ入りました。
 

 総会後の懇親会では佐々木先生からはもともとトロンボーン演奏者からオカリナ演奏家へと進展された理由 可児先生からはキリスト者としての証しも伺い 集う者みななるほどと篤信(とくしん)を授かりました。

 何よりも礼拝では園児さんのみならず出席者すべてが笑顔で満ちていたのが印象に残りました。準備を担当されお支えを賜った教会員の方々  こひつじこども園・放課後等デイサービス こひつじ関係者の方々には深く感謝申しあげます。

 今週の平日集会には「みのり会」を15日(木)午前10時半から信交室で行います。みなさまにはどうぞご参加ください。

 新しい一週間が始まります。何らかのご事情により静養に励んでおられる方々には主なる神の深い癒しを祈ります。みなさまにイエス・キリストの大いなる祝福がともにおられますよう祈ります。

2025年5月4日日曜日

2025年5月11日(日) 礼拝 予定

  ―復活節 第4主日礼拝―

――父母の日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
演奏とメッセージ
オカリナ演奏:佐々木一真先生 
マリンバ演奏:可児 麗子先生 

メッセージ=「森の詩(うた)からの調べ」

聖書=『ルカによる福音書』12 章 22~25 節
(新約132頁)

讃美= 312.こどもさんびか132,21-29.

当日のライブ中継については、
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復活節第3主日礼拝を献げることができました

初夏を思わせる陽射しのもと、おかげさまで復活節第3主日礼拝を献げることができました。
 

本日の礼拝メッセージでは、神の愛の統治のしるしとして「預言者ヨナのしるし」以外には何もあたえられない」と説く人の子イエスのことばをみなでともにしました。

「預言者ヨナ」とは排他的な民族宗教として理解していた当時のユダヤ教指導者のあり方を問う『旧約聖書』の『ヨナ書』に登場する預言者です。ヨナはあるときに主なる神から「都市ニネベ」を救えと命じられますが ヨナはその命令から逃げる途上 船に乗っては嵐に遭い激しい波間に投げ出されます。そして巨大な魚に呑み込まれ三日三晩その腹のなかで過ごします。その後ニネベの街に近い岸辺に吐き出され ニネベに暮らす人々に「悔い改め」を説きます。王から奴隷にいたるまでニネベの人々はヨナのことばのとおりにした結果 ニネベは滅びを免れました。この事態に納得のいかないヨナは神に喰ってかかるというユーモアあふれる物語となっています。

なぜヨナは「ニネベの人々の悔い改め」が気に入らなかったのでしょうか。それはニネベに暮らす人々がかつてのヘブライ人の祖国のひとつである「イスラエル王国」を滅ぼし 仲間を虐殺したり凌辱したりして民そのものを地上から消し去ろうとしたからです。

人の子イエスはその物語を通してイスラエルの民の憎しみの垣根を越えて働く主なる神の愛を語り その愛を証しする救い主について語りました。『旧約聖書』にはこのような諸国の民におよぶ神の愛が記されているのにも拘らず その恵みに気づかない指導者の課題を人の子イエスは突きつけました。

今朝はこの「悔い改め」ということばに代えて「生きなおし」とのことばを用いました。わたしたちはときおりさまざまな限界や失敗のなかで他者だけでなく自らを責める場合が多々あります。しかし主なる神はそのときに応じて「生きなおす」チャンスを必ず届けてくださります。そのチャンスを通して拓かれる祝福にあふれた道をともにあゆんでまいりたいと願います。

ゴールデンウィークにあたるため礼拝出席者は数としては少なめでしたがそのぶん礼拝で献げる「執り成しの祈り」には力強さをひときわ感じました。
 

礼拝後には5月度の「教会の活動を考える会・伝道委員会」を設け 出席者ができる範囲での議題を話しあいました。もちろん5月11日に控えている「父母の日礼拝」の備えも含めての協議もいたしました。

みなさまの新しい一週間 新しい月に主なる神のますますの祝福を祈ります。

2025年4月27日日曜日

2025年5月4日(日) 礼拝 予定

 ―復活節第3主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「愛するために生き直す」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』12 章38~42 節
(新約23頁)

讃美=21-327(151). 
21-464(534).21- 29(544).

