2024年7月28日日曜日

2024年8月4日(日) 礼拝 予定

 聖霊降臨節 第12主日礼拝― 

 ―――平和聖日礼拝――― 

時間:10時30分~




説教=「秘めた悲しみに宿る平和への願い」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』7 章 1~9 節
(新共同訳 新約176頁)

讃美=  21-495(310),531,讃美ファイル 3
「主の食卓を囲み」(全節),Ⅱ.171


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第11主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第11主日礼拝を献げることができました。先週に続いての陽射しの強さでしたが、蝉時雨はより強まり、いのちの躍動を感じました。礼拝堂は前日にこども園の職員の方々により整えられ、また本日は教会員のご奉仕により空調も整えられての礼拝で、あらためて多くの方々の支えの中で礼拝が成り立つことに感謝の一日でした。
 

礼拝のテキストは『ヨハネによる福音書』でした。イエスが自らを「いのちのパンである」と宣言する箇所です。「飽食の時代」といわれてから、食に事欠く世帯も顕在化するようになった今、改めて「キリストにある交わりの再構築」と「主にある交わりの刷新」が問われています。これは何度もなんどもわたしたちが確かめなくてはならない事柄です。

イエス・キリストは自らに疑念を抱くところか、敵愾心を燃やすような人々に対しても「わたしはいのちのパンである」と語りかけました。それはあたかも人が思いおもいに築きあげた憎しみによる分断を越えて自らを相手にさしだすわざをも意味しているようでした。

一見すれば賑やかで華やかな街の影には、周囲と一切関わりを絶ち、引きこもりだと揶揄されながら衰弱死にいたる若者の姿があります。また生活苦を語る場所すら与えられず、この暑さの中で衰弱していく方々がいます。わたしたちも決して「立派な者の集まり」とはいえない群れですが、イエス・キリストに根をおろす交わりであるとの意味では祈りのなかで「事の是非」を見抜く知恵を授かった共同体です。ぜひとも教会にお越しくださいますようにと願います。
 

昨日行われた教会学校日帰り夏期キャンプでは19名の出席を授かりました。何よりも事故から守られたのが幸いです。みなさまお祈りくださりありがとうございました。

新しい一週間は暦も七月から八月へと移り変わります。主なる神は「安息日の主」でもあります。歴史の証言に耳を傾けながら「神の平和」を祈り求める月を迎えます。熱中症警戒アラートに気をつけながら、室温と水分補給に気をつけて過ごしましょう。新しい一週間に主イエス・キリストの祝福が豊かにありますよう祈ります。特にこどもたちやご高齢の方々、さまざまな身体の特性をおもちの方々がまもられ支えられますように。

2024年7月22日月曜日

2024年7月28日(日) 礼拝 予定

       聖霊降臨節 第11主日礼拝― 

時間:10時30分~




説教=「イエスはいのちのパンである」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』6 章 41~52 節
(新共同訳 新約176頁)

讃美= 243,21-451,21-29(544).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。


2024年7月21日日曜日

聖霊降臨節第10主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第10主日礼拝を献げることができました。近畿地方にも梅雨明け宣言が出され、圧迫感を覚えるほどの朝の陽射しでしたが、その中でも礼拝に招かれた教会員や関係者は、お身体の具合や諸事情により出席できなかった方々に神の豊かな祝福と平安を祈りました。
 

本日の礼拝では『ヨハネによる福音書』を『ヨハネの手紙1〜3』と併せて「ヨハネ文章」として扱い、「神の愛」を強調する福音書としてメッセージを分かちあいました。福音書の箇所の朗読は文脈を押さえるためにやや長くなりましたが、「五つのパンの二匹の魚」の奇跡そのもの以上に強調されるのが、その奇跡の源となる神の愛による交わりの養いでした。
 
 
教会も世の他の交わりと同じように人の交わりでもありますから、時には疑問に思うような出来事も起きます。しかしそのような出来事により教会は分断してしまうのではなく、長い時間をかけて互いを尊敬し大切にすることにより、さまざまな困難に打ち勝つができます。それは個人の寛容さに基づくのではなく、「キリストを通して父なる神がわたしたちを愛してくださるから」可能となるのです。
 

解釈に気をつけないといたらない牧師の自己弁護にも聞こえそうなメッセージに陥りがちな『聖書』の箇所でした。そこは注意しなくてはなりませんが、確かに牧師個人のいたらなさもまた、教会員の方々に祈られ赦されているのを想い起こしますと、わたしも当事者なのだと骨身に染み入りました。

