おかげさまで待降節第3主日礼拝を献げることができました。朝日の光の射す礼拝堂では、アドベントクランツに整われたろうそくが三本灯されて、いよいよキリストの誕生の祝いを待つ候であると集う人誰もが確信を授かりました。
ところで本日の礼拝では、ヘロデ大王の息子アンティパスによって牢獄に繋がれた洗礼者ヨハネが、人の子イエスの噂を耳にして弟子を遣わし「来るべき方はあなたですか?それとも他の方を待たねばなりませんか?」と問いかける『マタイによる福音書』のテキストが共有されました。洗礼者ヨハネは救い主の訪れを確信してはいましたが、それが誰であるかとの問いについては曖昧なままでした。
そのような態度の洗礼者ヨハネの弟子に対して人の子イエスは淡々と自らの愛のわざを伝えた後で、「わたしに躓かない人は幸いである」と、自らが洗礼者ヨハネが待ち望むキリストであると語ります。洗礼者ヨハネは後に宴の余興として首を刎ねられますが本日の箇所では自らの本分を全うしたとの充実感さえ感じられました。
思えばクリスマスの物語では故郷ベツレヘムに戻った身重のマリアとヨセフが宿をたらい回しにされたあげく飼い葉桶にみどり子イエスを出産する場面が描かれます。街道沿いの宿場町の宿には渡世人や無宿人、売春婦らがたむろしたとの至極当然の様は記されません。しかしみどり子イエスは誰にも気づかれない家畜小屋で産声をあげました。洗礼者ヨハネが「来るべき方はあなたですか」と問わずにはおれなかったのも無理はありません。
わたしたちの気づかないところ、目を背けたくなるところにみどり子イエスはお生まれになりました。そこにこそわたしたちの活かされる希望が隠されています。
昨日は教会と歩みをともにする「こひつじこども園」と年長・年中にあたるこうま組、こやぎ組の園児さんによる礼拝が献げられ、午後には中学3年生までの卒園児生がクリスマスを祝いました。また本日の礼拝ではこども園の職員の方々への癒しとともに、洗礼者ヨハネの祈りに重ねて、刑務所に服役されている方々、その家族、また冤罪で苦しんでいる方々のための執り成しの祈りを献げました。
今週はクリスマス礼拝に向けて教会のはたらきがますます祝福される時となります。お支えくださる方々の健康が支えられますように、クリスマスに世界の教会が世の平和を祈り実現できるよう神の力を授けられますよう祈ります。
師走の多忙な候ですがみなさまのあゆみに主なる神の平和と祝福がますますともにありますように。