2025年2月16日日曜日

降誕節第8主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第8主日礼拝を献げることができました。二月も後半に入り、教会員・関係者問わず年度末と年度始めの備えに忙しいとは存じます。
 

それでも教会・こども園園庭に咲く満開の紅梅の梢にはメジロがとまり花びらをついばんでいました。
 

冬から春へと移るこの季節には気圧が急上昇・乱降下しわたしたちの社会生活には少なからず影響を及ぼします。けれどもそれは新しいいのちの胎動にも似た営みです。
 

本日は人の子イエスがいかに『律法』『預言者』つまり今日でいうところの『旧約聖書』を尊んだかを分かちあいました。

時に目を覆いたくなるような生々しい物語の描かれた『旧約聖書』ですが、人の子イエスはそのような神に逆らう者の姿を斬り捨てず、その現実に神の愛を以て向きあいました。

神の約束は人の混乱を通して完成するとのことばがありますが、わたしたちの日ごとの現実も『旧約聖書』の物語に劣らず混沌とした状況に映ります。
 

だからこそ「心の清い人は幸いである。その人たちは神を見る」との祝福に満ちた教えが満たされます。生きづらさを抱えた人々にこそイエス・キリストの恵みは臨むのです。

心身ともに傷みを抱えた方々を主なる神はお招きになります。一緒に神とともにあゆもう、とイエス・キリストは呼びかけています。新しいいのちの芽吹きがそこにはあります。

みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますように祈ります。一日いちにちの暮らしのなかで、ともに祈り、ともに涙し、ともに喜ぼうではありませんか。