2024年8月26日月曜日

2024年9月1日(日) 礼拝 予定

  聖霊降臨節 第16主日礼拝― 

時間:10時30分~


説教=「風に吹かれてもぶれない根」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』8 章 31~38 節
(新共同訳 新約182頁)

讃美=    85,21-306(Ⅱ.177).21-27(541)

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年8月25日日曜日

聖霊降臨節第15主日礼拝を献げることができました

おかげさまで本日は聖霊降臨節第15主日礼拝を献げることができました。8月最後の聖日礼拝でした。人の子イエスの「わたしは世の光である」との聖句をめぐって、古代ユダヤ教の「仮庵祭(奴隷としてエジプトで虐げを受けた後、神に解放された旅路で天幕に暮らした祝いの記念)」に催された「光の祭儀」と重なる点を強調しました。その解き明かしとともに、朝鮮・韓国の詩人尹東柱先生の紹介をいたしました。
 

1941年11月に記された『序詩』ほか多くの作品はハングルで記されており、それら一連の作品が「治安維持法」違反とされ、京都府警下鴨警察に検挙されました。「いのちつきる日まで天を仰ぎ 一点の恥じることもなきを 木の葉ふるわす風にも わたしはこころを痛めた」。「死ぬ日まで天を仰ぎ」とする詩もありますが、キリスト者詩人でもあった尹東柱は「死の向こう側」にある神のまなざしに自らの祈りを重ねていた可能性もあります。ポツダム宣言受諾のほぼ半年前に福岡刑務所で獄死した尹東柱の作品は死の闇を超えて輝くいのちの光を今も放っています。

79年後の甲子園夏の選抜高校野球大会では京都国際高校が優勝し、公共放送で韓国・朝鮮語の校歌が全国に響きました。尹東柱先生の時代からすれば隔世の感がするとともに、時代の扉が少しずつ開くのだとの感慨を禁じ得ません。
 

本日の礼拝には近隣にお住まいの野球部に属する中学生も出席されました。過ぐる週は教会でのご奉仕を喜びとされた姉妹が天に召されただけにしみじみと沁み渡る『聖書』の箇所となりました。

来週から9月の聖日礼拝を迎えます。さまざまな支えのなかで教会の交わりがますます豊かに育まれることを願います。

みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますように祈ります。

2024年8月18日日曜日

2024年8月25日(日) 礼拝 予定

 聖霊降臨節 第15主日礼拝― 

時間:10時30分~


説教=「天にいのちの希望を仰ぐ」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』8 章 12~20 節
(新共同訳 新約181頁)

讃美=   21-494(228),Ⅱ 192.Ⅱ.171

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

おかげさまで本日は聖霊降臨節第14主日礼拝を献げることができました

 おかげさまで本日は聖霊降臨節第14主日礼拝を献げることができました。8月も半ばを過ぎ、朝晩には夕立や涼やかな風も吹くようになりました。しかしまだまだ日中は厳しい残暑の日差しに汗をかく日々です。
 

 本日の『聖書』のテキストは『ヨハネに夜福音書』8章3節からのエピソード。姦通(不倫)の現場で捕らえられたとされる女性が人の子イエスの前に引き出され、一部の律法学者やファリサイ派の人々が「このような女は石で打ち殺せ」と律法にはあるが、あなたはどう考えるのかと詰め寄る姿が描かれています。
 

 人の子イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女性に石を投げなさい」と答えます。この答えを前にして女性を引き出してきた人々は一人去り二人去り、そして最後には女性がひとりとり残されます。

 古代ユダヤ教の世界では、概して女性は法廷での発言が認められていなかった事情を踏まえますと、万が一この女性が不倫を犯したとしても関わった男性が責めを負うべきです。それにも拘らず女性が引き出されたのは「イエスを試して訴える口実を得る」ためでした。名もない女性のいのちを盾にして律法を冒涜していたのは、人の子イエスに詰め寄った人々でした。
 

 戦後の時代の中、それこそ高度経済成長期から今にいたるまで、家族のなかで様々な不条理に沈黙を強いられる女性がいます。男性の暴力や家族の労苦を一身に背負わされるのは女性やこどもたちである場合が殆どです。沈黙のなかで恐怖に慄く女性は『聖書』の世界に限ったことではありません。伴侶が戦死した後、汗みどろになって家族を支えた女性の声は、喧騒のなかに消えつつあります。

 そのような女性たちを中心に立て、イエス・キリストは新しい共同体を打ち立てようと試みました。思えば復活のイエスの報を伝えたのは女性たちでした。今朝のテキストはその呼び水となっているのかもしれません。

 「女は黙っていろ」「女のくせに」という時代は過ぎ去ろうとしていますが、今なお痛みや労苦に打ちひしがれる方々は数知れません。だからこそ、女性も男性も、等しく神の似姿として創造されたことを思い出したく存じます。

