2025年4月6日日曜日

2025年4月13日(日) 礼拝 予定

       ―受難節第6主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「自分を救わなかった人の子イエス」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』27章32~44節

讃美=21-306.(Ⅱ177)
Ⅱ.-182.21-24(Ⅰ539).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

受難節第5主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第5主日礼拝を献げることができました。本日より2025年度が始まりました。泉北ニュータウン教会では通年標語を「あなたがたはキリストの安らぎを授かる」とし 『マタイによる福音書』11章28節の「疲れた者、重荷を負う者は、私のもとに来なさい。休ませてあげよう」を主題聖句としました。暮らしの憂いや荒んだ心を抱えて生きるわたしたちの日々の只中に イエス・キリストが飛び込んできてくださった喜びを分かちあいたいとの一念からのことばでした。
  

本日は礼拝のあり方も一新されて コロナ禍前のように教会役員が司会と祈祷を献げて牧師が『聖書』のことばを解き明かす様式に近づけました。牧師の不手際で一部教会員を戸惑わせてしまった旨お詫び申しあげます。ただそのなかで も(福)地球の園  こひつじこども園と 放課後等デイサービス こひつじの職員の先生方の任職式を執行し さらには中高生新旧祝福式を執り行えたのはなによりの喜びでした。
 

『聖書』の物語は弟子ヤコブとヨハネの母親が 神の国の訪れの折には二人をキリストの最側近にしてほしいとの願いをイエスが一蹴する場面でした。神の国の私物化につながるこの願いに わたしたちは今や中抜きなどが当たり前となった神の恵みの民営化を観る思いがいたしました。そのようなこの世の競争社会の延長線上には神の愛に通じる道は絶たれています。それは何よりも十字架のイエスの姿に明らかです。
 

わたしたちもその事実に心して 「使える」から「仕える」自由をイエス・キリストから授かりましょう。奉仕には自由があり愛があり信頼があります。これが命令への絶対服従とはまったく異なる特徴です。各々の新しい年度のあゆみがますます豊かに祝福されますよう祈ります。
 

2025年3月30日日曜日

2025年4月6日(日) 礼拝 予定

       ―受難節第5主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「たがいに支えあうために」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』20章20~29節

讃美=21-57(Ⅲ.5).
   21-463(Ⅰ 494).
   21-24(Ⅰ 539)

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受難節第4主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第4主日礼拝を献げることができました。奇しくも2024年度を締めくくる聖日礼拝ともなり サクラやタンポポの花咲くなかでの礼拝となりました。いよいよ春の訪れです。
 

本日は『マタイによる福音書』17章1〜13節にある「人の子イエスの山上の変容」の箇所でした。ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人を連れて高い山へと登ったイエスの顔が太陽のように輝き 服は光のように白くなります。そして『旧約聖書』の物語に登場するモーセ、そして預言者エリヤと語らうという筋立てです。イエスの時代にはすでに物語上の人物となっていたモーセは『律法(トーラー)』、エリヤは『預言者の書(ネビイーム)』を示すとも言われます。いずれにせよイエスの教えは『旧約聖書』の教えや物語が徹底的に裏づけられていました。それではわたしたちがその書物を開いてみるとどのような世界が広がっているというのでしょうか。
 

それは「神なしには」グロテスクだ としか呼べないような展開も含めた人間模様に満ちています。もしもわたしたちが道徳的な規範を人の生きざまだけに求めるならば 誰も該当する人物が見当たらないような世界です。
 
しかしながらイエスはその物語のなかに 隠された神の愛を見いだし自らの苦難を通してその愛を語り 実践しました。人の子イエスの輝きは 人間の醜悪さを映しだしながら その苦しみを分かちあい 我がものとするあゆみでもありました。

この年度の移り変わりにあたって 新年度がそのまま喜ばしく始まるという方々よりも さまざまな戸惑いや迷いにあふれているという方々も多いのではないでしょうか。けれどもわたしたちはその戸惑いがあたかもないかのようなふるまいが「ふさわしい」と捉えがちです。モーセやエリヤは神をうたがう民に蔑ろにされたという記事を忘れるわけにはまいりません。

