おかげさまで11月23日(日)には降誕前第5主日礼拝を「収穫感謝日・謝恩日礼拝」として献げることができました。秋の実りが献げられての礼拝に秋の深まりと次週から始まる待降節への思いが重ねられていました。
メッセージでは財産を持っていたがゆえに人の子イエスに従えなかった富裕層の人物と イエスがその出会いの前に祝福したこどもたちとの対比を通して 人々はいったいどのような手をしていたのかと想像しながら福音を分かちあいました。
聖日礼拝では流行中のインフルエンザをはじめとした疾病に苦しむ方々と11月24日に教会を場にして行われる「たけしろみんなの食堂」を覚えて祈りました。「たけしろみんなの食堂」は独自のfacebookアカウントがあります。ぜひご覧ください。
吐く息も白くなる朝を迎えてつつ紅葉も一層色濃くなりました。みなさまのお身体が主なる神によって支えられ癒されますように祈ります。新しい一週間もキリストの平和がみなさまとともにありますようにと祈ります。
2025年11月24日月曜日
2025年11月23日日曜日
2025年11月30日(日) 礼拝 予定
―待降節第1主日礼拝―
―アドベント第1主日礼拝―
時間:10時30分~ 説教=「目を覚ましていなさい」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』13 章32~37 節
聖書=『マルコによる福音書』13 章32~37 節
(新約90頁)
讃美=94. 21‐561(420). 21‐26.説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
2025年11月17日月曜日
11月16日 降誕前第6主日礼拝を献げることができました
おかげさまで11月16日 泉北ニュータウン教会では降誕前第6主日礼拝を献げることができました。
礼拝堂で中継用のパソコンを準備していますと 何やら別の部屋でこどもたちの楽しそうな声が聞こえてきました。何だろうと覗きますとおとなと一緒におにぎりを作っていました。そう この日は礼拝後にバザーがあるのです。小さな集まりながらもバザーが行えるようになりとても温かな気持ちになりました。
聖日礼拝では『マルコによる福音書』13章5〜13節をテキストにして「世の終末」という 欧米 とくにアメリカ合衆国のバイブルベルトにあたる地域にのキリスト教原理主義の人々には破壊的かつ選民思想的な理解がされがちな箇所について 実のところ人の子イエスは「福音があらゆる民に宣べ伝えられなくてはならない」と語っているところに注目しました。「福音」とは「よき知らせ」を意味しますが 具体的には神の愛に基づく統治の完成を意味し 世のあらゆる争いや弱者叩き 差別や格差がなくなり人々に平安が訪れるさまをも示しています。キリスト教原理主義とは正反対のことを人の子イエスは語っています。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」との人の子イエスのことばには戦時下に弾圧されたキリスト者や独裁者に抵抗したキリスト者の姿を偲びました。
現代ではSNSの発達を悪用し匿名で人の尊厳が踏みにじり自死に追いやる赦しがたい事案がありました。他者を攻撃しなければ自我を保ち得ない人々のなかにキリストは自ら入りその行為のなかに人の苦しみや悲しみを見つつ愛のわざをやめませんでした。神の国の先取りとして教えを語り自らその愛を伝え十字架で殺害されながらも復活したイエス・キリストを仰ぎつつ新しい一週間を始めたいと願った朝でした。
みなさまの新しい一週間を主なる神がますます祝福されますように。寒さ募る日々 くれぐれもお身体を大切にされますようにと祈ります。
礼拝堂で中継用のパソコンを準備していますと 何やら別の部屋でこどもたちの楽しそうな声が聞こえてきました。何だろうと覗きますとおとなと一緒におにぎりを作っていました。そう この日は礼拝後にバザーがあるのです。小さな集まりながらもバザーが行えるようになりとても温かな気持ちになりました。
聖日礼拝では『マルコによる福音書』13章5〜13節をテキストにして「世の終末」という 欧米 とくにアメリカ合衆国のバイブルベルトにあたる地域にのキリスト教原理主義の人々には破壊的かつ選民思想的な理解がされがちな箇所について 実のところ人の子イエスは「福音があらゆる民に宣べ伝えられなくてはならない」と語っているところに注目しました。「福音」とは「よき知らせ」を意味しますが 具体的には神の愛に基づく統治の完成を意味し 世のあらゆる争いや弱者叩き 差別や格差がなくなり人々に平安が訪れるさまをも示しています。キリスト教原理主義とは正反対のことを人の子イエスは語っています。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」との人の子イエスのことばには戦時下に弾圧されたキリスト者や独裁者に抵抗したキリスト者の姿を偲びました。
現代ではSNSの発達を悪用し匿名で人の尊厳が踏みにじり自死に追いやる赦しがたい事案がありました。他者を攻撃しなければ自我を保ち得ない人々のなかにキリストは自ら入りその行為のなかに人の苦しみや悲しみを見つつ愛のわざをやめませんでした。神の国の先取りとして教えを語り自らその愛を伝え十字架で殺害されながらも復活したイエス・キリストを仰ぎつつ新しい一週間を始めたいと願った朝でした。
みなさまの新しい一週間を主なる神がますます祝福されますように。寒さ募る日々 くれぐれもお身体を大切にされますようにと祈ります。
2025年11月16日日曜日
2025年11月23日(日) 礼拝 予定
―降誕前第5主日礼拝―
―収穫感謝日・謝恩日礼拝―
時間:10時30分~説教=「刈り入れを分かちあい、ともに喜ぶ」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』10 章17~22節
聖書=『マルコによる福音書』10 章17~22節
(新約81頁)
讃美=503.21‐566.21‐26.説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
2025年11月9日日曜日
2025年11月16日(日) 礼拝 予定
―降誕前第6主日礼拝―
時間:10時30分~説教=「とりこし苦労からの解放」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』13 章5~13節
聖書=『マルコによる福音書』13 章5~13節
(新約88頁)
讃美=Ⅱ80.21‐474.21‐26.説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
聖日礼拝を「幼児祝福式礼拝」として献げました。
おかげさまで本日教会では聖日礼拝を「幼児祝福式礼拝」として献げ 八名の就学前のこどもたちが 保護者の方々とともに主なる神の祝福を授かりました。