 みなさまの新しい一週間に、いのちを慈しみ、育んでいく主なる神の恵みを祈ります。

※なお本日の週報にある9月29日(日)の予定は削除をお願い申しあげます。お詫びして訂正いたします。

2024年8月11日日曜日

2024年8月18日(日) 礼拝 予定

 聖霊降臨節 第14主日礼拝― 

時間:10時30分~

 
 

説教=「人質にされた女性とイエス」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』8 章 3~11 節
(新共同訳 新約180頁)

讃美=   313,21-505(353),Ⅱ.171

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第13主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第13主日礼拝を献げることができました。過ぎにし週には広島・長崎の原爆忌とならび、宮崎県沖日向灘を震源とした地震が起き「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が出されて何とも落ち着かないなかで聖日礼拝を迎えました。それだけに主なる神の賜る平和のありがたさをことのほか感じる一日ともなりました。 
   
さて本日の『聖書』のテキストでは、人の子イエスの教えによって群衆が互いに対立するなか、一部の古代ユダヤ教の指導者が苛立ちを覚える様子が記されます。しかしかつてイエスと語らった指導者層のひとりである人物ニコデモが、あくまでもイエスの言動の正当性を訴える様子を物語の書き手は描きます。憎しみの同調圧力に屈しないニコデモのふるまいは凛としています。憎悪と排除に根ざす集団は容易に解体・分裂する一方で、神の愛の体現者であるイエス・キリストに根ざす交わりの強さをニコデモは証ししてもいます。
 

原爆忌と地震臨時情報を経て、わたしたちは本日あらためて暮らしの根を降ろす場を問われたように思います。マスメディアの報道を受けてさっそく米や飲料水の買い占めが行われている模様です。われ先にと伸ばされる手には冷静さを欠いた他律的な判断が透けて見えます。たとえば能登半島地震の被災者の暮らしの困窮はいずこへかと忘れ去られ、いつのまにかメディアに操られる酩酊の虚しさだけが遺されています。ほんとうにこれでよいのでしょうか。

ニコデモはそのような酩酊に流されなかった人物として描かれているようにも思えます。巨大な自然災害や戦争のなかで、不安や憎しみに駆られた行ないは人命を平然と損なう暴力をもたらします。しかし次の瞬間には互いを告発し責任を転嫁するという疑いと迷いに満ちた孤独な群衆へと変わり果ててしまいます。他者を押しのけようとするあり方から、互いを支えようとするあり方への転換が今こそ求められているように思います。
 

暮らしが危機を迎える「その日・その時」がいつ来るのかは誰にも分かりません。けれどもだからこそ、自らのすべてを神と人とに献げたイエス・キリストとの絆を大事にしながら、備えられる展望に立ちたいと願います。みなさまの新しい一週間が神の平和と知恵に満たされますように祈ります。とくに酷暑のなか、施設で生活されるご高齢の方々、病院やご自宅で療養に励む方々に救い主の癒しと支えがますます備えられますように。

2024年8月4日日曜日

2024年8月11日(日) 礼拝 予定

 聖霊降臨節 第13主日礼拝― 

時間:10時30分~



説教=「神の愛は人の道をはっきり照らす」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』7 章 45~52 節
(新共同訳 新約180頁)

讃美=  21-521(344),171,Ⅱ.171


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第12主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第12主日礼拝を献げることができました。本日は日本基督教団の暦では平和聖日として定められた記念の日で、礼拝でも聖餐式が執り行われました。
 

本日の礼拝説教では戦時下の教会のありかたもさることながら、高度経済成長の流れにとり残されるほどに戦争の傷を負った人々の群像に焦点をあてました。敗戦という大きな価値観の転換のなかで「特攻くずれ」や「戦災孤児」として心ない扱いを受けた人々がいた事実、またあまりにも残酷すぎる光景を体感した結果、地上の生涯のなかで精神疾患に苦しめられた人々、またそのような人々に証言を求めるのは「セカンドレイプ」に等しいゆえ、牧師としては「個別のケースについては差し控える」ほかないことなど申しあげました。そのような人々の犠牲によって高度経済成長期の日本は成りたっていたという面を忘れてはならないとのメッセージを、牧師を含め礼拝出席者みなで分かちあいました。
 

連日のように熱中症警戒アラートが出るなか、招かれざるコロナ禍がきっかけとは申せ、リモートワーク礼拝という道が拓けたことに感謝申しあげます。お身体にさわりのある方や療養中の方々にも礼拝メッセージをご視聴いただけますことに感謝申しあげます。

八月を迎えました。酷暑のなかみなさまくれぐれもお身体ご自愛ください。日本人にとっては心を鎮めてかつての「大東亜共栄圏」に属していた地域の人々、また軍民問わず戦争の犠牲となった人々をいかなる仕方にせよ思い出して平和のために祈る時を迎えています。

いつの時代にも親なきこどもたちや社会的に疎外された人々、貧しさのなかにある人々に主なる神がいますことを忘れませんように。みなさまとともにイエス・キリストがともにおられると祈ります。