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復活節第2主日礼拝を献げることができました

穏やかな朝日のもと、おかげさまで復活節第2主日礼拝を献げることができました。
 

本日の礼拝メッセージは キリストの復活により表向きには人生を台無しにされた墓の番兵たちのその後を考えました。その折には人の子イエスに僕(しもべ)を癒された百人隊長や「この人は本当に神の子だった」と呟いた別の百人隊長の物語を重ねて 番兵はエルサレムの祭司長や長老からの収賄を超えた力をキリストとの関わりから授かったとの使信を分かちあいました。
 

また嬉しいことには新しい転入会者をお迎えできました。不思議にも放課後等デイサービス こひつじでお迎えしているお子さんのご家族。泉北ニュータウン教会でキリストを讃美し主にある交わりを深めてくださるのは何よりの喜びです。

礼拝後には今年度より始めた交わりの時を授かり 教会員の方々の粋な計らいにより新入会員の歓迎会を行いました。コロナ禍後の教会はどこも礼拝出席者の人数にお困りだと聞くところでありわたしたちも例外ではありません。けれどもだからこそ主にある一週間の喜びのカケラをみんなで集めて分かちあいたいと強く願っています。キリスト・イエスは甦られました!みなさまに主なる神のますますの祝福を祈ります。
 

2025年4月20日日曜日

2025年4月27日(日) 礼拝 予定

 ―復活節第2主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「買収を拒む兵士たちの姿」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』28章11~15節
(新約60頁)

讃美=21-325,21-326,21-24.

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イースター礼拝を献げることができました

みなさまのおかげで本日はキリストのご復活を祝うイースター礼拝を献げることができました。礼拝では教会学校のこどもたちによる朗読劇があり聖餐式が執り行われました。礼拝後にはこどもたちの主導によるたまご探しゲームを楽しみ主イエスのご復活をお祝いしました。
 

『聖書』にある主なる神の復活の記事は様々ですが 『マタイによる福音書』に描かれる物語は復活したイエス・キリストが「おはよう」と日常のことばを出会ったマグダラのマリア イエスの母マリアと交わします。神のみが起こし給うとてつもない出来事が続くなかで「女性たちは大いに喜んだ」と記されます。他の福音書には見られない神から授かった喜びが実にはっきりと描かれます。
 

今年度に入り先行き見えない世界はいよいよ混沌としています。社会もまた迷走の度を深めているように映りますが 復活のイエス・キリストに示されたいのちの光は決して消えることがありません。わたしたちは絶えずその光に照らされて礼拝から遣わされ 礼拝に招かれ戻ってきます。この尊い神の「いのちのルーティン」を繰り返してわたしたちはこの世界をあゆんでまいります。みなさまにイースターの祝福をこころより祈ります。いいスタートとなりますように!
 




2025年4月14日月曜日

2025年4月20日(日) 礼拝 予定

―復活節 第1主日礼拝―

―イースター礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「復活の挨拶は『おはよう』」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』28 章1~10 節

讃美=146.21- 575. 
讃美ファイル3番「主の食卓を囲み」.
21- 24(Ⅰ539).

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2025年4月18日(金曜日) 夜 受難日礼拝 予定

―受難日礼拝―

時間:午後7時00分~

場所:泉北ニュータウン教会 カフェテリア

  

説教=「アリマタヤのヨセフの勇気」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』 15章 42~47節

讃美歌=136番 142番


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2025年4月13日日曜日

受難節第6主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第6主日礼拝を献げることができました。受難週がいよいよ始まり18日金曜日夜7時より教会カフェテリアで受難日礼拝を執り行います。
 

礼拝では2025年度役員任職式と教会学校教師任職式を執行しました。

本日の礼拝は教会員が棕櫚の葉を手にしつつ始まりました。『マタイによる福音書』のキレネ人シモンのあゆみに注目しました。ローマ兵に無理やり十字架を背負わされてゴルゴダの刑場までイエスをささえたのが北アフリカ・キレナイカ地方の出のシモンでした。刑場への途上でシモンが目撃したのは人々から尊敬されるはずの律法学者・祭司長・長老たちが群衆や強盗と同じように 息も絶えだえの人の子イエスに罵声を浴びせるありさまでした。
 

過越の祭りを祝いに来たはずのキレネ人シモンにはあまりにも衝撃的な体験でした。イエスの受難の出来事に期せずして巻き込まれたシモン。しかしシモンの衝撃や痛みをもイエス・キリストは一切自己弁護せずに担い シモンもまたその姿に従ったからこそ 不条理過ぎる場面で何も言わずにキリストとともにあゆんだのではないかとのメッセージでした。わたしたちの信仰のあゆみを重ねずにはおれませんでした。
 

メッセージの後には讃美とともにキリストの十字架の血潮を象徴するガーベラの花を分かちあいました。そして礼拝後には教会定期総会を開き昨年度の報告と今年度のあゆみを確かめました。
 

イースター礼拝までの一週間 わたしたちはキリストの苦難をこころに深く刻み その苦難に示された世の現実のただなかにやがて訪れる復活の光を見つめてまいりたいと願います。死の闇にピリオドが打たれて やがていのちのひかりにあふれた朝が訪れます。その時を待ちながらこの一週間を大切に過ごしたいと願います。みなさまとともに主なる神のあふれる祝福がありますよう祈ります。

