2024年6月30日日曜日

2024年7月7日(日) 礼拝 予定

      聖霊降臨節第8主日礼拝― 

時間:10時30分~

 

説教=「いのちはゆきめぐり、時は満ちていく」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』5 章 19~25 節
(新約聖書  172頁).

讃美=  356,21-289(122),21-29(544).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第7主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第7主日礼拝を献げることができました。本日の『聖書』のテキストは『ヨハネによる福音書』4章46〜54節、人の子イエスがカファルナウムに暮らす役人の願いを聴き入れたという物語です。この役人は「王」に仕えていたと文脈では考えられますので、おそらくはヘロデ・アンティパスに仕えていたと考えられます。 
 

福音書また続編の物語でもある『使徒言行録』には、クリスマス物語にて占星術の博士から「ユダヤ人の王」たることを間接的に否定され、ベツレヘムに暮らす二歳以下の男児を虐殺したヘロデ大王に始めとした「ヘロデ一族」の系譜の振る舞いが描かれます。この一族は『聖書』に現れては洗礼者ヨハネ、イエス・キリスト、その直接・間接の弟子である使徒の宣教活動を邪魔しにかかります。単なる文学として読むならば、『新約聖書』はヘロデ一族の呪いの物語としても味わえます。

 しかし「事柄はそのように単純ではない」と語るのもまた福音書の醍醐味です。王の役人の息子が病により死に瀕した際、役人は父親として息子の救済を求めます。「あなたがたはしるしや不思議なわざを見なければ決して信じない」とのイエスに誡められながらも、役人は息子が癒される前に「主よ」と呼びかけます。言わば「見ないで信じる者」の模範としてこの役人は描かれています。

 おそらく役人は自ら仕える君主が洗礼者ヨハネに対して行なった仕打ちやイエスの弟子に対する暴挙のみならず、イエス・キリスト自身に対する謀略を百も承知であったことでしょう。自らがダークゾーンに立つからこそ、救いを求めるわたしたちの姿の雛形が描かれているように思えてなりません。

時に現代の教会共同体は犯罪容疑者の家族や反社会組織から脱しながらも法的制裁を受け続ける家族やとりわけこどもたちの痛みに無関心です。『旧約聖書』では親が罪を犯した場合でも子の罪は問われない箇所があるにも拘らず、です。

犯罪の被害者の家族だけでなく加害者の家族もまた底知れぬ苦しみと孤独に苛まれながら放置されるのが実情です。しかしイエス・キリストは、ヘロデ一族に関わる恩讐を顧みず、役人の息子のいのちを癒して救いました。その足跡をわたしたちは無視するわけにはまいりません。

 実定法において定められる刑罰とはあくまでもその法律を定めた国民国家の法体系の範囲を超えるものではありません。死刑の是非も含めて、イエス・キリストが役人の息子を癒したとの本日の記事はわたしたちに重い問いかけを投げかけているのではないでしょうか。

「組織の因果が子に報い」との連鎖をイエス・キリストは見事に絶って、役人の家族にあふれるばかりの救いをもたらしました。教会の交わりや関連する事業体にも同じ問いが向けられています。主なる神の愛にますます信頼する態度が今の時代にこそ求められています。授かった神の愛による交わりをますます広めていく姿勢を身近なところから広めてまいりましょう。
 

礼拝後には「たけしろみんなの食堂」の奉仕がありました。ご奉仕を担われた方々に衷心より感謝申しあげます。

みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますように祈ります。

2024年6月23日日曜日

聖霊降臨節第6主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第6主日礼拝を献げることができました。梅雨を迎える蒸し暑さのなか、わたしたちが礼拝でともにしたテキストは『旧約聖書』の『ヨナ書』でした。神の召し出しを受け、その声に素直に聴き従ったイザヤやエレミヤ、エリヤに比べますと、預言者ヨナは神の導きから逃れようとする実にユニークな人物です。イスラエルの民には不倶戴天の敵でもある国の都ニネベの人々に悔い改めと救いをもたらすメッセージを告げよとの神の召し出しはヨナの意思に反するものであり、ひたすら彼は神から逃亡しようと試みます。しかしヨナの企てはすべて砕かれてしまい、彼は結果として王侯貴族から庶民にいたるまでニネベの人々悔い改めさせ、破滅から救ってしまいます。ヨナは神に叫びます。「こんなはずではなかった。死んだほうがましだ!」と。
 