礼拝での説教では『マルコによる福音書』12章18〜27節に記された「人の子イエスのサドカイ派に対する復活をめぐる問答」をテキストとして扱いました。授かったこどもを「財産相続の後継」としかみなさないサドカイ派は、祭司職にありながらも当時のユダヤ教の中では「復活」を信じない人々として知られています。『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』のみがサドカイ派の拠って立つテキスト。いずれの物語にも「復活」は字義通りには記されていません。
イエス・キリストはそのようなサドカイ派に対し 世代を越えて語り継がれる「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」とのヘブライ人の先祖と関連づけ 弔いを超えて神とともに語り継がれる人々は今なお生きているとの理解を突きつけます。この枠のなかで こどもたちのあり方も理解されるとのメッセージを本日は受けとりました。
今日では表向きには分からないところで幼児やこどもたち 少年少女がさまざまな虐待にさらされています。また十分な話し合いのない多産も今日では家庭内暴力として理解されます。
こどもたちを神に豊かに祝福された人格として受けとめ 大人として育み支えていく責任を新たにこころに刻んだ礼拝となりました。
準備にあたりご奉仕くださった方々には衷心より感謝申しあげます。
みなさまの新しい一週間が主なる神とともにありますよう祈ります。お身体をイエス・キリストが支えてくださりますように。
礼拝での説教では『マルコによる福音書』12章18〜27節に記された「人の子イエスのサドカイ派に対する復活をめぐる問答」をテキストとして扱いました。授かったこどもを「財産相続の後継」としかみなさないサドカイ派は、祭司職にありながらも当時のユダヤ教の中では「復活」を信じない人々として知られています。『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』のみがサドカイ派の拠って立つテキスト。いずれの物語にも「復活」は字義通りには記されていません。
イエス・キリストはそのようなサドカイ派に対し 世代を越えて語り継がれる「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」とのヘブライ人の先祖と関連づけ 弔いを超えて神とともに語り継がれる人々は今なお生きているとの理解を突きつけます。この枠のなかで こどもたちのあり方も理解されるとのメッセージを本日は受けとりました。
今日では表向きには分からないところで幼児やこどもたち 少年少女がさまざまな虐待にさらされています。また十分な話し合いのない多産も今日では家庭内暴力として理解されます。
こどもたちを神に豊かに祝福された人格として受けとめ 大人として育み支えていく責任を新たにこころに刻んだ礼拝となりました。
準備にあたりご奉仕くださった方々には衷心より感謝申しあげます。
みなさまの新しい一週間が主なる神とともにありますよう祈ります。お身体をイエス・キリストが支えてくださりますように。
2025年11月2日日曜日
2025年11月9日(日) 礼拝 予定
―幼児祝福式礼拝―
時間:10時30分~ 説教=「神のこどもたちに気づかされて」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』12 章18~27
聖書=『マルコによる福音書』12 章18~27
(新約86頁)
讃美=467.461.21‐26.説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
「永眠者記念礼拝」「墓前礼拝」を執り行いました。
おかげさまで本日教会では午前には永眠者記念礼拝 「教会の活動を考える会・伝道委員会」をはさんで「泉北ニュータウン教会墓前礼拝」を執り行い さる教会員の納骨式を執行いたしました。
わたしたちの教会の祝祷の冒頭には「主なる神のみもとに安らう兄弟姉妹とともに」との文言を加えています。それはイエス・キリストを通して育まれる交わりとは世にある者のみならず 天に召された者とも ともに神の恵みを讃美しているとの思いから生まれています。
概して在来の日本にある宗教では大切な家族を失った悲しみや痛みを「忘れよう」とする態度に力点が置かれている模様ですが 『聖書』に立つわたしたちの信仰は 譬えいかなる最期を迎えたとしても世にある生涯を「まっとうした」と捉えます。そして世にある生を新しい復活のいのちへと結びつけ 深く心に刻みます。もちろん死に伴う絶望や痛みや苦しみは避けられませんが その苦難を十字架刑に処せられたイエス・キリストが担ってくださったとの理解に立ちます。
本日は天候にも恵まれ 墓前礼拝の行われた堺公園墓地には多くの方々がお集まりくださりました。
密度の濃い一日のプログラムでしたが さしたるハプニングもなく久しぶりに集った方々の喜びは何ものにも代え難い宝となりました。
死はいのちへの転換点であるとの理解を参列者とともにし 再会の時を楽しみにしました。
みなさまの新しい一週間に 死をも乗り越えるいのちの主イエス・キリストの祝福と平安とがともにありますように祈ります。次週聖日には幼児祝福式礼拝が控えております。こちらも覚えてお祈りください。
わたしたちの教会の祝祷の冒頭には「主なる神のみもとに安らう兄弟姉妹とともに」との文言を加えています。それはイエス・キリストを通して育まれる交わりとは世にある者のみならず 天に召された者とも ともに神の恵みを讃美しているとの思いから生まれています。
概して在来の日本にある宗教では大切な家族を失った悲しみや痛みを「忘れよう」とする態度に力点が置かれている模様ですが 『聖書』に立つわたしたちの信仰は 譬えいかなる最期を迎えたとしても世にある生涯を「まっとうした」と捉えます。そして世にある生を新しい復活のいのちへと結びつけ 深く心に刻みます。もちろん死に伴う絶望や痛みや苦しみは避けられませんが その苦難を十字架刑に処せられたイエス・キリストが担ってくださったとの理解に立ちます。
本日は天候にも恵まれ 墓前礼拝の行われた堺公園墓地には多くの方々がお集まりくださりました。
密度の濃い一日のプログラムでしたが さしたるハプニングもなく久しぶりに集った方々の喜びは何ものにも代え難い宝となりました。
死はいのちへの転換点であるとの理解を参列者とともにし 再会の時を楽しみにしました。
みなさまの新しい一週間に 死をも乗り越えるいのちの主イエス・キリストの祝福と平安とがともにありますように祈ります。次週聖日には幼児祝福式礼拝が控えております。こちらも覚えてお祈りください。
2025年10月26日日曜日
2025年11月2日(日) 礼拝 予定
―永眠者記念礼拝―
時間:10時30分~ 説教=「死はいのちへの転換点」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』7 章14~23
