おかげさまで降誕節第9主日礼拝を献げることができました。梅の花は満開ですが、他方でまたもや寒波の訪れを聞く朝でした。
そのような朝、教会玄関の脇にフクロウの骸がうずくまるように横たわっていました。泉北ニュータウンは自然豊かだとは聞きますがさすがにどのような経緯でそうなったのか知る由はありません。
人間の生活領域が里山や自然林を侵食した結果そのようになったのか、それとも流行りの「いきものカフェ」から自由を求めて羽ばたいた結果だったのかは定かではありません。動かなくなったミネルヴァにも似た姿を前に悲しみがふと胸をよぎりました。
過ぐる週はいのちの重さと神の奇しきわざを幾度も思い起こさずにはおれませんでした。教会に連なる交わりには日常を突き破るかのようにいのちの問いかけを授かった方々もおられました。
しかし神はそのように助けを呼び求めて叫ぶ声を決して聞き逃されません。天にいのちを見送る悲しみに涙し、世に救われたいのちに涙した過ぎにし週でしたが、そのようなわたしたちを圧倒する神の祝福に背中を押されて、新しい週、新たな月を迎えたく存じます。みなさまの一週間に、イエス・キリストのますます豊かな祝福を祈ります。