2024年9月29日日曜日

2024年10月6日(日) 礼拝 予定

 ―聖霊降臨節 第21主日礼拝―

時間:10時30分~

 

説教=「まことの安らぎのなかで流れる涙」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』11 章 28~37 節
(新共同訳 新約 188 頁)

讃美= 
298,21-529(333),
    讃美ファイル 3, 21-24(539).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第20主日礼拝を献げることができました

おかげさまで、本日は聖霊降臨節第20主日礼拝を献げることができました。みなさまのお祈りに深く感謝申しあげます。
 

『ヨハネによる福音書』11章1〜16節では、兄弟ラザロの死に慟哭するユダヤの人々と姉妹マルタが描かれ、そしてその報を受けて現地に赴こうとする人の子イエスの姿が記されます。しかし不思議にも弟子たちにはラザロの住まいのあるベタニアは「師であるイエス」を石打ちにしかねない危うい場所として映ります。いや、それだけではなく、その暴力は自分たちにも及ぶとされ、ベタニアへの訪問には誰も乗り気ではありません。そのなかで際立つのが、怯む弟子のなかで唯一「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と気勢をあげるトマスの姿です。
 

ラザロの死と甦りはイエス・キリストの十字架での死と復活の出来事とも関連つけられます。しかしその面が強調されるほど、復活したキリストをトマスが頑なに受け入れなかった態度が浮かびあがります。人間とはこのように裏表のあるものであると見なす、福音書記者たちの人間観のリアリズムを看取できるというものです。イエス・キリストは、そのような表向きの悲壮感に先んじて、ラザロの死を悼むベタニアに暮らす人々の涙をともにされました。この涙の前には殺意も憎しみもすべて力を失います。
 

奥能登地方を襲った局地的な豪雨は、元旦の震災で緩んだ地盤を破壊しました。取材に向かう報道関係者は、被災者の涙をともにしながらの取材に懸命です。絞り出されることば一つひとつが、現地を支援するうえでの貴重な情報となり得るからです。東日本大震災以降、取材するメディア関係者と取材を受ける被災者を隔てる壁がぐんと下がったように思われます。

涙を中心とした共同体は、新たないのちの共同体の可能性をイエス・キリストから授かります。敵味方の別け隔てをも無効化する神の愛の働きがそこには見出せるのではないでしょうか。トマスは今その途上にいます。

新しい一週間がみなさまには主なる神の希望に満ちた時となりますよう祈ります。被災地・紛争地の人々を覚えつつあゆみましょう。

2024年9月22日日曜日

2024年9月29日(日) 礼拝 予定

―聖霊降臨節 第20主日礼拝―

時間:10時30分~

 

説教=「懸命に生きればこそ 必死にあゆめばこそ」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』11 章 1~16 節
(新共同訳 新約 188 頁)

讃美= 21-155(301),512,21-27(541)

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
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聖霊降臨節第19主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第19主日礼拝を献げることができました。雨も降る天候でしたが「秋分の日」に礼拝に出席された方々、またリモートワークでご視聴された方々とともに主なる神の恵みを分かちあいました。
 

『ヨハネによる福音書』10章31〜39節が本日の礼拝説教のテキストでした。石を投げようとする人々に対する人の子イエスのことばとして「神々」が用いられている箇所があるところを軸にしたお話でした。その表現が「神に委託された役割を担う人々」を示すとともに、その自覚もなく自らに敵愾心を燃やすエルサレムの祭司長や律法学者の前から去っていく救い主の姿に、論破からも議論からも遠ざかり、敵愾心の裏にある悲しみや傷をひたすら癒そうとされる態度を聴きとり分かちあいました。
 

思えば過ぎにし週には中国の深圳市で日本人学校の児童が殺害されるという悲しみがあり、現在のところでは奥能登地方を襲う豪雨により元旦に起きた震災の被災地にさらに災害が及ぶという、「なぜだ」と神に叫ばずにはおれない出来事が続きました。

その叫びをともにしてくださり、苦しみをともにするイエス・キリストを見つめながら、病床やご自宅で静養に励まれる方々、施設に暮らす方々、 こひつじこども園に連なる園児さんや保護者、職員の方々、放課後等デイサービス こひつじに連なるこどもたちや職員の方々を覚えて主なる神の癒しと支えを祈りました。
 

すべての傷みをつつむ神の愛を示すキリストに委ねて、新しい一週間を始めます。みなさまに主なる神の愛が豊かにそそがれますように祈ります。

2024年9月15日日曜日

2024年9月22日(日) 礼拝 予定

―聖霊降臨節 第19主日礼拝―

 時間:10時30分~


説教=「神の愛はすべての傷みをつつむ」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』10 章 31~39 節
(新共同訳 新約 187 頁)

讃美= 285,21-436(515),21-27(541)

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聖霊降臨節第18主日礼拝を献げることができました

 おかげさまで聖霊降臨節第18主日礼拝を献げることができました。本日は「長寿感謝の日礼拝」。17名の方々に本日は2名が加えられ、さらに2名の方々と主なる神の祝福を分かちあいました。
 

 本日主の深い祝福につつまれたおふたりは敗戦後数年を経た日本の姿を幼い日に見つめ、高度経済成長期の日本のありのままの姿を美化せず生きぬかれた方々でした。多くの犠牲をはらいながら今にいたる激動の世を、十字架と復活のイエス・キリストを見つめて歩まれました。