聖書=『マルコによる福音書』7 章14~23
(新約74頁)
讃美=520.519.21‐26.説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
降誕前第9主日礼拝を献げることができました
おかげさまで降誕前第9主日礼拝を献げることができました。世間ではハロウィンの風習があるなかで この十年 とりたてて特別な行事は行わないものの 泉北ニュータウンでは「宗教改革記念礼拝」と銘打ち礼拝を献げてまいりました。
本日の礼拝では「神が結び合わせたものを人が引き離してはならない」と結婚式で新郎新婦の交わす約束が『マルコによる福音書』の「離縁をめぐる人の子イエスと律法学者との問答」に由来するとの由来を確かめました。その上で 現代でいう「当事者なき法曹関係者の議論」にイエス・キリストが劣位とされていた女性の当事者の深い痛みとともに臨んでいた態度を確かめながら、神の愛が誰とともにいつ注がれるのかを確かめました。
政治的には新たな内閣が発足しながらもひとり親の家庭は困窮を極めています。民間の「こども食堂」に始まる市民運動も物価高のなか飽和状態を迎えているところもあります。
泉北ニュータウン教会と連なる「たけしろみんなの食堂」も懸命に地域に奉仕しておりますが やはり一層の支援を必要としています。
ハロウィンと同様のイベントと化しがちなブライダル産業に与することなく キリストの教会は「引き離してはならない」との宣言が『聖書』に属しながら 神の前に等しく並び立つ隣人相互の交わりの基であるとの文脈を無視するわけにはまいりません。
今朝の礼拝では神の前に対等な夫婦の交わりを雛形として教会共同体が堅く立つとの理解を新たに確かめました。
2025年も残りふた月となりました。教会のわざがますます祝福される候を迎えます。
みなさまにおかれましては新しい一週間 新しいひと月に主なる神のますますの祝福と正義が臨みますよう祈ります。公正な政治と判断が主なる神とともにありますように。
本日の礼拝では「神が結び合わせたものを人が引き離してはならない」と結婚式で新郎新婦の交わす約束が『マルコによる福音書』の「離縁をめぐる人の子イエスと律法学者との問答」に由来するとの由来を確かめました。その上で 現代でいう「当事者なき法曹関係者の議論」にイエス・キリストが劣位とされていた女性の当事者の深い痛みとともに臨んでいた態度を確かめながら、神の愛が誰とともにいつ注がれるのかを確かめました。
政治的には新たな内閣が発足しながらもひとり親の家庭は困窮を極めています。民間の「こども食堂」に始まる市民運動も物価高のなか飽和状態を迎えているところもあります。
泉北ニュータウン教会と連なる「たけしろみんなの食堂」も懸命に地域に奉仕しておりますが やはり一層の支援を必要としています。
ハロウィンと同様のイベントと化しがちなブライダル産業に与することなく キリストの教会は「引き離してはならない」との宣言が『聖書』に属しながら 神の前に等しく並び立つ隣人相互の交わりの基であるとの文脈を無視するわけにはまいりません。
今朝の礼拝では神の前に対等な夫婦の交わりを雛形として教会共同体が堅く立つとの理解を新たに確かめました。
2025年も残りふた月となりました。教会のわざがますます祝福される候を迎えます。
みなさまにおかれましては新しい一週間 新しいひと月に主なる神のますますの祝福と正義が臨みますよう祈ります。公正な政治と判断が主なる神とともにありますように。
2025年10月19日日曜日
2025年10月26日(日) 礼拝 予定
―降誕前第9主日礼拝―
時間:10時30分~ 説教=「出会いは神こそがなせるわざ」
稲山聖修牧師
聖書=『マルコによる福音書』10 章2~12 節
聖書=『マルコによる福音書』10 章2~12 節
(新約81頁)
讃美= 187.Ⅱ-167.21-27.説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
聖霊降臨節第20主日礼拝を献げることができました
おかげさまで本日は聖霊降臨節第20主日礼拝を献げることができました。本日は特別伝道礼拝として二年前に天に召された故・渡辺敏雄牧師のご学友である高木総平牧師をお招きして主なる神を讃美しました。
高木総平牧師のお話ではASEANから除かれたフィリピンの貧困層のこどもたちよりも精神的に行き詰っているのは東アジアの日韓であり その隙をついて様々なカルトが幅を利かせてきたとのことでした。
少なくない臨床心理士が指摘するには「わが家には仏壇も神棚もない。そもそも見えない事柄が大切だとの話を聴かなかった」との話を自死寸前にいたるまでの状況にいたった青少年から聞いたとのことでした。
高木総平牧師からのお話にあらためて襟を正すとともに 教会の伝道目的とは単に教勢を強めるという浅薄なものではなく 人と較べなくては生きられないと主張する社会に いのちの固有性としての豊かさを示すところにあると再確認いたしました。
聖日礼拝後には高木総平牧師を囲む懇親の時を授かり バイタリティ溢れる高木牧師のお働きと 渡辺敏雄牧師との友情を窺い知ることができました。この機会を備えてくださった主なる神に感謝の念あふれる一日でした。
このような交わりの拠点として泉北ニュータウン教会が用いられるならばこれほど嬉しいことはありません。
新しい一週間 主なる神がみなさまとともにおられると確信し ますますの祝福を祈ります。
高木総平牧師のお話ではASEANから除かれたフィリピンの貧困層のこどもたちよりも精神的に行き詰っているのは東アジアの日韓であり その隙をついて様々なカルトが幅を利かせてきたとのことでした。
少なくない臨床心理士が指摘するには「わが家には仏壇も神棚もない。そもそも見えない事柄が大切だとの話を聴かなかった」との話を自死寸前にいたるまでの状況にいたった青少年から聞いたとのことでした。
高木総平牧師からのお話にあらためて襟を正すとともに 教会の伝道目的とは単に教勢を強めるという浅薄なものではなく 人と較べなくては生きられないと主張する社会に いのちの固有性としての豊かさを示すところにあると再確認いたしました。
聖日礼拝後には高木総平牧師を囲む懇親の時を授かり バイタリティ溢れる高木牧師のお働きと 渡辺敏雄牧師との友情を窺い知ることができました。この機会を備えてくださった主なる神に感謝の念あふれる一日でした。
このような交わりの拠点として泉北ニュータウン教会が用いられるならばこれほど嬉しいことはありません。
新しい一週間 主なる神がみなさまとともにおられると確信し ますますの祝福を祈ります。
2025年10月12日日曜日
2025年10月19日(日) 礼拝 予定
―聖霊降臨節第20主日礼拝―
――特別伝道礼拝――
時間:10時30分~説教=「死からいのちへ」
高木総平牧師
『マルコによる福音書』4 章35 節
(新約68 頁)
(新約68 頁)
『ヨハネの手紙Ⅰ』3 章14 節
(新約444 頁)
讃美= 21-57.21-575.21-27.