イタリアのバチカン市国にあるシスティーナ大聖堂の正面に描かれる「最後の審判」と、その天井にある『ヨナ書』にある「救いと悔い改め」には、そのような不思議な共通点があるのかもしれません。神の「救い」とは人の恩讐を超えるものだとの理解です。
 

ヨナにとっては「こんなはずではなかった」とのつぶやきにつつまれたアッシリア帝国の都ニネベの悔い改めの物語。それはわたしたちの生活のなかにも見出せるかもしれません。「こんなはずではなかった」とのつぶやきには、自分勝手な望みや希望が打ち砕かれたときの失意が込められてます。しかしその失意のなかに「神の平和」が隠されているとするならば、わたしたちの溜息には別の意味が加わるはずです。
 

本日6月23日は沖縄戦の慰霊の日でした。公式には第二次世界大戦で沖縄戦の組織的戦闘が終結した日だとされますが、島民の人々は「それからが地獄だった」と語ります。9月2日までゲリラ戦や集団自決は続いていた歴史をわたしたちは知っているでしょうか。

『ヨナ書』の主題を煎じ詰めますと、イエス・キリストの「敵を愛しなさい」との教えに集約されます。ヨナはニネベの人々を好きにはなれませんでしたが、人々が救われたとのメッセージは明らかです。争いの報せあふれる今日、あらためて善悪の根拠をイエス・キリストの教えと生涯に求めてみてはいかがでしょうか。たとえ嘲笑のなかにあっても、その根は決して切り倒されないと確信します。

みなさまの新しい一週間に主なる神の癒しと励ましを祈ります。

2024年6月30日(日) 礼拝 予定

     聖霊降臨節第7主日礼拝― 

時間:10時30分~

 

説教=「誰も退けず、神の祝福は等しく」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』4 章 46~54 節
(新約聖書  171頁).

讃美=  291,21-471(Ⅱ 164),21-28(545).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年6月16日日曜日

2024年6月23日(日) 礼拝 予定

    聖霊降臨節第6主日礼拝― 

時間:10時30分~

 

説教=「こんなはずではなかったが」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨナ書』3章6~10節
(旧約聖書  1447頁).

讃美=  74,21-204(54),21-28(545).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第5主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第5主日礼拝を献げることができました。
 
パソコンのリモート中継プログラムがなぜか順調に機能せず 説教壇に立つ側からいたしますと思わず焦りましたが、そんな小さなうろたえをものともしない多くの方々のお支えとご理解に深く感謝申しあげます。
 

梅雨を目前に控えた本日の礼拝のテキストは、『ヨハネによる福音書』にあるサマリア人の女性と旅人に身をやつした人の子イエスとの出会いの箇所でした。日差しがもっとも強くなる真昼間に、人の子イエスは「ヤコブの井戸」の傍らに腰をおろします。そしてその場に来たサマリア人の女性に「水を飲ませてください」と求めます。自分の弱さを隠さないイエスとの出会いから、名もないサマリア人の女性は「内から湧き出る泉」のありかを示されます。

ところで「水」を示すヘブライ語は「マイム」と申します。「マイム・マイム」と云えば戦後の日本でよく知られたフォークダンスでもあります。

人の子イエスとの出会いのもと、サマリアの女性は「汲めども尽きない泉」のありかを知ることとなりました。女性はこの泉を求めるなかでイエス・キリストと出会うにいたりました。デンマークの思想家セーレン・キルケゴールは「行為としての内面性」にこの泉の源を問い尋ねました。

わたしたちも日々のなかで潤いを求めて時に苦しみます。その渇きのなかと同じ疲労のなかで座りこむイエス・キリストとの出会いの機会を授けられています。くたびれた姿をキリストは惜しげもなくわたしたちに晒して苦しみをともにしてくださります。そのなかに神の前にたたずむ人の姿を見出すことはできないでしょうか。