2025年4月6日日曜日

2025年4月13日(日) 礼拝 予定

       ―受難節第6主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「自分を救わなかった人の子イエス」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』27章32~44節

讃美=21-306.(Ⅱ177)
Ⅱ.-182.21-24(Ⅰ539).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
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受難節第5主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第5主日礼拝を献げることができました。本日より2025年度が始まりました。泉北ニュータウン教会では通年標語を「あなたがたはキリストの安らぎを授かる」とし 『マタイによる福音書』11章28節の「疲れた者、重荷を負う者は、私のもとに来なさい。休ませてあげよう」を主題聖句としました。暮らしの憂いや荒んだ心を抱えて生きるわたしたちの日々の只中に イエス・キリストが飛び込んできてくださった喜びを分かちあいたいとの一念からのことばでした。
  

本日は礼拝のあり方も一新されて コロナ禍前のように教会役員が司会と祈祷を献げて牧師が『聖書』のことばを解き明かす様式に近づけました。牧師の不手際で一部教会員を戸惑わせてしまった旨お詫び申しあげます。ただそのなかで も(福)地球の園  こひつじこども園と 放課後等デイサービス こひつじの職員の先生方の任職式を執行し さらには中高生新旧祝福式を執り行えたのはなによりの喜びでした。
 

『聖書』の物語は弟子ヤコブとヨハネの母親が 神の国の訪れの折には二人をキリストの最側近にしてほしいとの願いをイエスが一蹴する場面でした。神の国の私物化につながるこの願いに わたしたちは今や中抜きなどが当たり前となった神の恵みの民営化を観る思いがいたしました。そのようなこの世の競争社会の延長線上には神の愛に通じる道は絶たれています。それは何よりも十字架のイエスの姿に明らかです。
 

わたしたちもその事実に心して 「使える」から「仕える」自由をイエス・キリストから授かりましょう。奉仕には自由があり愛があり信頼があります。これが命令への絶対服従とはまったく異なる特徴です。各々の新しい年度のあゆみがますます豊かに祝福されますよう祈ります。
 

2025年3月30日日曜日

2025年4月6日(日) 礼拝 予定

       ―受難節第5主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「たがいに支えあうために」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』20章20~29節

讃美=21-57(Ⅲ.5).
   21-463(Ⅰ 494).
   21-24(Ⅰ 539)

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受難節第4主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第4主日礼拝を献げることができました。奇しくも2024年度を締めくくる聖日礼拝ともなり サクラやタンポポの花咲くなかでの礼拝となりました。いよいよ春の訪れです。
 

本日は『マタイによる福音書』17章1〜13節にある「人の子イエスの山上の変容」の箇所でした。ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人を連れて高い山へと登ったイエスの顔が太陽のように輝き 服は光のように白くなります。そして『旧約聖書』の物語に登場するモーセ、そして預言者エリヤと語らうという筋立てです。イエスの時代にはすでに物語上の人物となっていたモーセは『律法(トーラー)』、エリヤは『預言者の書(ネビイーム)』を示すとも言われます。いずれにせよイエスの教えは『旧約聖書』の教えや物語が徹底的に裏づけられていました。それではわたしたちがその書物を開いてみるとどのような世界が広がっているというのでしょうか。
 

それは「神なしには」グロテスクだ としか呼べないような展開も含めた人間模様に満ちています。もしもわたしたちが道徳的な規範を人の生きざまだけに求めるならば 誰も該当する人物が見当たらないような世界です。
 
しかしながらイエスはその物語のなかに 隠された神の愛を見いだし自らの苦難を通してその愛を語り 実践しました。人の子イエスの輝きは 人間の醜悪さを映しだしながら その苦しみを分かちあい 我がものとするあゆみでもありました。

この年度の移り変わりにあたって 新年度がそのまま喜ばしく始まるという方々よりも さまざまな戸惑いや迷いにあふれているという方々も多いのではないでしょうか。けれどもわたしたちはその戸惑いがあたかもないかのようなふるまいが「ふさわしい」と捉えがちです。モーセやエリヤは神をうたがう民に蔑ろにされたという記事を忘れるわけにはまいりません。

サクラの樹もタンポポも 何があるのか分からない地面に深く根をおろしてはじめて花を咲かせます。またモクレンの花は散ればこそ豊かに葉を生い茂らせます。
 

イエスの姿の変容は 混乱する世にあって わたしたちが何に根をおろし 誰を見つめて新年度を始めるのかをも示しています。未来への一歩を イエスとともに踏み出しましょう。