当日のライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
聖霊降臨節第19主日礼拝を献げることができました
おかげさまで聖霊降臨節第19主日礼拝を献げることができました。昨日は「 こひつじこども園」の「あそBOフェスタ」が行われ、雨天と晴天がめぐる天候でも園児さんや保護者の方々が楽しめました。礼拝では職員の方々の癒しを覚えて祈りました。
本日の『聖書』のテキストは『マタイによる福音書』20章1〜16節。「ぶどう園🍇の労働者の譬え」と呼ばれる箇所でした。この箇所で描かれるのは、夜明け、午前9時頃、お昼頃、午後3時頃、そして午後5時にスカウトされた日雇い労働者の人々と手当を与えるブドウ園の主人とのやりとりです。一日の日当は1デナリオンですが それはどの時間帯から就労しても同額の手当が支払われます。
この物語にわたしたちは主人の金銭感覚はおかしい、またはこれこそベーシックインカムの走りだとの解釈をしがちですが 実のところは神の前には一日の就労の成果を問わず 名もない労働者の存在そのものに神は等しく祝福と恵みを備えているとは読めないでしょうか。
タイムパフォーマンス・コストパフォーマンスが叫ばれる中でイエス・キリストの譬えは今なお静かな力を放ちます。成果主義が幅を利かす世にあって 神が慈しんだのは孤児や寡婦 そして寄留者と呼ばれた難民でした。このような生活下におかれた人々の働きは限られ世からはしばしば蔑まれます。だからこそ「1デナリオン」の値打ちが誰にでも備えられるのです。この恵みを前にしてわたしたちは大いに励まされ 新しい一週間へと歩み始めるのです。
礼拝後には明日結婚式を控えた若いおふたりのための備えに赦された方々が奮励した一日となりました。いよいよ次世代の時代です。その前途を整える責任を痛切に感じた一日でした。
みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福を祈ります。
本日の『聖書』のテキストは『マタイによる福音書』20章1〜16節。「ぶどう園🍇の労働者の譬え」と呼ばれる箇所でした。この箇所で描かれるのは、夜明け、午前9時頃、お昼頃、午後3時頃、そして午後5時にスカウトされた日雇い労働者の人々と手当を与えるブドウ園の主人とのやりとりです。一日の日当は1デナリオンですが それはどの時間帯から就労しても同額の手当が支払われます。
この物語にわたしたちは主人の金銭感覚はおかしい、またはこれこそベーシックインカムの走りだとの解釈をしがちですが 実のところは神の前には一日の就労の成果を問わず 名もない労働者の存在そのものに神は等しく祝福と恵みを備えているとは読めないでしょうか。
タイムパフォーマンス・コストパフォーマンスが叫ばれる中でイエス・キリストの譬えは今なお静かな力を放ちます。成果主義が幅を利かす世にあって 神が慈しんだのは孤児や寡婦 そして寄留者と呼ばれた難民でした。このような生活下におかれた人々の働きは限られ世からはしばしば蔑まれます。だからこそ「1デナリオン」の値打ちが誰にでも備えられるのです。この恵みを前にしてわたしたちは大いに励まされ 新しい一週間へと歩み始めるのです。
礼拝後には明日結婚式を控えた若いおふたりのための備えに赦された方々が奮励した一日となりました。いよいよ次世代の時代です。その前途を整える責任を痛切に感じた一日でした。
みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福を祈ります。
2025年10月5日日曜日
2025年10月12日(日) 礼拝 予定
―聖霊降臨節第19主日礼拝―
――神学校日礼拝――
時間:10時30分~説教=「汗水流して働く者はみな仲間」
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』20 章1~16 節
聖書=『マタイによる福音書』20 章1~16 節
(新約38頁)
讃美= 21-521(344),504,21-27.説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
聖霊降臨節第18主日礼拝を献げ 世界聖餐日礼拝として聖餐式を執り行ないました
秋雨の降るなかではありましたが おかげさまで聖霊降臨節第18主日礼拝を献げ 世界聖餐日礼拝として聖餐式を執り行ないました。
礼拝説教のテキストは『マタイによる福音書』19章13〜23節。『聖書 新共同訳』では37ページとなります。この箇所ではイエスに祝福していただくために連れられてきたこどもたちと人々の姿が描かれる一方で 豊かな暮らしのなかにいた青年が永遠のいのちのありようを問いながらも「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」との答えとともに人の子イエスからはその場では祝福されず悲しみながら立ち去る、という構成となっています。
それぞれの箇所を別個に扱うのも可能ですが イエス・キリストを軸に右手には祝福されるこどもたち、左手にはその場では祝福されなかった青年という構図で捉えますと 更なる解釈の可能性が見えてきます。つまり人の子イエスはその時代の経済的にはアッパークラスの青年に対して貧困層のこどもたちへ「ノブレス・オブリージュ」としての責任を示しているという理解です。
事態はそれにとどまらず『ヨブ記』で不条理な苦難に遭った義人ヨブが「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え 主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と呟く箇所に焦点が向けられます。青年がこの箇所をどのように受けとめているのか イエス・キリストは慈しみながらも厳しく問うているようにも思えます。
経済格差がますます拡大するなかで本日の箇所を繰り返し味わいますと 貧しくあるがゆえに暮らしに必要な知識すら十分に持てない人々に対する関わりをイエス・キリストは積極的に促しているように思えます。それは貧乏人であれ金持ちであれ「裸で生まれ、裸で帰る」ほかはない人の儚さと崇高さを同時に示しているようです。
不景気や物価高のなか外国人への不当な差別的言動や偏見が暮らしを侵食する一方で キリストの生きかたと教えに従うわざは 神の前に立つ人としての正気を保たせてくださります。
