新型コロナウイルス感染症の勢いまだまだ留まらず、第七波の出口もまだ見通せないままです。しかしその中でもこどもたちはたくましく育まれていきます。
77年前には一歳の幼子が、家族ともどもシベリア経由で強制移住の憂き目に遭い、たどり着いた先がウクライナ。そして今、戦争の惨禍から逃れるために再び日本の地を踏むという激動の道筋。こどものいのちなぞ数のうちに入らないとされた抑留の混乱をよくぞ生き抜かれたものだと安堵のあまり言葉もありません。
他方でわたしたちの日常は、コロナ禍での行動制限なしの日々の中で絶えず感染リスクを覚えながら過ぎ去っていきます。暮らしの糧を失い家族が離散したという話は枚挙にいとまがありません。
この人間の混乱の中で、わたしたちには今は隠されている神の御旨が必ずあり、それは揺らぐことなく成就するとの確信を与えられた今朝の礼拝でした。それは神の平和(シャーローム)の実現に向かう歴史の流れにわたしたちがもれなく加えられている、ということです。
世にあってわたしたちは絶えず何某かの混乱と不安に隣り合わせとなりますが、その混乱と不安の只中に神が備え給う逃れの道があり、養いの道があります。
八月も後半を迎えました。イエス・キリストの愛が絶えず注がれていることに喜び、感謝しながらあゆむ一週間となりますように祈ります。新型コロナウイルスに感染され、治療を受けている方々に、神の癒しと支えと平安がありますように。