2024年8月18日日曜日

おかげさまで本日は聖霊降臨節第14主日礼拝を献げることができました

 おかげさまで本日は聖霊降臨節第14主日礼拝を献げることができました。8月も半ばを過ぎ、朝晩には夕立や涼やかな風も吹くようになりました。しかしまだまだ日中は厳しい残暑の日差しに汗をかく日々です。
 

 本日の『聖書』のテキストは『ヨハネに夜福音書』8章3節からのエピソード。姦通(不倫)の現場で捕らえられたとされる女性が人の子イエスの前に引き出され、一部の律法学者やファリサイ派の人々が「このような女は石で打ち殺せ」と律法にはあるが、あなたはどう考えるのかと詰め寄る姿が描かれています。
 

 人の子イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女性に石を投げなさい」と答えます。この答えを前にして女性を引き出してきた人々は一人去り二人去り、そして最後には女性がひとりとり残されます。

 古代ユダヤ教の世界では、概して女性は法廷での発言が認められていなかった事情を踏まえますと、万が一この女性が不倫を犯したとしても関わった男性が責めを負うべきです。それにも拘らず女性が引き出されたのは「イエスを試して訴える口実を得る」ためでした。名もない女性のいのちを盾にして律法を冒涜していたのは、人の子イエスに詰め寄った人々でした。
 

 戦後の時代の中、それこそ高度経済成長期から今にいたるまで、家族のなかで様々な不条理に沈黙を強いられる女性がいます。男性の暴力や家族の労苦を一身に背負わされるのは女性やこどもたちである場合が殆どです。沈黙のなかで恐怖に慄く女性は『聖書』の世界に限ったことではありません。伴侶が戦死した後、汗みどろになって家族を支えた女性の声は、喧騒のなかに消えつつあります。

 そのような女性たちを中心に立て、イエス・キリストは新しい共同体を打ち立てようと試みました。思えば復活のイエスの報を伝えたのは女性たちでした。今朝のテキストはその呼び水となっているのかもしれません。

 「女は黙っていろ」「女のくせに」という時代は過ぎ去ろうとしていますが、今なお痛みや労苦に打ちひしがれる方々は数知れません。だからこそ、女性も男性も、等しく神の似姿として創造されたことを思い出したく存じます。

 みなさまの新しい一週間に、いのちを慈しみ、育んでいく主なる神の恵みを祈ります。

※なお本日の週報にある9月29日(日)の予定は削除をお願い申しあげます。お詫びして訂正いたします。