おかげさまで本日は聖霊降臨節第15主日礼拝を献げることができました。8月最後の聖日礼拝でした。人の子イエスの「わたしは世の光である」との聖句をめぐって、古代ユダヤ教の「仮庵祭(奴隷としてエジプトで虐げを受けた後、神に解放された旅路で天幕に暮らした祝いの記念)」に催された「光の祭儀」と重なる点を強調しました。その解き明かしとともに、朝鮮・韓国の詩人尹東柱先生の紹介をいたしました。
1941年11月に記された『序詩』ほか多くの作品はハングルで記されており、それら一連の作品が「治安維持法」違反とされ、京都府警下鴨警察に検挙されました。「いのちつきる日まで天を仰ぎ 一点の恥じることもなきを 木の葉ふるわす風にも わたしはこころを痛めた」。「死ぬ日まで天を仰ぎ」とする詩もありますが、キリスト者詩人でもあった尹東柱は「死の向こう側」にある神のまなざしに自らの祈りを重ねていた可能性もあります。ポツダム宣言受諾のほぼ半年前に福岡刑務所で獄死した尹東柱の作品は死の闇を超えて輝くいのちの光を今も放っています。
79年後の甲子園夏の選抜高校野球大会では京都国際高校が優勝し、公共放送で韓国・朝鮮語の校歌が全国に響きました。尹東柱先生の時代からすれば隔世の感がするとともに、時代の扉が少しずつ開くのだとの感慨を禁じ得ません。
本日の礼拝には近隣にお住まいの野球部に属する中学生も出席されました。過ぐる週は教会でのご奉仕を喜びとされた姉妹が天に召されただけにしみじみと沁み渡る『聖書』の箇所となりました。
来週から9月の聖日礼拝を迎えます。さまざまな支えのなかで教会の交わりがますます豊かに育まれることを願います。
みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますように祈ります。