サクラの樹もタンポポも 何があるのか分からない地面に深く根をおろしてはじめて花を咲かせます。またモクレンの花は散ればこそ豊かに葉を生い茂らせます。
 

イエスの姿の変容は 混乱する世にあって わたしたちが何に根をおろし 誰を見つめて新年度を始めるのかをも示しています。未来への一歩を イエスとともに踏み出しましょう。

2025年3月23日日曜日

2025年3月30日(日) 礼拝 予定

       ―受難節第4主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「神の愛は苦難を貫いて輝く」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』17章1~13節

讃美=526.515.21-88(Ⅱ255).


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受難節第3主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第3主日礼拝を献げることができました。本日のテキストには、使徒ペトロの人としてのあり方の曖昧さが描かれます。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」との理解を表し イエスに「あなたは幸いだ」と祝福されながらも その直後にキリストの苦難、十字架での殺害とその後の復活を「あってはならない」と諌めたことで「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者」と戒められてしまいます。
 

ごく短い物語でのペトロの扱いからは 人の姿に理想の姿を追いかけてしまううわべの「信仰」の大きな問題が示されています。すなわち個人の内面の問題の枠を出ずに論じられた信仰はかくまでもろい という事実です。
 

『聖書』が信仰と呼ぶのは神からの祝福に根ざした「関係」であり それはイエス・キリストとの間柄でも同様です。相手から恵みとして先に授かるのが信仰であり それはこちらの都合を問いません。ペトロはその意味では勘違いをしています。だからこそ「鶏の鳴く前に三度イエスを否定する」という挫折と涙を通してようやくキリストの教えと生涯が示す事実を悟ります。その事実とはわたしたちが「赦された罪人」としてキリストに従うというあゆみでした。
  

今年の春分の日は3月20日でしたが奇しくもこの日は三十年前にあるカルト教団が未曾有のテロ計画を決行した日でもありました。ただ注目したいのはこの事件にいたるまでマスコミがこの教団の教祖をバラエティー番組に登場させたり「知識人」も対談を望んでいたりしたとの過ちが忘れ去られているありさまです。カルト教団に属する若者は正義を掲げてテロを行いました。他方でその被害を受けて亡くなったり障がいを引きずっている方々の時は停止したままです。
 

今 社会の歪んだ正義感は SNSでの匿名の煽動的な攻撃へと移りました。誹謗中傷を受けた人々の中には自死に追い込まれる方々さえおられます。感情的な一時の高ぶりが取り返しのつかない過ちにつながるとの警鐘は すでに使徒ペトロの過ちに示されてはいないでしょうか。
 

他者への否定ではなく 自らを苦しめる者にも神の愛を貫いたイエス・キリストこそ わたしたちが仰ぐべき救い主です。その愛に基づいて日々のあり方を問い直してまいりましょう。みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福を祈ります。

2025年3月16日日曜日

2025年3月23日(日) 礼拝 予定

      ―受難節第3主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  



説教=「涙と挫折こそ信仰の目覚め」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』16章13~23節

讃美=243.21-441(268).
21-88(Ⅱ255).


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受難節第2主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第2主日礼拝を献げることができました。礼拝中継の画像は一部乱れがあるとは言え、教会員のご指導により中継動画の放送も再開できました。ご協力ありがとうございました。
 

本日の『聖書』の箇所は「見えず 聞こえず 話せず」の三重苦を抱えた人が人の子イエスに癒やされ交わりを回復したものの、その癒しのわざが悪霊の頭ベルゼブルによるものだと指摘するその時代のユダヤ教の律法学者の横槍に対する抗弁に耳を傾けました。イエスは指摘に論争をもって向き合わず「神の国の訪れ」を律法学者にも告げ知らせました。否定に対する否定ではなく「あなたたちも神の愛の力につつまれている」との力強い宣言を聞いた思いでした。
 

