本日の礼拝説教のテキストは『ルカによる福音書』10章17〜24節。72人の無名の弟子が12弟子と同様に神の愛を証しする宣教のわざに遣わされ、立派に働きを全うした様子が描かれます。肝心なのはその後にイエスが神の愛である聖霊に満たされて喜びにあふれたという箇所。イエス・キリストはこの箇所で大いに笑顔を見せていたと考えます。
イエスの「笑い」とはユーモアに満ち、歪んだ社会をもたらした権力者の圧政を洒落のめし、72人の弟子を通じて人々に笑顔を広めていったに違いありません。そのユーモア自体が神なき統治者に畏怖の念を起こしたことでしょう。
さらに72人の弟子と12弟子の人数を足し、12で割れば7となります。いわばラッキーセブン。表向きは決して一枚岩ではなかった弟子たちも、キリストに遣わされることで神の愛の完全性を示したとも読みとれます。
わたしたちの日常は表向きはさまざまな破れや衝突もあります。しかしそのような考えや生き方のぶつかりあいの中にも、神の愛の完全性が隠されているのだとすれば、なおのこと喜びとともにキリストを見つめずにはおれません。わたしたちの至らなさや破れを神の愛はつつんであまりあります。だからこそその力を原動力にして大切な隣り人の悲しみも笑顔もともにしていきたく願います。予期せぬ自然災害に苦しむ人の痛みを覚え、神の平和を乞い願いつつ、みなさまの新しい一週間が神の愛にあふれたものとなりますように祈ります。涙の中にこそ神の希望は宿るのです。