草木薫る初夏の一日、おかげさまで泉北ニュータウン教会では聖霊降臨節第5主日礼拝を献げることができました。礼拝の後にはコロナ禍後初めてとなる飲食をともなう集会を催し、「お久しぶり会」として楽しいひとときを過ごしました。備えのために尽力してくださった方々に主なる神の癒しがありますよう祈ります。
礼拝でのメッセージでは「迷い出た羊の譬え」と「見失ったドラクメ銀貨の譬え」を味わいながら、「かけがえのないあなた」としてわたしたちに向き合ってくださる神との交わりによる喜びを分かちあいました。
「お前の代わりなどどこにでもいる」との声が巷に聞こえる昨今、『聖書』は全く異なるメッセージをわたしたちに語りかけています。
全身を傷だらけにして羊を探し求める羊飼いや、家探し(やさがし)を必死に行なって銀貨一枚を探し求める女性といった、当時の日常の風景からは、実のところわたしの暮らしのあり方が問われています。わたしたちは神の愛にいつのまにか捉えられていると気づかされます。
わたしたちのあり方は一見すれば神の求める態度からはかけ離れているようにも思えますが、イエス・キリストはそのようなわたしたちを捉えて離しません。その喜びのなかで世にある生涯を全うできればと願います。
みなさまにおかれましては、新たな一週間にキリストがともにおられますように祈ります。
2023年6月25日日曜日
2023年6月18日日曜日
2023年6月25日(日) 礼拝 予定
ー聖霊降臨節第5主日礼拝ー
時間:10時30分~
説教=「かけがえのないあなた」
稲山聖修牧師
聖書=『ルカによる福音書』15 章1~10 節
(新約聖書 138 頁).
讃美= 313,534.540.
説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。
聖霊降臨節第4主日礼拝を献げることができました
おかげさまで聖霊降臨節第4主日礼拝を献げることができました。湿度の高い季節に爽快な風を頬に受けるような礼拝となりました。
教会学校では『創世記』のアブラハムの「信仰による義」、聖日礼拝では「ヤイロの娘とイエスの衣に触れた女性の癒やし」をめぐるメッセージをともにしました。「信仰による義」とそのまま言っても難しいので「神さまが『大丈夫だとよしよししてくれた』と表現しました。『聖書』のことばを生活文脈に則して再解釈する困難さはつきものです。しかしそれでもことばの豊かさに感銘を受け、喜びを分かちあうだけでなく、一週間の原動力となる頼もしさを覚えました。
新型コロナウイルス感染症が季節性インフルエンザと同じ扱いとなりひと月以上が経ちました。侮らず、しかし教会生活の楽しみを祈りとともに大切にしながら六月後半の週を過ごしてまいりたく存じます。昼も夜も主なる神はともにおられます。そのユーモアに押し出されて一日いちにちをあゆみましょう。
教会学校では『創世記』のアブラハムの「信仰による義」、聖日礼拝では「ヤイロの娘とイエスの衣に触れた女性の癒やし」をめぐるメッセージをともにしました。「信仰による義」とそのまま言っても難しいので「神さまが『大丈夫だとよしよししてくれた』と表現しました。『聖書』のことばを生活文脈に則して再解釈する困難さはつきものです。しかしそれでもことばの豊かさに感銘を受け、喜びを分かちあうだけでなく、一週間の原動力となる頼もしさを覚えました。
新型コロナウイルス感染症が季節性インフルエンザと同じ扱いとなりひと月以上が経ちました。侮らず、しかし教会生活の楽しみを祈りとともに大切にしながら六月後半の週を過ごしてまいりたく存じます。昼も夜も主なる神はともにおられます。そのユーモアに押し出されて一日いちにちをあゆみましょう。
2023年6月11日日曜日
聖霊降臨節第3主日礼拝を「花の日・こどもの日」礼拝として献げることができました
おかげさまで聖霊降臨節第3主日礼拝を「花の日・こどもの日」礼拝として献げることができました。久しぶりに礼拝堂にこどもたちの声があふれ、礼拝のなかで風船あそびをし、よろこびを分かちあうことができました。こうしてつぼみが雨と陽の光のなかで膨らむように、教会の交わりにも神さまの愛の力がそそがれてきました。
イエスの弟子は少年の献げた五つのパンと二匹の魚を「たったこれだけ」と蔑みましたが、イエスは神に感謝してこの献げものを大勢の人に配りました。五つのパンと二匹の魚はこの時代の庶民の最低限の食事でみな持参していたはずでしたが、イエスのもとに集まった群衆の中にはそれさえ携えられなかった人もいたことでしょう。イエスの献げた神への感謝の祈りは、人々の思いを「独り占め」から「分かちあい」へと開いたに違いありません。
物不足に苦しんだ敗戦後の苦しみが、かたちを変えてヒタヒタとわたしたちの日常に迫ろうとしているこのごろ。「お金を出せばなんでも手に入る」ということばの浅はかさを、さまざまな報道から知らされる毎日です。売買とは異なる次元で人々が満たされた出来事を、後の時代の教会では「奇跡」と呼びました。
