2024年5月26日日曜日

三位一体主日礼拝をお献げすることができました

本格的に初夏の訪れを感じる候となりました。 こひつじこども園・泉北ニュータウン教会の園庭にある大麦も刈り入れられ、『ヨハネによる福音書』の「一粒の麦地に落ちて死ねば」の箇所に一層のリアリティを感じる候となりました。
 

本日の聖書の箇所はナザレのイエスが弟子のフィリポに自らの昇天後に「弁護者を送る」と話すところでした。「弁護者」とは、キリストを通して明らかにされた神の愛の力である聖霊の大切な属性です。聖霊のこの働きによって、弁護を必要とする破れと痛みに満ちたわたしたちは、今なおキリストに支えられています。
 

大阪市西成区あいりん地区、通称「釜ヶ崎」で懸命に医療ボランティアに従事したものの、NGOや医療法人の助成金不正受給問題に向き合い不審死を遂げた故・矢島祥子さんのご遺族とともに、その死を風化させまいと励むご遺族とお時間をご一緒してフライヤー配布に励む時を与えられました。祥子さんの月命日の毎月14日に鶴見橋商店街で行われています。

フライヤー配布の後には祥子さんのご遺体が発見された木津川の千本松渡船場を訪ねました。その場で献げられたのは、捜査に本腰を入れない大阪府警への抗議ではなく、口語訳讃美歌312番『いつくしみふかき』でした。ご家族をまことに不本意な仕方で天に見送ったご兄弟は嘆きの代わりに讃美をともにしようとされました。「これはただごとではないぞ」と「弁護者」たる聖霊の力を深く感じ入りました。

日々のわざの中で、わたしたちは思うように仕事や育児、身の上が進まない時に愚痴をこぼしたり弱音を吐いたりいたします。涙すら流そうといたします。しかし泣き言を言いながらも諦めず事柄にしがみついてさえいれば、不思議にも心配事や悩み事が解きほぐされたり、思わない支えを得たりと、多様な仕方で助けを授かります。その根源に、イエス・キリストを通した聖霊による「弁護のわざ」が隠されてはいないかと振り返って思います。新しい一週間、助け主たる神の愛の力に背中を押されているとの確信に立つわたしたちです。