2024年6月23日日曜日

聖霊降臨節第6主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第6主日礼拝を献げることができました。梅雨を迎える蒸し暑さのなか、わたしたちが礼拝でともにしたテキストは『旧約聖書』の『ヨナ書』でした。神の召し出しを受け、その声に素直に聴き従ったイザヤやエレミヤ、エリヤに比べますと、預言者ヨナは神の導きから逃れようとする実にユニークな人物です。イスラエルの民には不倶戴天の敵でもある国の都ニネベの人々に悔い改めと救いをもたらすメッセージを告げよとの神の召し出しはヨナの意思に反するものであり、ひたすら彼は神から逃亡しようと試みます。しかしヨナの企てはすべて砕かれてしまい、彼は結果として王侯貴族から庶民にいたるまでニネベの人々悔い改めさせ、破滅から救ってしまいます。ヨナは神に叫びます。「こんなはずではなかった。死んだほうがましだ!」と。
 

イタリアのバチカン市国にあるシスティーナ大聖堂の正面に描かれる「最後の審判」と、その天井にある『ヨナ書』にある「救いと悔い改め」には、そのような不思議な共通点があるのかもしれません。神の「救い」とは人の恩讐を超えるものだとの理解です。
 

ヨナにとっては「こんなはずではなかった」とのつぶやきにつつまれたアッシリア帝国の都ニネベの悔い改めの物語。それはわたしたちの生活のなかにも見出せるかもしれません。「こんなはずではなかった」とのつぶやきには、自分勝手な望みや希望が打ち砕かれたときの失意が込められてます。しかしその失意のなかに「神の平和」が隠されているとするならば、わたしたちの溜息には別の意味が加わるはずです。
 

本日6月23日は沖縄戦の慰霊の日でした。公式には第二次世界大戦で沖縄戦の組織的戦闘が終結した日だとされますが、島民の人々は「それからが地獄だった」と語ります。9月2日までゲリラ戦や集団自決は続いていた歴史をわたしたちは知っているでしょうか。

『ヨナ書』の主題を煎じ詰めますと、イエス・キリストの「敵を愛しなさい」との教えに集約されます。ヨナはニネベの人々を好きにはなれませんでしたが、人々が救われたとのメッセージは明らかです。争いの報せあふれる今日、あらためて善悪の根拠をイエス・キリストの教えと生涯に求めてみてはいかがでしょうか。たとえ嘲笑のなかにあっても、その根は決して切り倒されないと確信します。

みなさまの新しい一週間に主なる神の癒しと励ましを祈ります。