昨日は教会とあゆみをともにする 「こひつじこども園」の卒園式でした。28名の園児さんが節目を迎えました。幼い日の思い出はいつしか長期的な記憶となり園児さんが22世紀をあゆむようになってもこころに刻まれているでしょう。
 

世界的な乱世や飢饉の噂の絶えない昨今ですが そのなかにあるからこそ教会の交わりは豊かに祝福されると確信しています。真夜中に灯された灯火としての役割を委託されているからこそ 否定に対する否定という不毛な悪循環ではなく 苦しみを担いながら世の悲しみを喜びに変えたキリストの十字架と復活を仰ぎたいと願います。
 

70年間草木も生えないと言われた灼熱の土地に芽生えた麦の芽をわたしたちは知っています。本日の箇所で文章そのものが受動態で記されているがゆえにその存在感の薄い、三重苦のただなかにいる人をイエスのもとに連れてきた無名の人のように わたしたちも愛のわざに励みましょう。みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福と支えを祈ります。

2025年3月9日日曜日

2025年3月16日(日) 礼拝 予定

       ―受難節第2主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「世の分断を乗り越えるキリストの愛」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』12章22~32節

讃美=Ⅱ-80.21-530(516).
21-88(Ⅱ255). 


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受難節第1主日礼拝を献げることができました

おかげさまで受難節第1主日礼拝を献げることができました。礼拝中継の不具合から音声のみのライブとなりましたが、それ以上にキリストの受難の道を覚える候を今年も迎えたかと深く感じ入る礼拝でした。
 

『聖書』はキリストが荒れ野で悪魔から誘惑を受けるというよく知られた箇所がテキストでした。ただしこの箇所は人の子イエスが修行のためにおもむいた場ではなく、あくまでも神の霊の力によって導かれた場であるというところが大切になります。
 

悪魔は再三にわたりイエス・キリストに独占と神への不信、世界への神なき支配を語りかけますがその都度キリストは『聖書』を引用してはその誘惑を拒否します。キリストが味わった誘惑はわたしたちの日常に当たり前のように転がっていることを踏まえますと、どのような荒れ野でもキリストが苦しみをともにしながら歩みをともにしてくださるとの頼もしさを覚えます。
 

昨日までの悪が善とみなされ、分断と悲しみが世にあふれる今の世に、キリストが味わった荒れ野の試みは最終的には神の愛により勝利されるものとして描かれます。

さまざまな自然災害、戦争、金融危機の叫ばれる時代に誰を基準とするべきなのかを確かめられた礼拝でした。花咲き鳥さえずる季節、みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福を祈ります。とくに療養中の教会員の方々にイエス・キリストの深い癒しがありますように。

2025年3月2日日曜日

2025年3月9日(日) 礼拝 予定

      ―受難節第1主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「どんなときにも主なる神はいる」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』4章1~11節
(新共同訳 新約4頁)

讃美= 21-561(420).
21-566(536).21-88(255).


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降誕節第10主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第10主日礼拝を献げることができました。春の訪れを思わせる雨天のもと、水仙や紅梅白梅のアンサンブルに励まされる朝でした。
 

聖日礼拝では『マタイによる福音書』14章22〜36節を味わいました。この箇所では劇的な「湖水のおもてを歩くイエス」の姿に現代人はつい関心を寄せてしまいますが、本日はむしろイエス不在の舟のなかで一晩中荒波にもまれ恐怖する弟子と、山でひとり献げられるキリストの祈りに注目しました。
 

『旧約聖書』でも『新約聖書』でも「激しい風に吹かれる水のおもて」とは混沌とした無秩序な世界を暗示すると申します。年度末の3月を迎えて多忙さを極める日々のみならず、当事者相手に人命を「カードゲーム」扱いする大国の指導者にあきれ果てた先週でした。
 

しかしそのような混乱におかれた弟子の乗る舟を、祈りという命綱で自らと堅く結んでくださります。舟には生まれたばかりの教会の交わりが示されています。
 

わたしたちはこれまでコロナ禍という激しい風のなかで教会の目指す岸辺をしばしば見失いかけました。しかしそのたびに主なる神は教会の新しい道筋、暮らしの新しい道筋をお示しになりました。その道は細く狭いものでしたが、決して閉ざされはしませんでした。
 