新しい一週間を始めるにあたり主なる神がともにいてくださるよう祈ります。キリストにある「正気」を確かめながらともにあゆみましょう。
礼拝説教のテキストは『マタイによる福音書』19章13〜23節。『聖書 新共同訳』では37ページとなります。この箇所ではイエスに祝福していただくために連れられてきたこどもたちと人々の姿が描かれる一方で 豊かな暮らしのなかにいた青年が永遠のいのちのありようを問いながらも「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」との答えとともに人の子イエスからはその場では祝福されず悲しみながら立ち去る、という構成となっています。
それぞれの箇所を別個に扱うのも可能ですが イエス・キリストを軸に右手には祝福されるこどもたち、左手にはその場では祝福されなかった青年という構図で捉えますと 更なる解釈の可能性が見えてきます。つまり人の子イエスはその時代の経済的にはアッパークラスの青年に対して貧困層のこどもたちへ「ノブレス・オブリージュ」としての責任を示しているという理解です。
事態はそれにとどまらず『ヨブ記』で不条理な苦難に遭った義人ヨブが「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え 主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と呟く箇所に焦点が向けられます。青年がこの箇所をどのように受けとめているのか イエス・キリストは慈しみながらも厳しく問うているようにも思えます。
経済格差がますます拡大するなかで本日の箇所を繰り返し味わいますと 貧しくあるがゆえに暮らしに必要な知識すら十分に持てない人々に対する関わりをイエス・キリストは積極的に促しているように思えます。それは貧乏人であれ金持ちであれ「裸で生まれ、裸で帰る」ほかはない人の儚さと崇高さを同時に示しているようです。
不景気や物価高のなか外国人への不当な差別的言動や偏見が暮らしを侵食する一方で キリストの生きかたと教えに従うわざは 神の前に立つ人としての正気を保たせてくださります。
新しい一週間を始めるにあたり主なる神がともにいてくださるよう祈ります。キリストにある「正気」を確かめながらともにあゆみましょう。
2025年9月28日日曜日
2025年10月5日(日) 礼拝 予定
―聖霊降臨節第18主日礼拝―
――世界聖餐日礼拝――
時間:10時30分~説教=「裸で生まれ、裸に還る」
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』19 章13~23 節
聖書=『マタイによる福音書』19 章13~23 節
(新約37頁)
讃美= 74,21-155,讃美ファイル3,21-27.説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
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礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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聖霊降臨節第17主日礼拝を献げることができました
おかげさまで聖霊降臨節第17主日礼拝を献げることができました。泉北ニュータウン教会では出張の牧師に代わり吉村厚信補教師による説教が行われました。礼拝の司会はすべて教会役員が担当してコロナ禍以前の体制が教会の聖日礼拝として整えられたこととなります。
吉村厚信補教師は1982年に同志社大学神学部を卒業しその後一般企業に就職され、その後大学院神学研究科博士前期課程に進まれました。
一般常識の酸い甘いを噛み分けた上での礼拝で語られたのは『コリントの信徒への手紙Ⅱ』12章1〜10節をテキストとした「弱さ」を軸とした説教でした。
強さばかり求める者はやがて人々の交わりに分裂をもたらすか、または慢心のなかで時が止まったかのような変化を拒むあり方に固執するほかありません。しかし使徒パウロはその弱さを通してこそ偽りのない交わりが育まれると説きます。それは他ならぬ人の子イエスの生き方と直結しています。
次回礼拝から10月を迎えます。特に次週聖日は『世界聖餐日』。弱さに潜むイエス・キリストの恵みは飢えや病に苦しむ人々と食を分かち合い、いのちの糧をともにされます。
吉村厚信先生に心よりの感謝を献げます。新しい一週間 新しいひと月のみなさまの歩みに 主なる神の祝福がますます豊かに臨みますよう祈ります。
吉村厚信補教師は1982年に同志社大学神学部を卒業しその後一般企業に就職され、その後大学院神学研究科博士前期課程に進まれました。
一般常識の酸い甘いを噛み分けた上での礼拝で語られたのは『コリントの信徒への手紙Ⅱ』12章1〜10節をテキストとした「弱さ」を軸とした説教でした。
強さばかり求める者はやがて人々の交わりに分裂をもたらすか、または慢心のなかで時が止まったかのような変化を拒むあり方に固執するほかありません。しかし使徒パウロはその弱さを通してこそ偽りのない交わりが育まれると説きます。それは他ならぬ人の子イエスの生き方と直結しています。
次回礼拝から10月を迎えます。特に次週聖日は『世界聖餐日』。弱さに潜むイエス・キリストの恵みは飢えや病に苦しむ人々と食を分かち合い、いのちの糧をともにされます。
吉村厚信先生に心よりの感謝を献げます。新しい一週間 新しいひと月のみなさまの歩みに 主なる神の祝福がますます豊かに臨みますよう祈ります。
2025年9月21日日曜日
2025年9月28日(日) 礼拝 予定
―聖霊降臨節第17主日礼拝―
時間:10時30分~説教=「弱さ」
吉村厚信補教師
聖書=『コリントの信徒への手紙Ⅱ』12 章1~10 節
(新約339頁)
讃美=21-529(333),21-579(355),21-26聖書=『コリントの信徒への手紙Ⅱ』12 章1~10 節
(新約339頁)
説教要旨は、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
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YouTube中継・編集動画メッセージは
担当者不在のため休止します。
聖霊降臨節第16主日礼拝を献げることができました
