2024年5月5日日曜日

おかげさまで復活節第6主日礼拝を献げることができました

おかげさまで復活節第6主日礼拝を献げることができました。ありがとうございました。
 

本日の『ヨハネによる福音書』の箇所では「あなたがたには世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」との言葉にまとまる箇所です。この一連の箇所ではキリストの苦難に弟子は寄り添えずばらばらになりキリスト自らをひとりきりにするとあります。福音書の書き手集団は弟子たちの弱さを殊更に強調しているように思います。しかし同時にわたしたちは福音書そのものが生き残った弟子の口伝承が基にあると知っています。つまり弟子の深い負い目が福音書に先行して深く渦巻いでおり、キリストに対する眼差しと自己への省察が混在しています。わたしたちはこのテキストから本日何を読みとるべきでしょうか。
 

思うにキリストの苦難に寄り添えきれなかった弟子の弱さだけではなく、その弱さをすべて見通した上でイエスが弟子を逃れさせたとの視点です。ペトロやユダの裏切りをすべて見抜き、その上で弟子をすべて「逃れさせた」キリストの愛です。

そう考えますと「よい羊飼いは羊のためにいのちを捨てる」や「一粒の麦は死ねば豊かな実りを得る」といったよく知られた『聖書』の言葉が、俄然より強く迫ることとなります。
 

とくにコロナ禍以降、わたしたちは社会における人と人との交わりが希薄になっているのを感じます。「リモートワーク」による仕事だけでなく「リモート呑み会」なるものも現れました。しかしモニターのスイッチをオフにした時に残る虚しさを矛先をわたしたちは何に向ければよいのでしょうか。

むしろ青葉いよいよ鮮やかとなり、鳥が囀り、風爽やかな今日のような一日、リモートの接続を遮断して青空を仰ぐなかで祈りを献げ、側からはそれがひとりごとのように思われても恐れずに神に心をひらく時間ではないかと思うのです。

笑顔も悲しみも不安も喜びも、主なる神はすべて祈りに変えてくださいます。ひとりきりになったと思う時にこそ、主なる神はわたしたちのそばにいてくださります。

その平安を忘れずに新しい一週間を過ごしたいと願います。みなさまの日々にイエス・キリストがともにおられますように祈ります。