礼拝後には「教会の活動を考える会・伝道委員会」が設けられ、11名が出席しました。朝焼けに映える湖の彼方には、新たな岸辺が待っています。

今週には「灰の水曜日」があり、教会の暦は受難節を迎えます。キリストの苦しみはわたしたちの苦しみを癒やすに余りあるものでした。十字架の彼方に映るいのちの復活の光を待ち望みながら、この季節を過ごしたく願います。みなさまにキリストの祝福がますます豊かに臨みますように祈ります。

2025年2月23日日曜日

2025年3月2日(日) 礼拝 予定

     ―降誕節第10主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「わたしたちのめざす岸辺」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』14章22~36節
(新共同訳 新約28頁)

讃美= 21-529(333).
461.21-88(Ⅱ255).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
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降誕節第9主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第9主日礼拝を献げることができました。梅の花は満開ですが、他方でまたもや寒波の訪れを聞く朝でした。
 

そのような朝、教会玄関の脇にフクロウの骸がうずくまるように横たわっていました。泉北ニュータウンは自然豊かだとは聞きますがさすがにどのような経緯でそうなったのか知る由はありません。

人間の生活領域が里山や自然林を侵食した結果そのようになったのか、それとも流行りの「いきものカフェ」から自由を求めて羽ばたいた結果だったのかは定かではありません。動かなくなったミネルヴァにも似た姿を前に悲しみがふと胸をよぎりました。


過ぐる週はいのちの重さと神の奇しきわざを幾度も思い起こさずにはおれませんでした。教会に連なる交わりには日常を突き破るかのようにいのちの問いかけを授かった方々もおられました。

しかし神はそのように助けを呼び求めて叫ぶ声を決して聞き逃されません。天にいのちを見送る悲しみに涙し、世に救われたいのちに涙した過ぎにし週でしたが、そのようなわたしたちを圧倒する神の祝福に背中を押されて、新しい週、新たな月を迎えたく存じます。みなさまの一週間に、イエス・キリストのますます豊かな祝福を祈ります。

2025年2月16日日曜日

2025年2月23日(日) 礼拝 予定

     ―降誕節第9主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「神の癒しに潤わされて」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』15章21~28節
(新共同訳 新約30頁)

讃美= 
21-437(244).Ⅱ-167
21-29(544).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
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降誕節第8主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第8主日礼拝を献げることができました。二月も後半に入り、教会員・関係者問わず年度末と年度始めの備えに忙しいとは存じます。
 

それでも教会・こども園園庭に咲く満開の紅梅の梢にはメジロがとまり花びらをついばんでいました。
 

冬から春へと移るこの季節には気圧が急上昇・乱降下しわたしたちの社会生活には少なからず影響を及ぼします。けれどもそれは新しいいのちの胎動にも似た営みです。
 

本日は人の子イエスがいかに『律法』『預言者』つまり今日でいうところの『旧約聖書』を尊んだかを分かちあいました。

時に目を覆いたくなるような生々しい物語の描かれた『旧約聖書』ですが、人の子イエスはそのような神に逆らう者の姿を斬り捨てず、その現実に神の愛を以て向きあいました。

神の約束は人の混乱を通して完成するとのことばがありますが、わたしたちの日ごとの現実も『旧約聖書』の物語に劣らず混沌とした状況に映ります。
 

だからこそ「心の清い人は幸いである。その人たちは神を見る」との祝福に満ちた教えが満たされます。生きづらさを抱えた人々にこそイエス・キリストの恵みは臨むのです。

心身ともに傷みを抱えた方々を主なる神はお招きになります。一緒に神とともにあゆもう、とイエス・キリストは呼びかけています。新しいいのちの芽吹きがそこにはあります。

みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますように祈ります。一日いちにちの暮らしのなかで、ともに祈り、ともに涙し、ともに喜ぼうではありませんか。

