五月晴の中 緑いっそう深まる候 みなさまのおかげで復活節第6主日の礼拝を献げることができました。聖日礼拝の執行を踏まえた上で、次は教会の諸集会の再建を目指した試みに移ってまいります。
もちろん教会はコロナ禍の後遺症にも向き合わねばなりません。病理としての後遺症に留まらず、教会のわざの中には直ちに以前の具合へと再起動をかけるには時を要するところもあります。教会がキリストを頭とした交わりでもあり、コンピューターのプログラムではない以上、当然といえば当然です。
この三年間、新型感染症対策を講じるにあたり教会の交わりに動揺が走ったこともありましたが、そのたびに神は自らの知恵をキリストを通してお示しくださりました。それは奉仕活動の精神主義からの脱却です。
1990年代にかけて「這ってでも礼拝に出席を」との薫陶のもと育った世代には、このコロナ禍は的外れの精神主義に冷や水を浴びせました。この方向転換に際してハンドルは決して軽くはありませんでしたが、教会のありかたが新たにされるその瞬間にわたしたちは立ち会ったこととなります。
キリストの肢体としての柔軟さとはいかなるありかたか。この問いかけに耳を傾けながら、寄り添う隣人を尊びたいと願った今朝の礼拝でした。
みなさまの新しい一週間に、神さまの祝福と平安が豊かにありますよう祈ります。