また、だからこそ祈り働き続けなければと背中を押される礼拝でした。さまざまな暮らしの状況にあるみなさまであれば、なおさらキリスト・イエスの「大丈夫だよ」との声が迫られたのではないでしょうか。

週末には教会学校一日夏期学校も控えています。暑さの中で身体を傷めがちな候になりましたが、みなさまにはくれぐれもご無理のないようにお過ごしください。他人と較べず心に響くキリストの声にすなおに従い、ご静養に励まれご健康が支えられますように。みなさまの新しい一週間が主なる神とともにありますよう祈ります。

2024年7月14日日曜日

2024年7月21日(日) 礼拝 予定

      聖霊降臨節 第10主日礼拝― 

時間:10時30分~


 

説教=「イエスの微笑みは変わらず」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』6 章 22~27 節
(新共同訳 新約175頁) 

讃美= 399,21-18(Ⅱ.1),21-29(544). 

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第9主日礼拝をお献げできました

おかげさまで聖霊降臨節第9主日礼拝をお献げできました。蒸し暑さつのる朝、礼拝の始まりとともに降りはじめた大粒の雨は、頌栄と祝祷とともに止み、新しい一週間も神の御手にあると、『聖書』のメッセージとともに語りかけるようでした。
 

本日の『聖書』の箇所では、夕方にイエスが弟子たちをガリラヤ湖の岸辺の小舟に乗りこませ、自らは山のなかに姿を消すというショッキングな描写を物語の始まりとします。人の子イエスはひとり山で祈るなか、弟子たちはベトサイダという対岸の街を目指すのですが、逆風に遮られて湖のただなかで恐怖のドン底に叩き落とされます。パニックに陥った弟子は夜明けの朝日とともに姿を現したイエスを幽霊だと見間違うばかり。イエスが舟に乗りこみ「あなたがたに平和があるように」と語るまで安心できませんでした。

福音書では湖畔に暮らす人々には生活に不可欠ながらも常にいのちの危うさに晒される湖に「この世」を重ねます。他方で荒波に揉まれる小さな舟には『創世記』以来「ノアの箱舟物語」とともに救いの場としての「教会」をイメージさせます。しかしそれにしても舟のちっぽけなこと、弟子の無様なことといえば目も当てられません。

困難のなか、そのような交わりのなかで救い主の姿さえ見失ってしまうのが初代教会の交わりでした。波をかぶり風に吹かれ手も足も出ません。その最中に響くのは「主なる神の平和の訪れ」を告げ知らせるイエス・キリストの声でした。
 

能登半島の被災地に加えて、今日の7月14日にかけて、特に西日本には大雨による災害が相次いでいます。彼の地に救いの手が一刻も早く向かうとともに、被災者の方々・教会に深い慰めと癒し、そして支えが臨みますよう祈ります。どの地にあっても現状を見極める神の知恵と力がありますように。みなさまの新しい一週間に主なる神の祝福が注がれますように。深い苦しみや悲しみを分かちあうイエス・キリストがともにおられます。

2024年7月7日日曜日

2024年7月14日(日) 礼拝 予定

       聖霊降臨節 第9主日礼拝― 

時間:10時30分~

 

説教=「逆風は必ずやむ」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』6章45〜52節
(新約聖書  73 頁).

讃美=   492,21-441(268),21-29(544).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
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聖霊降臨節第8主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第8主日礼拝を献げることができました。本日の『聖書』のテキストは『ヨハネによる福音書』5章19〜25節、人の子イエスがエルサレムの城門の傍らにあるベトザダの池で38年間誰にも顧みられずにいた病人を癒したのちに語った神の子キリストの権能についての教えでした。そのなかでも特に「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の力を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」との言葉からは、連続して起きた大震災で犠牲となった方々や、不正な社会組織に立ち向かいながら心ならざる仕方で天に召された矢島祥子内科医を想い起こしながら「天的存在」としての天使についての考えを深めました。
 

酷暑の日々が続くなかではありましたが、YouTubeを用いた礼拝中継では感度のよいマイクを授かり、病床にある方々や遠方にある方々にも礼拝メッセージをさらによい音質でお届けできるようになりました。ご奉仕くださる役員・教会員の方々には衷心より感謝申しあげます。
 

早いもので2024年も折り返しの月となりました。礼拝後には「教会の活動を考える会・伝道委員会」を開催して九月以降の教会の活動の準備のために話しあいました。
 

みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますよう、また酷暑の疲れを癒してくださるように祈ります。くれぐれもお身体お大事にしつつお過ごしください。