2026年1月26日月曜日

降誕節第5主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第5主日礼拝を献げることができました。寒いなかでしたが礼拝堂には老若を問わない出席者が神様に招かれました。
 

メッセージのテキストは『マルコによる福音書』1章に描かれた 本福音書で初めて人の子イエスが癒しのわざを行なうところです。古代ユダヤ教の会堂で「悪霊にとりつかれた」とされる男性がおり「ナザレのイエス かまわないでくれ。われわれを滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と叫ぶ箇所でした。同じ福音書の5章では「墓場を住む悪霊つきの男性」の話が描かれます。墓場は明らかに一般の人々の暮らしから疎外されていると気づきますが会堂をわたしたちの礼拝堂におきかえて考えますと 人々の暮らしに開かれた場でもあるといえます。そのような場にも疎外され心病む人がいたと考えますとまことに心痛む状況です。
 

経済不況と物価高に悩むわたしたちは高度経済成長期やバブル期をして「あのころはよかった」と回想しがちです。貧困は海外の開発途上国のみにあると思い込み 支援もしてまいりました。しかし国内にも森永ヒ素ミルク事件 カネミ油事件始め今日考えれば背筋の凍るような事件がありましたが 概してわたしたちの記憶からは忘れ去られています。しかし当事者の方々は今なお苦しみ社会から疎外されているのです。「悪霊にとりつかれた」とは当時の医療では治療しがたい難病罹患者をも指していると言われています。種々の事件も原因が解明されるまで「奇病」として扱われました。
 



このような当事者の方々を前にしてわたしたちは「祈り ささえること」ばかりを考えます。しかし「祈られ ささえられる」方々の痛みにどれほど思いを寄せていることでしょうか。今 食事に困っている人々に千羽鶴を送るような勘違いをしてはいないでしょうか。イエス・キリストは自ら疎外され十字架への苦難の道をあゆみました。その意味ではイエス・キリストの癒しのわざは「双方向」でした。

わたしたちは悪意のみならず善意の空回りから解放されるためにも聖日礼拝と関わり祈りを献げます。すべての束縛から解放されてのびやかに新しい一週間をあゆみたいと願います。
 

2026年も最初の月を全うしようとしています。礼拝後には「たけしろみんなの食堂」がにぎやかに行われました。みなさまの新たな一週間に主なる神の祝福がますます臨みますよう祈ります。