少しずつ秋の足音を遠くに聞く候 おかげさまで聖霊降臨節第16主日礼拝を献げることができました。日中の陽射しは強いながらも夜半には秋の深まりを感じます。
本日は「さまよう羊を追いかける羊飼い」と題し『マタイによる福音書』18章10〜14節をテキストにして礼拝を執り行いました。よく知られた「九十九匹の羊の群から離れた一匹の羊」を追いかける羊飼いの譬え話。現場で働く羊飼いと牧場の経営者の羊への関わり方の違いにも触れながら 第一次産業 とりわけ家畜とともに暮らす困難さを分かち合わずにはおれませんでした。
現在ではすべての国産鶏卵にロット番号が刻まれています。徹底した衛生管理が工場にも似た設備にて行われていますが かつては病に罹患した鶏が一羽でも出れば鶏舎ごと処分しなくてはなりませんでした。鶏の餌屋との関係や人件費 損害を含めた収支報告のなかで倒産する農家も少なくありませんでした。
そのような困難のなかで採算度外視で一匹の羊を追いかける羊飼い。その姿は真面目を通り越して滑稽であり 牧場の経営者に褒められようとも思っていません。
けれどもこの羊飼いはひたすら迷い出た一匹の羊を追いかけます。もしあなたがその羊だったらどうされるでしょうか。
組織に馴染めず商品価値すら失った羊を追い求める羊飼いに初代教会の人々は救い主イエス・キリストの姿を重ねました。十字架よりも早期の教会の象徴にはこの羊飼いを仰ぐ姿がありました。群から外れた羊たちは身を守る何の武装も武器も持ってはいません。
だからこそイエス・キリストは羊飼いとして新しい週もわたしたちを導いてくださると確信します。この羊飼いを全面的に信頼して九月最後の週を歩んでまいりましょう。みなさまに主なる神の祝福と平安がますます臨みますように。
*なお次週聖日礼拝では牧師出張により動画配信と礼拝中継は行いません。重ねてご容赦ください。
本日は「さまよう羊を追いかける羊飼い」と題し『マタイによる福音書』18章10〜14節をテキストにして礼拝を執り行いました。よく知られた「九十九匹の羊の群から離れた一匹の羊」を追いかける羊飼いの譬え話。現場で働く羊飼いと牧場の経営者の羊への関わり方の違いにも触れながら 第一次産業 とりわけ家畜とともに暮らす困難さを分かち合わずにはおれませんでした。
現在ではすべての国産鶏卵にロット番号が刻まれています。徹底した衛生管理が工場にも似た設備にて行われていますが かつては病に罹患した鶏が一羽でも出れば鶏舎ごと処分しなくてはなりませんでした。鶏の餌屋との関係や人件費 損害を含めた収支報告のなかで倒産する農家も少なくありませんでした。
そのような困難のなかで採算度外視で一匹の羊を追いかける羊飼い。その姿は真面目を通り越して滑稽であり 牧場の経営者に褒められようとも思っていません。
けれどもこの羊飼いはひたすら迷い出た一匹の羊を追いかけます。もしあなたがその羊だったらどうされるでしょうか。
組織に馴染めず商品価値すら失った羊を追い求める羊飼いに初代教会の人々は救い主イエス・キリストの姿を重ねました。十字架よりも早期の教会の象徴にはこの羊飼いを仰ぐ姿がありました。群から外れた羊たちは身を守る何の武装も武器も持ってはいません。
だからこそイエス・キリストは羊飼いとして新しい週もわたしたちを導いてくださると確信します。この羊飼いを全面的に信頼して九月最後の週を歩んでまいりましょう。みなさまに主なる神の祝福と平安がますます臨みますように。
*なお次週聖日礼拝では牧師出張により動画配信と礼拝中継は行いません。重ねてご容赦ください。
2025年9月14日日曜日
2025年9月21日(日) 礼拝 予定
―聖霊降臨節第16主日礼拝―
時間:10時30分~説教=「さまよう羊を追いかける羊飼い」
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』18章10~14節
(新約35頁)
讃美=239,21-402(502),21-26聖書=『マタイによる福音書』18章10~14節
(新約35頁)
説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
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なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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聖霊降臨節第15主日礼拝を献げました
おかげさまで聖霊降臨節第15主日礼拝を献げました。この日の聖日礼拝は長寿感謝の日礼拝とし この祝福には19名の教会員が授かりました。礼拝の後には記念写真を撮影しともに慶びを分かちあいました。
礼拝後には教会員だけでなく こひつじこども園職員 放課後等デイサービス こひつじ職員の職員研修を行いました。「教会とこども園(社会福祉法人)は車の両輪」との自覚に立つ事業体として祈りに始まり 祈りに終わるよき学びの会となりました。
聖書研究会 祈祷会 みのり会という平日定例集会がコロナ禍以前の状態にようやく戻りました。特に祈祷会にはコロナ禍以前よりも出席者が増えました。みなさまのお祈りには衷心より感謝申しあげます。
新しい一週間が始まります。みなさまの一日いちにちに主なる神の祝福と平和がありますように。世界の紛争地に一日も早く平和が訪れますよう祈ります。
礼拝後には教会員だけでなく こひつじこども園職員 放課後等デイサービス こひつじ職員の職員研修を行いました。「教会とこども園(社会福祉法人)は車の両輪」との自覚に立つ事業体として祈りに始まり 祈りに終わるよき学びの会となりました。
聖書研究会 祈祷会 みのり会という平日定例集会がコロナ禍以前の状態にようやく戻りました。特に祈祷会にはコロナ禍以前よりも出席者が増えました。みなさまのお祈りには衷心より感謝申しあげます。
新しい一週間が始まります。みなさまの一日いちにちに主なる神の祝福と平和がありますように。世界の紛争地に一日も早く平和が訪れますよう祈ります。
2025年9月7日日曜日
2025年9月14日(日) 礼拝 予定
―聖霊降臨節第15主日礼拝―
時間:10時30分~説教=「神の輝く真珠を身につけて」
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』13 章44~50節
(新約26頁)
讃美=517,520,Ⅱ 192(1 節のみ),21-26聖書=『マタイによる福音書』13 章44~50節
