おかげさまで聖霊降臨節第5主日礼拝を献げることができました。
パソコンのリモート中継プログラムがなぜか順調に機能せず 説教壇に立つ側からいたしますと思わず焦りましたが、そんな小さなうろたえをものともしない多くの方々のお支えとご理解に深く感謝申しあげます。
梅雨を目前に控えた本日の礼拝のテキストは、『ヨハネによる福音書』にあるサマリア人の女性と旅人に身をやつした人の子イエスとの出会いの箇所でした。日差しがもっとも強くなる真昼間に、人の子イエスは「ヤコブの井戸」の傍らに腰をおろします。そしてその場に来たサマリア人の女性に「水を飲ませてください」と求めます。自分の弱さを隠さないイエスとの出会いから、名もないサマリア人の女性は「内から湧き出る泉」のありかを示されます。
ところで「水」を示すヘブライ語は「マイム」と申します。「マイム・マイム」と云えば戦後の日本でよく知られたフォークダンスでもあります。
人の子イエスとの出会いのもと、サマリアの女性は「汲めども尽きない泉」のありかを知ることとなりました。女性はこの泉を求めるなかでイエス・キリストと出会うにいたりました。デンマークの思想家セーレン・キルケゴールは「行為としての内面性」にこの泉の源を問い尋ねました。
わたしたちも日々のなかで潤いを求めて時に苦しみます。その渇きのなかと同じ疲労のなかで座りこむイエス・キリストとの出会いの機会を授けられています。くたびれた姿をキリストは惜しげもなくわたしたちに晒して苦しみをともにしてくださります。そのなかに神の前にたたずむ人の姿を見出すことはできないでしょうか。
本日の礼拝ではご高齢を迎えるなか病を担い苦しむ教会の仲間だけでなく、自然災害の復旧作業に汗を流す方々を覚えて祈りました。さらにはご家族を天に見送られた教会員を覚えて祈るなか、昨年ご逝去された先代の主任牧師のクラスメートも遠路はるばるお越しになりました。新たな讃美と喜びの輪が少しずつ広まりつつあります。
みなさまの新しい一週間に、いのちに祝福をもたらす神、主イエス・キリストの愛がともにありますよう祈ります。
なお今週の定例集会としては6月20日(木)午前10時より、教会の「信交室」にて「みのり会」があります。こちらもお覚えください。