おかげさまで受難節第4主日礼拝を献げることができました。奇しくも2024年度を締めくくる聖日礼拝ともなり サクラやタンポポの花咲くなかでの礼拝となりました。いよいよ春の訪れです。
本日は『マタイによる福音書』17章1〜13節にある「人の子イエスの山上の変容」の箇所でした。ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人を連れて高い山へと登ったイエスの顔が太陽のように輝き 服は光のように白くなります。そして『旧約聖書』の物語に登場するモーセ、そして預言者エリヤと語らうという筋立てです。イエスの時代にはすでに物語上の人物となっていたモーセは『律法(トーラー)』、エリヤは『預言者の書(ネビイーム)』を示すとも言われます。いずれにせよイエスの教えは『旧約聖書』の教えや物語が徹底的に裏づけられていました。それではわたしたちがその書物を開いてみるとどのような世界が広がっているというのでしょうか。
それは「神なしには」グロテスクだ としか呼べないような展開も含めた人間模様に満ちています。もしもわたしたちが道徳的な規範を人の生きざまだけに求めるならば 誰も該当する人物が見当たらないような世界です。
しかしながらイエスはその物語のなかに 隠された神の愛を見いだし自らの苦難を通してその愛を語り 実践しました。人の子イエスの輝きは 人間の醜悪さを映しだしながら その苦しみを分かちあい 我がものとするあゆみでもありました。
この年度の移り変わりにあたって 新年度がそのまま喜ばしく始まるという方々よりも さまざまな戸惑いや迷いにあふれているという方々も多いのではないでしょうか。けれどもわたしたちはその戸惑いがあたかもないかのようなふるまいが「ふさわしい」と捉えがちです。モーセやエリヤは神をうたがう民に蔑ろにされたという記事を忘れるわけにはまいりません。
サクラの樹もタンポポも 何があるのか分からない地面に深く根をおろしてはじめて花を咲かせます。またモクレンの花は散ればこそ豊かに葉を生い茂らせます。
イエスの姿の変容は 混乱する世にあって わたしたちが何に根をおろし 誰を見つめて新年度を始めるのかをも示しています。未来への一歩を イエスとともに踏み出しましょう。