(新約26頁)
説教要旨・動画、ライブ中継については、
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礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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聖霊降臨節第14主日礼拝を献げることができました
みなさまのお祈りのお陰で本日は聖霊降臨節第14主日礼拝を献げることができました。
礼拝では『マタイによる福音書』13章24〜30節をテキストとして「麦と毒麦」をめぐる人の子イエスの譬え話を土台にメッセージを共有しました。
隣国との緊張関係が続く地域の田畑の主人は、本来ならば食用の麦であればまだしも、その実に毒素を含んだ毒麦の種子が蒔かれるならばしもべを用いて直ちに選別の作業にかかるのが常道のはずです。
しかしこの箇所の畑の主人はしもべの云う毒麦が本当かどうか分からないからもう少し時をおきなさいと命じるのです。
わたしたち人間の認識とはときに全体を把握せず一部を以て結論を出しがちです。しかしこの譬え話に描かれる麦畑の主人は慎重を期して選別を先延ばしにします。そのなかで人の尺度ではなく神の尺度でもって事態を収拾しようとするのです。
わたしたちはともすれば通俗道徳や身辺にはびこる「常識」でもってことの善悪を測りがちです。しかしこの譬え話に登場する畑の主人は早急な判断には立ちません。
思えばイエス・キリストはその時代に罪人として定められた人々のために十字架で処刑され その後に復活されました。この出来事のなかで「毒麦」として定められた人々も神の恵みの養いを授かったはずです。
言語や習慣の異なる人々がお互いを「毒麦」呼ばわりして排除しようとする現代 神の前の自己吟味に留まらず隣人を受け入れる第一歩として自らが毒麦であるとの立場を選ぶのも悪くはありません。
自らが毒麦と思い込んだ筈の難民や無国籍の方々 また家族のなかで「はみだしもの」として腫れもののように見なしている者との関係に神の真理が宿っているとの可能性は大いにあり得ます。それはほかならぬ「いのちの可能性」です。
偏見に基づく「選別と排除」を超えて イエス・キリストが毒麦の「毒」を清めてくださります。
だからこそわたしたちは「清められた者」として 社会の歪みに根をおろす差別やいのちへの冒涜に抵抗できるのです。
酷暑はまだまだ続きますが みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますように。主なる神がすべてのいのちを祝福されています。その確信をともに分かちあいましょう。
礼拝では『マタイによる福音書』13章24〜30節をテキストとして「麦と毒麦」をめぐる人の子イエスの譬え話を土台にメッセージを共有しました。
隣国との緊張関係が続く地域の田畑の主人は、本来ならば食用の麦であればまだしも、その実に毒素を含んだ毒麦の種子が蒔かれるならばしもべを用いて直ちに選別の作業にかかるのが常道のはずです。
しかしこの箇所の畑の主人はしもべの云う毒麦が本当かどうか分からないからもう少し時をおきなさいと命じるのです。
わたしたち人間の認識とはときに全体を把握せず一部を以て結論を出しがちです。しかしこの譬え話に描かれる麦畑の主人は慎重を期して選別を先延ばしにします。そのなかで人の尺度ではなく神の尺度でもって事態を収拾しようとするのです。
わたしたちはともすれば通俗道徳や身辺にはびこる「常識」でもってことの善悪を測りがちです。しかしこの譬え話に登場する畑の主人は早急な判断には立ちません。
思えばイエス・キリストはその時代に罪人として定められた人々のために十字架で処刑され その後に復活されました。この出来事のなかで「毒麦」として定められた人々も神の恵みの養いを授かったはずです。
自らが毒麦と思い込んだ筈の難民や無国籍の方々 また家族のなかで「はみだしもの」として腫れもののように見なしている者との関係に神の真理が宿っているとの可能性は大いにあり得ます。それはほかならぬ「いのちの可能性」です。
偏見に基づく「選別と排除」を超えて イエス・キリストが毒麦の「毒」を清めてくださります。
だからこそわたしたちは「清められた者」として 社会の歪みに根をおろす差別やいのちへの冒涜に抵抗できるのです。
酷暑はまだまだ続きますが みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますように。主なる神がすべてのいのちを祝福されています。その確信をともに分かちあいましょう。
2025年8月31日日曜日
2025年9月7日(日) 礼拝 予定
―聖霊降臨節第14主日礼拝―
時間:10時30分~説教=「人生の実りに問われる生き方」
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』13 章24~30節
(新約25頁)
讃美=21-421(日本語),21-434(320),21-26聖書=『マタイによる福音書』13 章24~30節
(新約25頁)
説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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聖霊降臨節第13主日礼拝を献げることができました
おかげさまで8月31日 聖霊降臨節第13主日礼拝を献げることができました。人の子イエスが血のつながる家族の訪問を受けて群衆と弟子を示しながら「わたしの母とは誰か 兄弟とは誰か」と返答し 弟子を示して「ここにわたしの母 わたしの兄弟がいる」と返答する場面が本日の箇所でした。
現代のガザ地区侵攻問題にも重なりますが『旧約聖書』の『ヨシュア記』や『士師記』には「聖絶」として解釈される場面があります。その箇所だけ切り抜けば特定の民族に対するジェノサイドが神の命令により正当化されるという理解。それが「聖絶」と呼ばれます。
しかし現代ではいかなる理由があろうとも戦闘員・民間人を問わず絶滅戦争や虐殺が赦されるなどという理屈がまかり通ってよいはずがありません。それでは『旧約聖書』でそのような愚行を牽制するしくみがあるとするならばそれは何でしょうか。
