ごく短い物語でのペトロの扱いからは 人の姿に理想の姿を追いかけてしまううわべの「信仰」の大きな問題が示されています。すなわち個人の内面の問題の枠を出ずに論じられた信仰はかくまでもろい という事実です。
『聖書』が信仰と呼ぶのは神からの祝福に根ざした「関係」であり それはイエス・キリストとの間柄でも同様です。相手から恵みとして先に授かるのが信仰であり それはこちらの都合を問いません。ペトロはその意味では勘違いをしています。だからこそ「鶏の鳴く前に三度イエスを否定する」という挫折と涙を通してようやくキリストの教えと生涯が示す事実を悟ります。その事実とはわたしたちが「赦された罪人」としてキリストに従うというあゆみでした。
今 社会の歪んだ正義感は SNSでの匿名の煽動的な攻撃へと移りました。誹謗中傷を受けた人々の中には自死に追い込まれる方々さえおられます。感情的な一時の高ぶりが取り返しのつかない過ちにつながるとの警鐘は すでに使徒ペトロの過ちに示されてはいないでしょうか。
他者への否定ではなく 自らを苦しめる者にも神の愛を貫いたイエス・キリストこそ わたしたちが仰ぐべき救い主です。その愛に基づいて日々のあり方を問い直してまいりましょう。みなさまの新しい一週間に主なる神のますますの祝福を祈ります。