本日の礼拝ではご高齢を迎えるなか病を担い苦しむ教会の仲間だけでなく、自然災害の復旧作業に汗を流す方々を覚えて祈りました。さらにはご家族を天に見送られた教会員を覚えて祈るなか、昨年ご逝去された先代の主任牧師のクラスメートも遠路はるばるお越しになりました。新たな讃美と喜びの輪が少しずつ広まりつつあります。

みなさまの新しい一週間に、いのちに祝福をもたらす神、主イエス・キリストの愛がともにありますよう祈ります。

なお今週の定例集会としては6月20日(木)午前10時より、教会の「信交室」にて「みのり会」があります。こちらもお覚えください。

2024年6月9日日曜日

聖霊降臨節第4主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第4主日礼拝を献げることができました。本日は「子どもの日・花の日礼拝」を執り行い、「教会学校」や「 こひつじこども園」「放課後等デイサービス こひつじ」の関係者・園児さん・お子さんがお越しくださり実に賑やかな礼拝となりました。礼拝中に行なったドミノ大会では大歓声の大張り切り。準備にあたったこども園の職員の方々のひらめきと行動力には心より感謝申しあげます。
 

礼拝後には消防署や老人ホームへお花を持って表敬訪問をいたしました。コロナ禍の後に少しずつ教会学校の活動の花も開花しようとしています。
 

一方で本日6月9日(日)朝に天に召された教会員を覚えずにはおれません。戦前・戦中・戦後と激動の時代に活かされて、ご家族のみならずこども園のためにもご尽力されたお方でした。今は神さまのもとにおられるその方も、きっと今日の礼拝をご覧になって微笑んでくださっていることかと存じます。ご遺族に主なる神の深い慰めと癒しがありますようにと祈ります。天に召された方の足跡にはうるおいに満ちた実りが力強く備えられていると確信いたします。
 

みなさまの新しい一週間に、いのちに祝福をもたらす神、主イエス・キリストの愛がともにありますよう祈ります。
 

2024年6月16日(日) 礼拝 予定

   聖霊降臨節第5主日礼拝― 

時間:10時30分~

 

説教=「マイム・マイムは『聖書』のことば」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』4章7〜15節
(新約聖書  169頁).

讃美=  500,21-474(280),21-28(545).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
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2024年6月2日日曜日

聖霊降臨節第三主日礼拝を献げることができました

 六月を迎え今年もガクアジサイが教会玄関を飾る候となりました。おかげさまで聖霊降臨節第三主日礼拝を献げることができました。みなさまのお祈りのおかげです。
 

 本日の礼拝では『ヨハネによる福音書』第3章にある「イエスと律法学者ニコデモの対話」を通して、キリスト自らがニコデモの盾となったからこそ、ニコデモは今日の箇所のような人目を忍ぶ夜半にではなく、後に人の子イエスとの出会いを公に言い表わすようになったとのメッセージを分かちあいました。

 わたしたちはニコデモのようなイエスとの出会いによって信仰というありかたに導かれますが、それは予想だにしなかった「危機」という三叉路に直面するからです。すなわち、別の道を行くのか、キリストに導かれるまま進むのか、それともキリストなしの道をあゆむのか、といった具合です。日本では一般に「執着」がよろしくなく「放念」がよろしいとされますが、『聖書』ではそのようには記されません。敢えてとことん執着するなかで「キリストにつながる第三の道」が拓かれ、いつの間にか神の恵みに導かれていく場合もあります。その意味では無駄な人生や無駄な時間はどこにもないといえるでしょう。三叉路の裏道とでもいうべき不思議な道がすでに整えられています。
 

 病の床に就いたり、老いの衰えに寂しさを覚えたり、「これでよいのか」と自問するわたしたちですが、そのすべてに「キリストにつながる裏道」が備えられています。その道はいつか神の祝福にあふれ多くの交わりにつながっています。どのような場もどのような時も決して無駄にはなりません。

 新しい月、新しい一週間が始まります。キリストにつながる恵みにあふれた一週間を祈ります。

2024年6月9日(日) 礼拝 予定

  ―聖霊降臨節第4主日礼拝― 

時間:10時30分~



説教=「野の花っていろいろあるよね」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』6 章 28~30 節
(新約聖書  10頁).

讃美=  ※改訂版こどもさんびか:132,106,58.

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
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