端的にいえばそのしくみとはイスラエルの民以外のアンモン人であれペリシテ人であれ「神の似姿」として創造され、かつすべての人々がエバとアダムの末裔であり血縁関係があるとの理解に根ざします。則ちいかなる敵対関係にあろうとも特定の民族を絶滅に追いやる行為は「カインとアベル」の物語にあるごとく「兄弟殺し」の謗りを免れないところにそのしくみがあります。日本でも戦国武将同士の婚姻関係は対立する武将相互の和睦を意味しました。
しかしこのような仕方での和解とは血縁関係に連なる者に何らかの痛みを強いずにはおれません。人の子イエスが血のつながる家族を前にして敢えて群衆や弟子をして「わたしの母 わたしの兄弟」と称したのには 係累による強いられた苦しみの解放とともに 孤独に苛まれる人々へ新しい家族のモデルを提起してもいます。
『創世記』で示された家族の最小単位とは血族による「部族」や「一族」ではなく血縁のない「夫婦」となります。そのつながりを踏まえた上で ミケランジェロの「ピエタ」にあるような母と子の絆に初めていたります。
家族同士のDVや親による子殺しという残酷な報道が相次ぐなか イエス・キリストの示す交わりへ依存することにより 主にある平安をとりもどすという道が拓けるように思います。課題を独りで背負い思い詰める前に まず教会やその付帯施設の門を叩いていただきたいと願います。あなたは決して独りではありません。
9月が始まります。みなさまには酷暑の疲れが癒されますよう祈ります。
現代のガザ地区侵攻問題にも重なりますが『旧約聖書』の『ヨシュア記』や『士師記』には「聖絶」として解釈される場面があります。その箇所だけ切り抜けば特定の民族に対するジェノサイドが神の命令により正当化されるという理解。それが「聖絶」と呼ばれます。
しかし現代ではいかなる理由があろうとも戦闘員・民間人を問わず絶滅戦争や虐殺が赦されるなどという理屈がまかり通ってよいはずがありません。それでは『旧約聖書』でそのような愚行を牽制するしくみがあるとするならばそれは何でしょうか。
端的にいえばそのしくみとはイスラエルの民以外のアンモン人であれペリシテ人であれ「神の似姿」として創造され、かつすべての人々がエバとアダムの末裔であり血縁関係があるとの理解に根ざします。則ちいかなる敵対関係にあろうとも特定の民族を絶滅に追いやる行為は「カインとアベル」の物語にあるごとく「兄弟殺し」の謗りを免れないところにそのしくみがあります。日本でも戦国武将同士の婚姻関係は対立する武将相互の和睦を意味しました。
しかしこのような仕方での和解とは血縁関係に連なる者に何らかの痛みを強いずにはおれません。人の子イエスが血のつながる家族を前にして敢えて群衆や弟子をして「わたしの母 わたしの兄弟」と称したのには 係累による強いられた苦しみの解放とともに 孤独に苛まれる人々へ新しい家族のモデルを提起してもいます。
『創世記』で示された家族の最小単位とは血族による「部族」や「一族」ではなく血縁のない「夫婦」となります。そのつながりを踏まえた上で ミケランジェロの「ピエタ」にあるような母と子の絆に初めていたります。
家族同士のDVや親による子殺しという残酷な報道が相次ぐなか イエス・キリストの示す交わりへ依存することにより 主にある平安をとりもどすという道が拓けるように思います。課題を独りで背負い思い詰める前に まず教会やその付帯施設の門を叩いていただきたいと願います。あなたは決して独りではありません。
9月が始まります。みなさまには酷暑の疲れが癒されますよう祈ります。
2025年8月24日日曜日
2025年8月31日(日) 礼拝 予定
―聖霊降臨節第13主日礼拝―
時間:10時30分~説教=「神の家族に連なる喜び」
稲山聖修牧師
聖書=『マタイによる福音書』12 章46~50 節
(新約23頁)
讃美=90,21-566(536),21-24聖書=『マタイによる福音書』12 章46~50 節
(新約23頁)
説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
聖霊降臨節第12主日礼拝を迎えられました
おかげさまで聖霊降臨節第12主日礼拝を迎えられました。説教タイトルは人の子イエスの語った教えでもある「蛇のように賢く 鳩のように素直であれ」との箇所でした。
初代教会への大弾圧を視野に入れながら人の子イエスは「蛇のように賢く 鳩のように素直であれ」と語ります。初代教会ではまずは「救い主はイエスとして来り賜う」との立場から、救い主の訪れを認めない古代ユダヤ教から石を投げられ排除を伴う弾圧を受けました。さらにローマ帝国からは皇帝に対する礼拝を拒否した多くの信徒が見せもののように暴力による弾圧を受けました。
初代教会への大弾圧を視野に入れながら人の子イエスは「蛇のように賢く 鳩のように素直であれ」と語ります。初代教会ではまずは「救い主はイエスとして来り賜う」との立場から、救い主の訪れを認めない古代ユダヤ教から石を投げられ排除を伴う弾圧を受けました。さらにローマ帝国からは皇帝に対する礼拝を拒否した多くの信徒が見せもののように暴力による弾圧を受けました。
しかしそのような迫害下でもキリスト教徒は恐れず愛のわざを神の愛の証しとして恐れず 隣人を愛し続けました。
現代のわたしたちはとかく「家庭の融和」という観点から争いを遠ざけようとします。しかしヘイト発言やレイシズムによって苦しむ人々との連帯を教会が大切にしてきたのも確かな事実です。
「蛇のような賢さ」とはキリストのもとにある「鳩のような素直さ」と不可分です。この賢さと素直さこそ キリストが語り賜うたわたしたちのあり方であり賜物です。神の愛による世の統治こそ わたしたちの愛のわざの目標であり キリストがわたしたちに約束された福音(よろこびの報せ)です。
まだまだ酷暑が続きますが みなさまの新しい一週間に主なる神の平和がありますよう祈ります。
現代のわたしたちはとかく「家庭の融和」という観点から争いを遠ざけようとします。しかしヘイト発言やレイシズムによって苦しむ人々との連帯を教会が大切にしてきたのも確かな事実です。
「蛇のような賢さ」とはキリストのもとにある「鳩のような素直さ」と不可分です。この賢さと素直さこそ キリストが語り賜うたわたしたちのあり方であり賜物です。神の愛による世の統治こそ わたしたちの愛のわざの目標であり キリストがわたしたちに約束された福音(よろこびの報せ)です。
まだまだ酷暑が続きますが みなさまの新しい一週間に主なる神の平和がありますよう祈ります。
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