おかげさまで降誕節第2主日礼拝を献げることができました。教会の付近に転居してこられた方、懸命になって礼拝に出席された方、様々な方々が招かれて主なる神を讃えました。
『マタイによる福音書』でイエスの父ヨセフはエジプトからナザレへと足を進めた際にヘロデ大王の息子の統治下を避けてベツレヘムに引きこもりました。人の子イエスの幼少年期が鮮やかに描かれる『ルカによる福音書』とは異なり、この「引きこもり」の中で家族は次のライフステージを迎えます。そしてそのとき、イエスの父ヨセフは福音書の舞台から静かに姿を消していきます。
私事で恐縮ですが、牧師は昨年暮れに齢55歳を数えました。つまり青年期の若者とは異なる「ことば」の世界での生活を余儀なくされることでもあり、この異なる人生経験や世界観を自覚しつつ青少年の人々とコミュニケーションを計らねばなりません。しかし最後は漠然とでもイエスの父ヨセフのように背中を記憶に残せればと願います。顔も名前も忘れられてもよいのです。
思えばイエス・キリストが人々に伝えたとされる「主の祈り」では「父」とのことばこそあれ、「神」とのことばはひと言も用いられません。その陰にはヨセフの背中があったと考えるのは読み込みすぎでしょうか。
たとえ名が知られなくても、神の愛の証しは存分に可能です。キリストへの道備えはその匿名性のなかでこそ光を放つようにも思います。礼拝後には「教会の活動を考える会・伝道委員会」を開催し、新年の教会のあり方を協議しました。また、聖日礼拝を陰ながらお支えくださった こひつじこども園の若手職員にも衷心より感謝申しあげます。みなさまに主なる神のますますの祝福を祈ります。