神の愛のちからによる独占からわかちあいへの転換こそ、まさに奇跡と呼ぶにふさわしい出来事です。そしてその奇跡は、新しい一週間をあゆむわたしたちの背中を押してくれます。みなさまのあゆみに主なる神がともにおられますように祈ります。
イエスの弟子は少年の献げた五つのパンと二匹の魚を「たったこれだけ」と蔑みましたが、イエスは神に感謝してこの献げものを大勢の人に配りました。五つのパンと二匹の魚はこの時代の庶民の最低限の食事でみな持参していたはずでしたが、イエスのもとに集まった群衆の中にはそれさえ携えられなかった人もいたことでしょう。イエスの献げた神への感謝の祈りは、人々の思いを「独り占め」から「分かちあい」へと開いたに違いありません。
物不足に苦しんだ敗戦後の苦しみが、かたちを変えてヒタヒタとわたしたちの日常に迫ろうとしているこのごろ。「お金を出せばなんでも手に入る」ということばの浅はかさを、さまざまな報道から知らされる毎日です。売買とは異なる次元で人々が満たされた出来事を、後の時代の教会では「奇跡」と呼びました。
神の愛のちからによる独占からわかちあいへの転換こそ、まさに奇跡と呼ぶにふさわしい出来事です。そしてその奇跡は、新しい一週間をあゆむわたしたちの背中を押してくれます。みなさまのあゆみに主なる神がともにおられますように祈ります。
2023年6月4日日曜日
聖霊降臨節第2主日を献げることができました
おかげさまで聖霊降臨節第2主日を献げることができました。一昨日の堺市は線状降水帯の通過により豪雨に見舞われましたが礼拝堂ほか施設は雨漏以外のダメージを免れました。これも主なる神の支えとみなさまのお祈りによるものとして感謝の祈りを献げました。
本日の礼拝説教のテキストは『ルカによる福音書』10章17〜24節。72人の無名の弟子が12弟子と同様に神の愛を証しする宣教のわざに遣わされ、立派に働きを全うした様子が描かれます。肝心なのはその後にイエスが神の愛である聖霊に満たされて喜びにあふれたという箇所。イエス・キリストはこの箇所で大いに笑顔を見せていたと考えます。
イエスの「笑い」とはユーモアに満ち、歪んだ社会をもたらした権力者の圧政を洒落のめし、72人の弟子を通じて人々に笑顔を広めていったに違いありません。そのユーモア自体が神なき統治者に畏怖の念を起こしたことでしょう。
さらに72人の弟子と12弟子の人数を足し、12で割れば7となります。いわばラッキーセブン。表向きは決して一枚岩ではなかった弟子たちも、キリストに遣わされることで神の愛の完全性を示したとも読みとれます。
わたしたちの日常は表向きはさまざまな破れや衝突もあります。しかしそのような考えや生き方のぶつかりあいの中にも、神の愛の完全性が隠されているのだとすれば、なおのこと喜びとともにキリストを見つめずにはおれません。わたしたちの至らなさや破れを神の愛はつつんであまりあります。だからこそその力を原動力にして大切な隣り人の悲しみも笑顔もともにしていきたく願います。予期せぬ自然災害に苦しむ人の痛みを覚え、神の平和を乞い願いつつ、みなさまの新しい一週間が神の愛にあふれたものとなりますように祈ります。涙の中にこそ神の希望は宿るのです。
本日の礼拝説教のテキストは『ルカによる福音書』10章17〜24節。72人の無名の弟子が12弟子と同様に神の愛を証しする宣教のわざに遣わされ、立派に働きを全うした様子が描かれます。肝心なのはその後にイエスが神の愛である聖霊に満たされて喜びにあふれたという箇所。イエス・キリストはこの箇所で大いに笑顔を見せていたと考えます。
イエスの「笑い」とはユーモアに満ち、歪んだ社会をもたらした権力者の圧政を洒落のめし、72人の弟子を通じて人々に笑顔を広めていったに違いありません。そのユーモア自体が神なき統治者に畏怖の念を起こしたことでしょう。
さらに72人の弟子と12弟子の人数を足し、12で割れば7となります。いわばラッキーセブン。表向きは決して一枚岩ではなかった弟子たちも、キリストに遣わされることで神の愛の完全性を示したとも読みとれます。
わたしたちの日常は表向きはさまざまな破れや衝突もあります。しかしそのような考えや生き方のぶつかりあいの中にも、神の愛の完全性が隠されているのだとすれば、なおのこと喜びとともにキリストを見つめずにはおれません。わたしたちの至らなさや破れを神の愛はつつんであまりあります。だからこそその力を原動力にして大切な隣り人の悲しみも笑顔もともにしていきたく願います。予期せぬ自然災害に苦しむ人の痛みを覚え、神の平和を乞い願いつつ、みなさまの新しい一週間が神の愛にあふれたものとなりますように祈ります。涙の中にこそ神の希望は宿るのです。
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