2025年1月1日水曜日

元旦礼拝を献げることができました

降誕節の最中、おかげさまで泉北ニュータウン教会では元旦礼拝を献げることができました。朝日を浴びて礼拝堂は光につつまれ、新しい年の訪れのあゆみを尋ねるべく『聖書』のメッセージをともに分かちあいました。
 

テキストは『ヨハネによる福音書』1章1〜5節の「初めに言(ことば)があった」で始まる箇所でした。説教では牧師が大学のチャペルアワーで触れた「ことばがあるからにはその前に神の深い思いがあったに違いない」とのフレーズに感銘を覚えたとの話から始まりました。ことば、または表現をも含めて意思疎通のためには相手の言葉に深く耳を傾ける必要があり、耳を塞ぐ傲慢さは『旧約聖書』のバベルの物語のようにあらゆる関係を混乱させてしまうとのメッセージでした。『創世記』以降の物語にある、知らず知らずのうちに傲慢になる人間のありようへの楔ともなる救い主イエス・キリストの誕生を、クリスマスの余韻の冷めない元日も互いに祝いました。
 

礼拝後には礼拝堂に集った方々が交わりを深め、元旦礼拝を覚えながらも欠席を余儀なくされた方々の健康を祈り、1月5日に控えている聖日礼拝の備えをした後に解散しました。
 

時節柄感染症に悩まされている教会員のご様子も伝えられました。新しい年、みなさまが何よりもお健やかでありかつ神さまの平安に満ちた時を過ごされますよう祈ります。さまざまなライフステージの変化があるには違いありませんが、神はいつもともにいてくださいます。安心して時を見極めましょう。