2025年2月23日日曜日

2025年3月2日(日) 礼拝 予定

     ―降誕節第10主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  
説教=「わたしたちのめざす岸辺」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』14章22~36節
(新共同訳 新約28頁)

讃美= 21-529(333).
461.21-88(Ⅱ255).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

降誕節第9主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第9主日礼拝を献げることができました。梅の花は満開ですが、他方でまたもや寒波の訪れを聞く朝でした。
 

そのような朝、教会玄関の脇にフクロウの骸がうずくまるように横たわっていました。泉北ニュータウンは自然豊かだとは聞きますがさすがにどのような経緯でそうなったのか知る由はありません。

人間の生活領域が里山や自然林を侵食した結果そのようになったのか、それとも流行りの「いきものカフェ」から自由を求めて羽ばたいた結果だったのかは定かではありません。動かなくなったミネルヴァにも似た姿を前に悲しみがふと胸をよぎりました。


過ぐる週はいのちの重さと神の奇しきわざを幾度も思い起こさずにはおれませんでした。教会に連なる交わりには日常を突き破るかのようにいのちの問いかけを授かった方々もおられました。

しかし神はそのように助けを呼び求めて叫ぶ声を決して聞き逃されません。天にいのちを見送る悲しみに涙し、世に救われたいのちに涙した過ぎにし週でしたが、そのようなわたしたちを圧倒する神の祝福に背中を押されて、新しい週、新たな月を迎えたく存じます。みなさまの一週間に、イエス・キリストのますます豊かな祝福を祈ります。

2025年2月16日日曜日

2025年2月23日(日) 礼拝 予定

     ―降誕節第9主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「神の癒しに潤わされて」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』15章21~28節
(新共同訳 新約30頁)

讃美= 
21-437(244).Ⅱ-167
21-29(544).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

降誕節第8主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第8主日礼拝を献げることができました。二月も後半に入り、教会員・関係者問わず年度末と年度始めの備えに忙しいとは存じます。
 

それでも教会・こども園園庭に咲く満開の紅梅の梢にはメジロがとまり花びらをついばんでいました。
 

冬から春へと移るこの季節には気圧が急上昇・乱降下しわたしたちの社会生活には少なからず影響を及ぼします。けれどもそれは新しいいのちの胎動にも似た営みです。
 

本日は人の子イエスがいかに『律法』『預言者』つまり今日でいうところの『旧約聖書』を尊んだかを分かちあいました。

時に目を覆いたくなるような生々しい物語の描かれた『旧約聖書』ですが、人の子イエスはそのような神に逆らう者の姿を斬り捨てず、その現実に神の愛を以て向きあいました。

神の約束は人の混乱を通して完成するとのことばがありますが、わたしたちの日ごとの現実も『旧約聖書』の物語に劣らず混沌とした状況に映ります。
 

だからこそ「心の清い人は幸いである。その人たちは神を見る」との祝福に満ちた教えが満たされます。生きづらさを抱えた人々にこそイエス・キリストの恵みは臨むのです。

心身ともに傷みを抱えた方々を主なる神はお招きになります。一緒に神とともにあゆもう、とイエス・キリストは呼びかけています。新しいいのちの芽吹きがそこにはあります。

みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますように祈ります。一日いちにちの暮らしのなかで、ともに祈り、ともに涙し、ともに喜ぼうではありませんか。

2025年2月9日日曜日

降誕節第7主日礼拝を献げられました

おかげさまで降誕節第7主日礼拝を献げられました。昨日までは立春と大寒が逆転したような風と寒さを迎えた泉北ニュータウンも、今朝は穏やかな陽差しにつつまれての礼拝でした。

ただしやはり気にかかるのは自身の被災地はじめ豪雪に悩まされた地域に暮らす方々です。温暖な堺でさえ突き刺すような寒さでしたから雪害に悩む地域の教会での礼拝はさぞかし困難が伴ったかと拝察します。
 

本日の説教のテーマは「人の子イエスが譬えを用いる理由」でした。イエス・キリストが教えを語る際には譬えを多く用いますがその前提としては学のあるなしを問わず当事者の生活を尊ぶ態度があったように思います。難解な教えをそのまま語るのではなくて相手の生活言語を尊ぶ謙遜な姿勢がイエス・キリストの教えには必ず備えられていたように思います。


わたしたちはときおり自らの傲慢さにより意思疎通に失敗したり、困難になったりとさまざまな問題に直面しますが、それこそ『旧約聖書』『創世記』のバベルの町の課題と大差はありません。高い塔を建てて尊大になるのではなく、まずはへりくだり相手の話に耳を傾けるところから主にある交わりを育みましょう。そのときイエス・キリストは「目から鱗が落ちる」ような出会いをもたらしてくださるはずです。
 

礼拝後には教会学校で凧揚げ大会を楽しみました。ご支援くださった方々に心より感謝申しあげます。新しい一週間がみなさまにとってますます祝福されますように祈ります。ありがとうございました。


2025年2月16日(日) 礼拝 予定

    ―降誕節第8主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「混沌とした時代にこそ輝く光」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』5章17~20節
(新共同訳 新約7頁)

讃美= 
21-518(361).124.
   21-29(544).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2025年2月2日日曜日

2025年2月9日(日) 礼拝 予定

   ―降誕節第7主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

 

説教=「いのちに響く言葉を尊ぶイエス」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』13 章10~16節
(新共同訳 新約24頁)

讃美= 
21-403(Ⅰ.453). 
533. 21-29 (544).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

降誕節第6主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第6主日礼拝を献げることができました。教会の庭の梅のつぼみは次々と花開き、かぐわしい香りをはなっています。
 

礼拝では「イエスの宮清め」、則ちエルサレムの神殿で両替商や貧しい者のための献げものである山鳩を売る人々を追い出し、その時代の律法学者や祭司の怒りを買う一方で、視覚や肢体に不自由のある人々を癒し、こどもたちから「ダビデの子ホサナ」つまり「「さすがやなあ、救い主は!」と歓声を浴びるとの場面を扱いました。
 

人の子イエスがエルサレムの神殿に入ってから癒しのわざを行なう描写、誰よりもこどもたちから喝采を受ける箇所から、イエスが行なった宮清めとは暴力行為ではなく、祈りの場所を「整える」わざであるとの理解をともにしました。

パウロはわたしたちの身体を神の愛である「聖霊」の宿る神殿だと理解しましたが、わたしたちもとかく日々のわざに追われて「神殿」として身体を整えるわざを忘れがちです。その意味では実に愚かであると反省することしきりですが、その都度イエス・キリストに身を委ねて心身ともに整えていただきたいと願います。
 

礼拝後には定例役員会が開かれ、今年度の反省に重点をおきながら次年度への展望の構築へと着手しました。

寒暖の差厳しくなる季節となりますがみなさまに置かれましては主なる神の癒しと平安が臨みますように祈ります。主なる神がともにいる二月となりますように。