おかげさまで本日は聖霊降臨節第16主日礼拝を献げることができました。9月始めの聖日礼拝でした。テーマとなる聖句は「あなたたちは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」でした。
『ヨハネによる福音書』で人の子イエスが語る真理についてともに考えました。わたしたちがイエスの教える「真理」を考えるとしても、それは総督ピラトのように「真理とは何か」と問うわけにはいきません。日常から離れた真理を考え続けたとしてもそれは空疎な営みです。わたしたちは人の子イエスの教えを暮らしのなかで根を降ろすべき「真理」として考えます。その真理が断片的だとしても祈りのなかで少しずつその理解を積み重ねるほかありません。神の真理をわがものになどできるはずがないのです。
本日は台風10号の影響を受けながらの聖日礼拝でしたが、101年前、1923年の今日は「関東大震災」が起きた一日でした。当時はラジオすらなく被災者はパニックに陥り、震災と火災の犠牲のみならず、在日韓国・朝鮮人や近畿も含めた西日本から被災者救援に駆けつけた人々や事情により東京近圏に身を寄せた方々の多くが虐殺された日々が続きました。(例えば「福田村事件」をお調べください)。
不安が憎しみに転化するならば、学識のあるなしを問わず簡単に他者のいのちを奪える現実を見せつけられた日でもありました。そこに人の子イエスの語る、愛なる神の真理はありません。
わたしたちは日々躓きながらも、神の真理の断片をたどってあゆみを重ねるほかありません。なぜなら神の真理とは他者のいのちを活かす道筋を拓くからです。
断片的に映らない神の真理も、キリストに従いながら神の愛に触れるなかでその実りとして少しずつ授かることとなります。台風で被災された方々、とりわけ能登半島地震に重なり困窮にある方々を主なる神がお支えくださりますように。
みなさまの新しい一週間に、主なる神がともにおられますよう祈ります。