2022年8月14日日曜日

聖霊降臨節第11主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第11主日礼拝を献げることができました。本日は最後の大阪大空襲から七十七年を数えた日でもあります。京橋駅に四発の1トン爆弾が投下されて500名を超える民間人が犠牲になった日です。
 

敗戦後しばらく京橋から大阪城周辺にかけての広大な敷地には、旧軍需工場跡の屑鉄を拾い集めて生きる糧とするため警察の取締りをかいくぐる人々がいました。誰もが日々命懸けでした。

ところで八月十五日はポツダム宣言を日本が受諾した日であり、国際法に則して第二次世界大戦が終結した日ではありません。それでもなお、あと一日でも早く日本がこの受諾を公にしていたら助かる命は多かったろうにと口惜しく思います。

戦争で家族を亡くし、手足を失い、目や耳を失った人々が本日の聖書の箇所を味わったとするならば、その思いはどのようなものであったか。さまざまな偏見を受けながらも「命
あっての物種」だとの声を幾たびか聴きました。軽々しく文章には記せない声です。

今なお戦争続く地と関わりながら、わたしたちはコロナ禍という準戦時体制のもとで暮らしています。「行動制限なし」との言葉のなかでいつのまにか日本は世界最大の新型感染症大国になってしまいました。だからこそ、こどもたちや身体を弱くされた方々のためにも、神さまに全てを委ねてあゆむ一週間としたいものです。

八月も後半を迎えます。みなさまの日々の暮らしに神さまがともにおられますように、心身が支えられますように祈ります。