 今なお世の波風はしずまる気配がありませんが、それでもキリストに示された神の愛を映しだす鏡としてわたしたちは用いられ、交わりを育んでいます。その交わりは地の果てまで拡がってまいります。礼拝後には記念の集合写真を撮影いたしました。
 

 聖日礼拝に先んじて始められましたのは泉北ニュータウン教会に根をおろす「 こひつじこども園」「放課後等デイサービス こひつじ」の職員研修でした。職員の方々もともに礼拝で主の恵みへの感謝の気持ちを分けあい、更なるプログラムに参加しました。五十年以上にわたる保育・福祉のわざに込められた思いは、これからも必ず継承されていくとの確信を新たにいたしました。

 九月もちょうど半ばを迎えましたが、残暑未だに納まらず、台風などの自然災害の傷跡も各地に残ります。みなさまにはくれぐれも主なる神の励ましと癒しとが臨みますように。本日祝福を受けた方々のあゆみがますます恵みにあふれますように。みなさまとともに神への感謝の念をともにしたいと願います。

2024年9月8日日曜日

2024年9月15日(日) 礼拝 予定

   聖霊降臨節 第18主日礼拝― 

時間:10時30分~


説教=「イエスに従ったひつじの群れ」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』10 章 22~30 節
(新共同訳 新約 187 頁)

讃美=  21-475(352),354.2,21-27(541)

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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聖霊降臨節第17主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第17主日礼拝を献げることができました。本日の礼拝では『旧約聖書』『申命記』19章にある「最初の人々が定めた地境を動かしてはならない」をキーワードに、現在世界で起きている国境をめぐる争いに対するイエス・キリストの態度を福音書からくみとり、キリストに示された神の愛による統治の幸いをともにいたしました。
 

礼拝にはウクライナからの避難民のご家族が出席され、故郷の様子とともに、世が神の平和の映し絵となるべく祈りを献げました。

ともに味わった聖句は『申命記』19章14節の「地境を動かすな」でした。地境の勝手な移動はそこに住む人々の暮らしだけでなく言語や文化を損ないかねません。
 

ウクライナの人々は正式な国の名称もはっきりとしないまま、またロシアの人々もどうして戦争が始まったのか分からないままで現状にいたっています。わたしたちとしてはウクライナの人々が望むとおりの国境が定められ平和が訪れるようにと祈るばかりでした。

思えばシベリア抑留の時代に捕虜となった日本人がキーフやハリキウまで連行されながらも、誠意を尽くして建築した建物が無惨にも破壊されています。ウクライナの民の犠牲を思い起こしますと身を切られる思いがいたします。
 

礼拝後にはご家族との交わりの時をもちました。集いはコロナ禍以来最高の盛りあがりを見せ、礼拝への新来会者とともに楽しいひとときを過ごしました。

ウクライナであろうとロシアであろうと堺市であろうと神の平和を待ち望む声は後を絶ちません。神の愛による統治を待ち望む讃美をともにできてまことに喜びに満ちた一日となりました。

主なる神の創造し給う平和が一日も早く実現しますように祈ります。本日の礼拝を覚えながらも出席のかなわなかった方々、今週もまた始まる「 こひつじこども園」「放課後等デイサービス こひつじ」関係者、こどもたち、保護者の方々に主なる神のますますの祝福が臨みますように。関わるすべての方々、神の創造し給うすべてのいのちに主の平安を祈ります。

2024年9月1日日曜日

2024年9月8日(日) 礼拝 予定

   聖霊降臨節 第17主日礼拝― 

時間:10時30分~



説教=「神の地境をまもる者」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』10 章 1~6 節
(新共同訳 新約186頁)

讃美=    461,21-412(234).21-27(541)

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第16主日礼拝を献げることができました

おかげさまで本日は聖霊降臨節第16主日礼拝を献げることができました。9月始めの聖日礼拝でした。テーマとなる聖句は「あなたたちは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」でした。
 

『ヨハネによる福音書』で人の子イエスが語る真理についてともに考えました。わたしたちがイエスの教える「真理」を考えるとしても、それは総督ピラトのように「真理とは何か」と問うわけにはいきません。日常から離れた真理を考え続けたとしてもそれは空疎な営みです。わたしたちは人の子イエスの教えを暮らしのなかで根を降ろすべき「真理」として考えます。その真理が断片的だとしても祈りのなかで少しずつその理解を積み重ねるほかありません。神の真理をわがものになどできるはずがないのです。
 

本日は台風10号の影響を受けながらの聖日礼拝でしたが、101年前、1923年の今日は「関東大震災」が起きた一日でした。当時はラジオすらなく被災者はパニックに陥り、震災と火災の犠牲のみならず、在日韓国・朝鮮人や近畿も含めた西日本から被災者救援に駆けつけた人々や事情により東京近圏に身を寄せた方々の多くが虐殺された日々が続きました。(例えば「福田村事件」をお調べください)。

不安が憎しみに転化するならば、学識のあるなしを問わず簡単に他者のいのちを奪える現実を見せつけられた日でもありました。そこに人の子イエスの語る、愛なる神の真理はありません。

わたしたちは日々躓きながらも、神の真理の断片をたどってあゆみを重ねるほかありません。なぜなら神の真理とは他者のいのちを活かす道筋を拓くからです。

断片的に映らない神の真理も、キリストに従いながら神の愛に触れるなかでその実りとして少しずつ授かることとなります。台風で被災された方々、とりわけ能登半島地震に重なり困窮にある方々を主なる神がお支えくださりますように。

みなさまの新しい一週間に、主なる神がともにおられますよう祈ります。