みなさまのお祈りのおかげで聖霊降臨節第9主日礼拝 平和聖日礼拝を献げることができました。満洲事変以来15年にも及んだアジア・太平洋戦争の敗北を大日本帝国が認めてから80年を数える今年です。
テキストは『マタイによる福音書』8章5節から13節。病に苦しむ僕(しもべ)を案じたローマ帝国の百人隊長(小隊〜中隊を指揮する下級将校)の願いを聞き入れたイエス・キリストがその僕を癒やすという物語の解き明かしとなりました。
戦後80年の今となりますと 戦争体験者といえども戦火の嵐をくぐり抜けた「こどもたち」の世代が中心となり 従軍経験者の数は極端に少なくなります。実体験のない戦争論はいきおい安っぽいロマン主義的な物語をもたらし「もしもハイオクタンの燃料があれば日本の戦闘機は米国に勝っていた」というような仮想戦記をもたらしがちです。しかし実際にはそのような燃料の兵站が絶たれたからこそ敗戦となった現実を見ずに再軍備や核武装を語る政治家が後を絶ちません。
むしろ人の子イエスは本来ならば敵となるはずのローマ軍の下級将校の願いを聞き入れてその僕の病を癒しました。イエス・キリストはこの時点で「愛敵の教え」を自ら証ししています。
ひょっとしたら兵卒にもならかった一軍属の僕に向けられた百人隊長の願いは 負傷し手に負えなくなった兵士に安楽死を強要した日独ソ聯・連合軍の将校とは態度が全く異なります。慢性的な紛争が続くなか、部下を想うこの祈りをイエス・キリストは受け入れました。
パレスチナ、ウクライナ、インドシナ半島と銃声のもと民間の老若男女・こどもたちが犠牲になる今こそ、イエス・キリストの垣根を越えた神の愛に根ざす働きが求められているのではないでしょうか。現在のところ日本には多くの国から人々がお越しになり 医療・福祉・小売店の現場でお働きになっています。平均年齢50歳と言われる逆三角形の人口を筒形のかたちにするためにもお働きになる方々を悪しざまに扱ってよいはずがありません。
わたしたちは戦争の被害者であるとともに加害者でもあります。加害者としての責任を自覚しながらも海外からの旅人を受け入れたいと願います。差別は排除につながります。しかし区別は本来なら相手への理解に基づいた配慮へとつながります。そのような態度をキリストに従うなかで体得し 明日への希望の光を灯したいと願います。