2025年2月9日日曜日

降誕節第7主日礼拝を献げられました

おかげさまで降誕節第7主日礼拝を献げられました。昨日までは立春と大寒が逆転したような風と寒さを迎えた泉北ニュータウンも、今朝は穏やかな陽差しにつつまれての礼拝でした。

ただしやはり気にかかるのは自身の被災地はじめ豪雪に悩まされた地域に暮らす方々です。温暖な堺でさえ突き刺すような寒さでしたから雪害に悩む地域の教会での礼拝はさぞかし困難が伴ったかと拝察します。
 

本日の説教のテーマは「人の子イエスが譬えを用いる理由」でした。イエス・キリストが教えを語る際には譬えを多く用いますがその前提としては学のあるなしを問わず当事者の生活を尊ぶ態度があったように思います。難解な教えをそのまま語るのではなくて相手の生活言語を尊ぶ謙遜な姿勢がイエス・キリストの教えには必ず備えられていたように思います。


わたしたちはときおり自らの傲慢さにより意思疎通に失敗したり、困難になったりとさまざまな問題に直面しますが、それこそ『旧約聖書』『創世記』のバベルの町の課題と大差はありません。高い塔を建てて尊大になるのではなく、まずはへりくだり相手の話に耳を傾けるところから主にある交わりを育みましょう。そのときイエス・キリストは「目から鱗が落ちる」ような出会いをもたらしてくださるはずです。
 

礼拝後には教会学校で凧揚げ大会を楽しみました。ご支援くださった方々に心より感謝申しあげます。新しい一週間がみなさまにとってますます祝福されますように祈ります。ありがとうございました。


2025年2月16日(日) 礼拝 予定

    ―降誕節第8主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「混沌とした時代にこそ輝く光」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』5章17~20節
(新共同訳 新約7頁)

讃美= 
21-518(361).124.
   21-29(544).


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2025年2月2日日曜日

2025年2月9日(日) 礼拝 予定

   ―降誕節第7主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

 

説教=「いのちに響く言葉を尊ぶイエス」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』13 章10~16節
(新共同訳 新約24頁)

讃美= 
21-403(Ⅰ.453). 
533. 21-29 (544).


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降誕節第6主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第6主日礼拝を献げることができました。教会の庭の梅のつぼみは次々と花開き、かぐわしい香りをはなっています。
 

礼拝では「イエスの宮清め」、則ちエルサレムの神殿で両替商や貧しい者のための献げものである山鳩を売る人々を追い出し、その時代の律法学者や祭司の怒りを買う一方で、視覚や肢体に不自由のある人々を癒し、こどもたちから「ダビデの子ホサナ」つまり「「さすがやなあ、救い主は!」と歓声を浴びるとの場面を扱いました。
 

人の子イエスがエルサレムの神殿に入ってから癒しのわざを行なう描写、誰よりもこどもたちから喝采を受ける箇所から、イエスが行なった宮清めとは暴力行為ではなく、祈りの場所を「整える」わざであるとの理解をともにしました。

パウロはわたしたちの身体を神の愛である「聖霊」の宿る神殿だと理解しましたが、わたしたちもとかく日々のわざに追われて「神殿」として身体を整えるわざを忘れがちです。その意味では実に愚かであると反省することしきりですが、その都度イエス・キリストに身を委ねて心身ともに整えていただきたいと願います。
 

礼拝後には定例役員会が開かれ、今年度の反省に重点をおきながら次年度への展望の構築へと着手しました。

寒暖の差厳しくなる季節となりますがみなさまに置かれましては主なる神の癒しと平安が臨みますように祈ります。主なる神がともにいる二月となりますように。

2025年1月26日日曜日

2025年2月2日(日) 礼拝 予定

  ―降誕節 第6主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

 

説教=「決して譲れないいのちの大原則」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』21 章12~17 節
(新共同訳 新約40頁)

讃美= 
21-494(Ⅰ.228). 
121. 21-29 (544).

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